(2019年9月18日付毎日新聞朝刊)
今回の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の展示の一つである企画展「表現の不自由展・その後」が抗議電話やメールなどで中止に追い込まれた原因は、芸術祭芸術監督である津田大介の認識の甘さにあったと思う。ジャーナリストとして知名度を持つ津田はこれまで嫌がらせを受けたことがなかったのかと思うほど、無防備だったことに驚かされた。
「表現の不自由展・その後」が再開されることを受けて津田は10月9日のTBSの朝の情報番組である『グッとラック!』に出演していたのであるが、MCで落語家の立川志らくの発言には呆れてしまった。
どうも志らくは昭和天皇の写真を踏みにじったり燃やしたりした作品が気にいらなかったようで、津田に「お子さんじゃなくても自分の親、子供にいろんな理由をつけてそれも表現だといって自分の親の写真を焼いたり踏んだりそれも芸術だと言ったらどうしますか?」と問いかけていたのだが、例えば、津田の親の写真を焼いたり踏んだりしたらそれはもちろん津田に対する「ヘイト」であり、日本人の言動を左右する天皇陛下の「イコン」を扱うのとはわけが違うのだから、一般の親や子供と天皇陛下を同じ俎上に載せるのは乱暴すぎる。実際、志らくは『グッとラック!』の初回の9月30日の放送回で文化庁が補助金の交付をしないことを発表したことに対し、「政治家たちの芸術に対する認識の低さが招いた悲劇」と文化庁側を批判し、「不愉快なものを含めて、それが芸術」としていたのではなかったか。
美術館という場所の意義は印象派の出現あたりから変わってきたのであるが、決定的な出来事はマルセル・デュシャンが1917年に「ニューヨーク・アンデパンダン展」において『噴水(Fountain)』と称して「リチャード・マット (R. Mutt)」という署名をした男子用小便器を展示したことである。つまり美術館は「これが芸術だ」という観点から「これは芸術なの?」という観点で作品が展示されるようになったのであり、「これは芸術なの?」という問いに堪えられた作品はその後も展示され続け、堪えられなかった作品は必然的に消えていくのである。
どうも志らくは昭和天皇の写真を踏みにじったり燃やしたりした作品が気にいらなかったようで、津田に「お子さんじゃなくても自分の親、子供にいろんな理由をつけてそれも表現だといって自分の親の写真を焼いたり踏んだりそれも芸術だと言ったらどうしますか?」と問いかけていたのだが、例えば、津田の親の写真を焼いたり踏んだりしたらそれはもちろん津田に対する「ヘイト」であり、日本人の言動を左右する天皇陛下の「イコン」を扱うのとはわけが違うのだから、一般の親や子供と天皇陛下を同じ俎上に載せるのは乱暴すぎる。実際、志らくは『グッとラック!』の初回の9月30日の放送回で文化庁が補助金の交付をしないことを発表したことに対し、「政治家たちの芸術に対する認識の低さが招いた悲劇」と文化庁側を批判し、「不愉快なものを含めて、それが芸術」としていたのではなかったか。
美術館という場所の意義は印象派の出現あたりから変わってきたのであるが、決定的な出来事はマルセル・デュシャンが1917年に「ニューヨーク・アンデパンダン展」において『噴水(Fountain)』と称して「リチャード・マット (R. Mutt)」という署名をした男子用小便器を展示したことである。つまり美術館は「これが芸術だ」という観点から「これは芸術なの?」という観点で作品が展示されるようになったのであり、「これは芸術なの?」という問いに堪えられた作品はその後も展示され続け、堪えられなかった作品は必然的に消えていくのである。
美術館はとりあえず本来の場所や文脈から「作品」を取り出して、判断を中止(エポケー)して観賞する試みの場所に他ならないはずなのだが、いくら落語家といえども立川志らくは芸術に関して感情的で無知過ぎると思う。「そんなことも知らないのか、バカだな~」と言いたい衝動を抑えて丁寧に説明していた津田はこれでプラスマイナスゼロになった。