【ぼちぼちクライミング&読書】

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「檀林皇后私譜」(上・下)杉本苑子

2019年12月08日 08時41分45秒 | 読書(歴史/時代)
「檀林皇后私譜」(上・下)杉本苑子

檀林皇后=橘 嘉智子の生涯を描いた作品。
どうして読む気になったかというと・・・

死に臨んで、自らの遺体を埋葬せず路傍に放置せよと遺言し、帷子辻において遺体が腐乱して白骨化していく様子を人々に示したといわれる。または、その遺体の変化の過程を絵師に描かせたという伝説がある。(by Wikipedia)

いったいどんな生涯を送ったらこのような心境になるのか、気になった。
皇后と言えば、女性の最高位の位・・・そこまで上りつめて「路傍に放置」、ってどういう事?! ちなみに、野に捨てられた死体が腐乱し、白骨となる様を主題とした絵画を「九相図」と言うそうで、その死体の元となる人物が美女であるほど衝撃が強い。(故に、小野小町、檀林皇后の九相図が有名・・・つまり、2人は絶世の美人だった、と)

P156(下巻)
「聞いたことがありますか嘉智子さん、『藤原四兄弟の死』について・・・・・・」
 安子は問いかけてきた。
「ええ、おぼろ気に耳にした記憶がありますわ」
「南家、北家、式家、京家――いわゆる藤原四家の始祖たちです。三都子どのや三守どのの曾祖父は南家を創始した武智麻呂公だし、冬嗣どのは北家を創った房前公の曾孫、亡くなった薬子夫人や仲成卿は、式家の宇合どのを曾祖父に持つ家系でした」

P161
藤原不比等と橘三千代の婚姻に遡るまでもなく、藤橘(とうきつ)二氏は血の混じり合った姻戚として、共に助け合い、栄えていってよい間柄であった。

桓武天皇から始まり、平城、嵯峨、淳和、仁明、文徳と移り変わっている。
都は、平城京から長岡京、平安京へと移り変わる。
複雑な血縁関係のなか、物語が展開する。
橘嘉智子は美貌で知られていたが、目をつけたのが藤原北家・冬嗣。
権力闘争に利用する。
事件としては、薬子の変、承和の変が描かれる。
橘嘉智子は後に日本最古の禅院・檀林寺を創建したことから檀林皇后と呼ばれる。
最澄、空海と同時代人で、空海の影響で禅を学び、さらに身の回りの権力闘争による栄枯盛衰から諸行無常を体感し、その死生観を獲得したものと思われる。
本書では、他に有名人として、坂上田村麻呂、橘逸勢が登場する。

【ネット上の紹介】
平安時代前期を舞台に、皇位継承をめぐり骨肉相争う藤原氏一族の権謀の歴史を、壇林皇后橘嘉智子の視点を通してリアルに描く壮大な史劇。

「尼首二十万石」宮本昌孝

2019年12月05日 20時32分52秒 | 読書(歴史/時代)
「尼首二十万石」宮本昌孝

以前、「影十手活殺帖」「おねだり女房 影十手活殺帖」の2冊を読んだ。
本書「尼首二十万石」は、順番として最初の作品に当たる。
おそらく、本作の評判が良かったから、後に2冊書かれたのだと思う。

P17
街道を、こちらに駆け向かってくる女に眼をとめた。
髷はざんばら、小袖の胸元も裾も乱れるのもかまわず、汗まみれの必死の形相で、脛を送りだしている。履物をどこかで失くしたのだろう、土埃を舞い上げる素足が痛々しい。
〈心魂に徹し鎌倉まで裸足〉
東慶寺への駆込女の一風景をとらえた川柳だが、まさしくそのままではないか。

【ネット上の紹介】
尼寺の鎌倉・東慶寺御用宿につとめる和三郎は、駈込女を助けたことから幕府の陰謀と甲府十五万石の柳沢家の秘事にまきこまれる―表題作をはじめ、織田信長の子で武田家の人質となる源三郎勝長の生涯に迫る「最後の赤備え」など時代の渦に翻弄された者たちの数奇な運命を描く傑作六編を収めた時代小説集。

遺言と覚書

2019年12月05日 20時01分53秒 | 身辺雑記
市役所で1か月に1回「相談日」があり、専門家の方が相談にのってくれる。
遺言について一般的な知識を得たくて行ってきた。
遺言の書式に必要なもの。
①日付
②名前
③ハンコ
④自書、自署
来年2020年から法務局に預けることが出来るようになるそうだ。
ただ、遺言書を作っても実行されるのか、って問題が残る。
すると、行政書士、司法書士、弁護士などのプロに依頼するしかない。
あるいは、大手銀行では「遺言信託」のような名称で終活サポートをしているようだ。
一度、銀行に行って聞いてこようと思う。

なぜこんな事を考えるかと言うと、私が親より早く死んだ場合、を想定している。
すると、私の財産(というほど大した金額ではないが)は、100%親に渡る。
その後、余ったら国に没収される・・・これでいいのか、って事だ。

私が長生きすればいい話だが、山とクライミングをやってるから、万一ということがある。安全第一を心がけたい。

【覚書】
本日は、市役所→図書館→病院(退院手続き+支払い)→老人ホーム、と車で移動して忙しかった。

権現山996m~ホッケ山1050m~蓬莱山1,171m

2019年12月04日 21時45分04秒 | 登山&アウトドア(関西)
久しぶりに、権現山996m~ホッケ山1050m~蓬莱山1,174m、と縦走した。
但し、今回は趣向を変えた。
いつも琵琶湖の反対側から権現山に登って、小女郎峠から蓬莱駅に下りている。
今回は琵琶湖側から権現山に登って、蓬莱山から直接蓬莱駅に下山した。
権現山996mに到着
琵琶湖大橋が見える
ここはホッケ山・・・向こうの方に蓬莱山1,174mが見える
やっと蓬莱山1,174mに到着
金比羅峠経由で下山した

【感想】
京都駅の乗り換えで手間取り、予定の電車に乗れなかった。
これにより、和邇駅のバスをのがす。
和迩駅から登山口の栗原まで2時間くらいアスファルト道を歩いて疲れた。
登山口から権現山の登山道は分かりやすい良い道。
最後の30分が急登になる。

総合的に判断するなら、琵琶湖の逆のバス停『平』からの登山道の方が雰囲気は良い。ガイドブックもこちらを推奨している。難点は、堅田発8:50分のバスに乗る必要がある、ってこと。(もっと早く登って、早く下山したいなら、別な方法を考えねばならない)
バスに乗り遅れず、栗原から登山を開始したら、快適だったと思う。もっと良い印象を持ったかもしれない。

下山路について、金比羅峠経由の道は悪くない。
小女郎峠からの下山路はヒルがいる、って聞いたのでむしろこちが良いかも。
山頂から金比羅までの道で、崩落しているところがあり、そこを避ける為のエスケープ箇所が悪い・・・残置ロープがあるが、雨だとすべって転けるかも。
金比羅峠から蓬莱駅までの道は明瞭で分かりやすい。林道部分が多いので迷うことがないでしょう。

【データ】1
タイム7:22
距離18.0km
上り1,534m
下り1,535m

【データ】2
スタート8:57「JR和邇駅」
登山口10:54
権現山12:24
ホッケ山12:54
小女郎峠13:20
蓬莱山13:46
ゴール16:20「JR蓬莱駅」

「わたしの日々」水木しげる

2019年12月03日 07時45分24秒 | 読書(マンガ/アニメ)
「わたしの日々」水木しげる

著者最晩年の日常を描いたコミック・エッセイ。
全ページ・カラーなのが嬉しい。


このトシになると、ボケてきたのか冴えてきたのか
よく分からなくなるから不思議だ


人生の幸せは80歳を過ぎてからです、水木さんはこれからも
“屁のような人生”を送りますヨ


【ネット上の紹介】
93歳の作者が描くオールカラーコミック! 愛する家族との静かな暮らし、少年の頃から描き続けてきた様々な画、目をつぶると思い出す戦時中の光景… 誰もが知るコミック界の長老が、その数奇な人生で脳裏に焼き付けた数々のエピソードを語るカラーコミック。静かな鳥取・境港の幼少時代、灼熱の南方戦線での恐怖と焦燥の日々、長年住み続けた東京・調布での日課である散歩の道行き…… そのすべてが、豊かな色彩感覚でオールカラーのショートコミック連作に結実しました。【編集担当からのおすすめ情報】 少年時代からずっと絵を描いてきた作者の、波瀾万丈の人生を自ら絵で物語る…… 少年時代や戦地で描いた絵も多数収録。

「〈性〉なる家族」信田さよ子

2019年12月01日 20時32分10秒 | 読書(家族)
「〈性〉なる家族」信田さよ子

家族の性をテーマにした力作。
長年のカウンセラーとしての経験を基に、DV、虐待の問題を考える。

PC(ポリティカル・コレクトネス)について
P32
ここでいう「ポリティカル」を政治的にと訳すと、誤解を招く。私自身がもっともしっくりくるのは「力関係による」という訳語である。

男性の性的欲望は原子力のようなものなのか?
P68
性犯罪者は性衝動が人一倍強いのではないかという見方もあるだろう。しかし本当にそうだろうか。

性犯罪者について
P72
彼らは目的達成のために膨大なエネルギーを注ぎ、事前の準備を重ね獲物を逃さないように工夫する。一種異様ともいえるこの感覚(モード)はいつも作動しているわけではない。ある時からスイッチが入るのだ。性犯罪の再発予防はこのスイッチが何かということを本人が知ることが第一歩となる。

P88
世間から後ろ指をさされないという一点しか誇れるものがないことがよくわかっているからこそ、足元の脆弱さ、性的に満たされた記憶もないまま老いていく不安などがすべて娘への叱責に集約されるのだ。

P97
支配とは、抵抗や反論、拒否を奪うことであり、抵抗を弾圧したり抑圧したりすることだけが支配ではない。

P100
「男は手のひらで転がせばいいのよ」この日本中に広がってる民間伝承的な格言は、女性たちの「自分が男を動かしている」という権力意識にもつながる。脆弱性の保護を女性が担うということは何を意味するのか。そこから生まれるのは、踏みつけにされた存在による、「男たちを生かしているのは私たち女だ」という転倒した支配意識である。

『戦争とトラウマ』(中村江里)について
P207
しかしこの本を読むと、戦時中、数多くの日本軍兵士が主として満州の戦地で精神を病み、帰国して入院していたということがわかる。それは戦闘というより日本軍内部の私的暴力(リンチ・いじめ)のトラウマが多かったという。

P217
つまり最も私的で最も見えにくい家族で起きていることは、国家のレベルで起きていることと連動しており、容認されているということだ。国家の暴力を規制する法律はないし、日本ではDV加害者を処罰する法律もない。言い換えれば、国家間も家族も、ともに無法地帯になりがちなのだ。

P219
日本の犯罪発生率は減少の一途をたどっているといわれるが、家族による殺人の割合は増えているという。

【参考リンク】
「〈性〉なる家族」信田さよ子

【ネット上の紹介】
家族の基盤にありながら、あえて真正面から対峙しなければ視野に入らないものがある。性虐待、ジェンダー、セクシュアリティ、性差別…。タブー視されがちな問題を、長年のカウンセリング経験をもとに、様々な角度から考察。力関係としての性を明るみにし、家族の今と未来を展望する。
第1章 性虐待の背景にあるもの(娘が「かわいい」と語る父親
少女が支える家族 ほか)
第2章 家族神話を生きる妻(神話を支える妻たち
セックスという名の深い河 ほか)
第3章 不可視化された暴力(加害者を嘲笑せよ
マジョリティであることの恐怖 ほか)
第4章 トラウマと時間(セクハラ元年、メディアの変化
トラウマと引き金 ほか)