
「なぜ院長は「逃亡犯」にされたのか 見捨てられた原発直下「双葉病院」恐怖の7日間」森功
3.11地震、福島県・原発近くの方は避難の際、苦労したことでしょう。
さらに、その中でも病院入院患者さんの避難はどうだったんだろう。
この作品は大宅壮一賞候補となった作品。
受賞こそのがしたが、気になったので読んでみた。
いくつか文章を紹介する。
P82
福島第一原発から4.5キロの双葉病院や系列老健施設のドーヴィル双葉にとって、1号機の水素爆発は、まさしく深刻な状況を生んだ。リアルタイムで間近に聞こえた爆発の音や振動は、想像以上の恐怖だ。現実のものとして、原発の恐怖が目の前に迫ってくる。施設に残った双葉病院グループのスタッフたちの心を大きく揺らした。原発の恐怖は過去築いてきた組織の秩序を破壊し、人間同士のきずなまで引き裂こうとする。
P192
最初の搬送先であるいわき光洋高校の体育館で死亡確認されただけで、14人。それに加え、次の搬送先でも、8人が絶命した。自衛隊による14日午前中の第二陣の救出まで持ち堪えられなかった病院内の死亡4人を含めると、15日までの死者だけで26人にのぼる。
そして地震から数えて5日目、自衛隊が向かった第三次の救出後も、犠牲者は増えつづけた。そこでも24人の死者を出し、実に50人が命を落とす結果になるのである。
いったい原因は、どこにあるのか――。
P243
取材を重ねるうち、双葉病院の救出が遅れた原因の一つに、災害対策本部が、吸いあげられた情報の整理を怠ったからではないか、という疑念が湧いてきた。
むろん、輸送支援隊長の乗り逃げ事件などを含め、救出遅れの理由は一つではないに相違ない。ただ、情報の扱いをぞんざいにした結果、自衛隊や警察に的確な指示をできなかったように思えてならない。
P246
恐怖のあまり、ときに人は保身に走り、利己的にもなった。それもまた、現実である。生きてきた背景というと大袈裟かもしれないが、人はそれぞれ背負っているものがある。仕事や家庭、生活設計や趣味、娯楽にいたるまで、人生観が異なる。それゆえ仮に他人からは保身に走ったようにみえても、それを責めることはできない。
しかし、人間の我欲や保身は、往々にして他の犠牲のうえになりたっている。とすれば、せめて自己を振り返り、そのことを自覚しなけっればならないのではないだろうか。
震災は日本全体に大きな光と影を落とした。まさしくその光と影を見つめ直す必要があるように思えてならない。
【ネット上の紹介】
福島第一原発から4.5キロ地点にある老人病院で、何が起こったのか。患者を置き去り死させたと報じられた「双葉病院」の168時間。
[要旨]
行政と自衛隊は老人50人の命を奪った!現れない救援車両、真っ暗闇の院内、病院の車で逃げた自衛隊員―その中で孤軍奮闘する医師たちが着せられた汚名。放射能がとびかう中での「報道の暴力」。
[目次]
第1章 発生―三月十一日修羅場と化した医療現場;第2章 迷走―三月十二日バス「災害避難」の現実;第3章 孤立―三月十二日医師たちの覚悟;第4章 空白―三月十三日病院の中と外で;第5章 裏切り―三月十四日自衛隊救出の実態;第6章 苦悩―三月十五日「置き去り」誤報の真実;第7章 落命―三月十六日救出後の悲劇;第8章 誤報―三月十七日なぜ事実はねじ曲げられたか