MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

社会を美しくする方法について

2019-10-29 00:21:42 | 美術


(2019年10月25日付毎日新聞夕刊)

 2019年10月25日付毎日新聞夕刊の「『表現の不自由展・その後』物議の実態は」という江畑佳明記者の記事は「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」の「その後」の良質なレポートだと思う。
 実際に展示室に入った記者は「平和の少女像」に触れて銅像ではなく樹脂で出来ていることを確認し、勝手な解釈と断りながら「戦争や性暴力の被害について考えて欲しい」という作家の思いが伝わってきたと記している。
 あるいは昭和天皇の顔が描かれた紙が燃える場面で始まる、美術家の大浦信行の映像作品「遠近を抱えて PartⅡ」を観て記者は「終盤、紙が全て燃え、燃えかすが靴でかき消される。批判の多くは、おそらくこの場面を指して『天皇陛下の写真を燃やして踏みつける』と訴えているのだろう。だが記者には、残り火が燃え広がらないようにしているようにも受け取れた。たばこの火を足で消すような『踏みつける』動作には見えなかったからだ。」と感想を記している。
 要するにこれらの作品は美術館にある限り「筆致」が問われているのであって、政治が問われているのではない。作品を批判する人々は単に自分勝手に捉えた「イメージ」だけで批判しているだけで、作品そのものを語り損ねており、そのようにひとつの物事を丁寧に議論できない社会の未来にはファシズムしかあり得ないと思うのである。
 今回の騒動を見ているとやはり19世紀後半の印象派作品のぞんざいな扱われ方を想起させる。もしもあの時、印象派の作品を人類が捉え損ねて全ての作品を失っていたら、今の私たちが暮す社会がこれほど美しく楽しいものになっていただろうか。


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