原題:『Joker』
監督:トッド・フィリップス
脚本:トッド・フィリップス/スコット・シルヴァー
撮影:ローレンス・シャー
出演:ホアキン・フェニックス/ロバート・デ・ニーロ/ザジー・ビーツ/フランセス・コンロイ
2019年/アメリカ
ジョーカーのジョークの悪質性について
とかく主人公のジョーカーを演じたホアキン・フェニックスの熱演に目が行きがちだが、『バットマン』(ティム・バートン監督 1989年)のジャック・ニコルソンにしても『ダークナイト』(クリストファー・ノーラン監督 2008年)のヒース・レジャーにしてもその演技が称賛されているわけだから、これはジョーカーというキャラクターが主演に「憑依」すると捉えるべきなのかもしれない。
もちろん主演の熱演だけで名作が生まれるわけではなく、例えば、主人公のアーサー・フレックが市立施設で黒人の心理カウンセラーのデボラ・ケイン(Deborah Kane)の面談を受けている11時11分、同じ時間を指している時計の下で留置所にいるアーサーの映像が挿入される場面があるのだが、それは留置所に入っていてもいなくてもアーサーの生活環境は変わらないことが暗示されているはずである。
ところでラストシーンは意味深長である。手錠をはめられたアーサーが黒人のソーシャルワーカーのカウンセリングを受けている場面で、「あるジョークを思いついた」と言ったアーサーにカウンセラーがどのようなジョークかと訊くのだが、アーサーは「あなたには分からない」と言った後に、そのカウンセラーを殺して部屋から逃げ出すのである。
では何故この黒人のカウンセラーにはこのジョークが分からないのか勘案するならば、それまでアーサーは黒人の女性に怨みがあり、デボラ・ケインには市の財政事情から面談の打ち切りを告げられ、バスに乗車した際にも、子供をあやしているつもりが、その黒人の母親に叱責され、アーサーが住むアパートの同じ階に住むシングルマザーの黒人女性のソフィー・デュモンドとの関係はアーサーの幻想であり、アーサーは黒人女性に酷い目に遭っていると感じていたはずで、その黒人カウンセラーを殺すことでその憂さを晴らそうとする理不尽をその黒人カウンセラーが知る術はないからである。
このブラックジョークは女性蔑視と黒人嫌いとのてんこ盛りだが、これはジョーカーの性格の問題だから仕方がないと思う。