マダムと女房
1931年/日本
音に悩まされるトーキー映画
総合
90点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
日本初の本格的なトーキー映画が、主人公の芝野新作という劇作家が、‘音’の出ない油絵を描いている画家に因縁をつけているシーンから始めるところが洒落ているのであるが、やがて芝野はその音に悩まされることになる。
いざ新居に引っ越して仕事をしようとすると屋根裏でネズミが走る音や、猫の鳴き声や赤ん坊の泣き声や娘のテル子のぐずる声でなかなか仕事が手につかない。他方、眠っていればテル子が目覚まし時計やハンドベルを鳴らし、ぐっすり眠ることもできないのである。
再び仕事に取り掛かろうとしても隣人のジャズシンガーの山川滝子が率いるジャズバンドが出すリハーサルの音が気になる。窓を閉めても風呂敷をかぶっても音が聞こえるのであるが、文句を言いに相手の家を訪れるシーンでは何故か音が小さくなっている。何と芝野は耳栓をしているからであるのだが、何故か相手と会話は成立してしまい、メンバーたちと意気投合するとビールやコーヒーを振舞われてすっかり良い気分で帰宅する。しかし自宅に戻って仕事に取り掛かろうとするとヤキモチを焼いた妻に足踏みミシンの音で邪魔されてしまうのである。
やがて家族全員で買い物に行って帰る頃には芝野は飛行機の音にも寛容になり、旅行プランを妻と語りだす。隣家から聞こえる音に合わせて妻と一緒に「私の青空」を歌うことに夢中になり、音を発することなくベビーカーの中で眠っている赤ん坊を忘れるくらいに音に慣れてしまう。この音にこだわったストーリー展開は特筆に値するはずであるが、古い素材のためにその肝心のサウンドトラックが不明瞭なところが惜しい。
財務相、会談に引っ張りだこ アベノミクスに各国関心(朝日新聞) - goo ニュース
今回のG20財務相・中央銀行総裁会議において、世界の金融市場を動かしているように
見える「アベノミクス」による急速な円安への関心を反映し、各国閣僚らから麻生太郎への
個別会談の申し込みが相次いだ理由は、米紙ウォールストリート・ジャーナル電子版に写真
が掲載された麻生のファッションでも明らかなように、日本からは財務大臣が出席するという
ことだったが、何故かジャパニーズ・マフィアのボスがやって来たと勘違いされたかららしい。
あの衣装は真面目なチョイスだったのか、あるいはオタク心によるコスプレだったのか
きいろいゾウ
2013年/日本
テクニックを重視した演出について
総合
70点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
主人公の無辜歩(むこあゆむ)と妻利愛子(つまりあいこ)がそれぞれ「ムコ」と「ツマ」と呼ばれているところを見ると、2人はカップルの原型として提示されているのであろう。実際に、アレチとセイカという年老いたカップル、夏目と彼の妻の緑の熟年カップル、そして大地と洋子という幼いカップルが2人の周りを囲み、ムコの突然のプロポーズに答えたツマは一緒に暮らしながらムコは日記に、ツマは木々や動物たちと会話を交わすことで相手の気持ちを探り合っていく。
そのような経緯で結婚したカップルだからお互いのことはよく分からないのであるが、それは本作を観ている観客も同様で、しばらくは固定カメラと長回しで映し出される2人の日常生活を見ながら状況を推察するしかない。
それまできっちりとした構図で固定カメラにより撮られていた映像がブレるところが二箇所ある。最初はツマとムコが水道の蛇口を巡って攻防するシーンであり、もう一箇所はムコがツマにプロポーズするシーンである。どちらも本音を露にする場面で、この二箇所のハンディカメラの使い方が上手いと思う。特にプロポーズするシーンの画面の微妙な傾き具合が、それまでの固定カメラの‘正確’な映像とは対照的なシュールさを醸し出していて面白い。
やがてお互いの気持ちが理解できるようになってきた頃にムコは日記を書くことを止め、ツマは木々や動物たちと会話を交わさなくなるのである。ストーリーよりもテクニックを重視した思い切った演出は個人的には嫌いではない。
「紀信さんに憧れ…」越えた一線 ガガさんら撮影、有名カメラマンの写真集は男性器のオンパレードだった(産経新聞) - goo ニュース
シンガポール国籍の写真家のレスリー・キーの問題となった写真集に関して捜査関係者
が、わいせつDVDや写真集などの摘発に慣れた捜査員でさえも、顔を背けたくなるような
内容で「あれはアートではない。明らかにアウト(違法)」という気のきいたようなコメントを
うかつに信用しない理由は、アレクサンドル・ソクーロフ監督の2011年の作品『ファウスト』
の冒頭のシーンで映し出される男性器でさえぼかしを入れられているためで、要するに
たとえアートでも“アウト”になってしまうからだが、さすがに射精する場面まで掲載されて
いるのであるならば擁護しようがない。「ぎりぎりのタブーに挑戦したかった。男性のヌード
は出版点数が少ない。これなら世界的に評価されると思った」とレスリー・キーは言っている
ようだが、それならば日本で出版しなくてもよかったように思う。
ムーンライズ・キングダム
2012年/アメリカ
ウェス・アンダーソンの美意識
総合
80点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
ウェス・アンダーソン監督には全く映像で物語を紡ぎ出そうという意思が感じられない。あたかもカメラを左から右に移動させれば何かが起こるだろうと楽天的なのであるが、さすがに誰も出てこなければ困るという程度の考えで、ベンジャミン・ブリテンの『青少年のための管弦楽入門 - パーセルの主題による変奏曲とフーガ 作品34』を利用し、楽器が次々と登場してオーケストラを形成するように、本作も主人公のカーラ・ヘイワードの弟たちから現れてくる。
ランディ・ウォード隊長が率いるボーイスカウトのキャンプ地も同様に左から右へ移動するカメラによって撮られるのであるが、これでは話が進展しないために、もうひとりの主人公であるサム・シャークスキーをカーラと駆け落ちさせるものの、その過程が劇的なのかといえば、例えば、キャンプ地から警察や社会福祉課への連絡場面は画面を二分割させ、エモーショナルな演出を排して、あくまでもフォーマットにこだわりを見せるのである。駆け落ちしたサムとカーラも、12歳という若さ故に、ボーイスカウトという経験からサムはキャンプ用品を用意するが、カーラは6冊の本と飼い猫と弟のレコードプレイヤーを持ってきて、曲のタイトルに沿うようにフランソワーズ・アルディの「Le Temps de l’Amour(愛の時間)」に合わせて踊っている有様で、物語にのめり込むことはなく、クライマックスにおいてさえ落下しそうになった塔からかろうじてぶら下がっている3人の様子などは、前作の『ファンタスティック Mr.FOX 』(2009年)のようなアニメーションに見える。
それはラストにおいてもスタッフの名前が次々と現れるエンドロールと共に、『青少年のための管弦楽入門』を繰り返す徹底ぶりで、そのキッチュでフォーマルな美意識に唸るしかない。
愛称希望はスマイルジャパン!高須院長10億円支援プランも/アイスホッケー(サンケイスポーツ) - goo ニュース
来年2月のソチ五輪の出場権を獲得した日本女子アイスホッケーチームであるが、日本の
女子サッカーや女子バレーボールのように盛り上がるかどうかは微妙な感じで、ルールなど
はそれほど難しくはないだろうからいいとしても、彼女たちは防具として顔を覆うヘルメットを
付けなければならないため、観客は試合中に選手たちの顔を見ることが出来ない。男子
のアイスホッケーであるならば、パワープレイを見せればいいとしても、女子の場合は、
もちろん差別と言われればそれまでなのだが、他の競技のように試合中に顔が見えない
のは盛り上がりに欠けてしまうのではないだろうかだから愛称に関し「スマイルジャパン」
が候補として挙がっているのであるが、私は「ペコリジャパン」の方が良いと思う。
花の詩女 ゴティックメード
2012年/日本
‘手塚治虫的’の現代性について
総合
60点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
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冒頭のシーンを観た第一印象は宮崎駿でも富野由悠季でもなく、何故か手塚治虫のような作画のタッチだったが、物語の進行と共にこの印象は確信へと変わる。巨大戦闘ロボットは登場するものの、平和をテーマとする本作は、例えば『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』(庵野秀明監督 2012年)のような派手な戦闘シーンは一切ないどころか、ヒロインのベリン・アジェリから主人公のドナウ帝国のドナウ・ガァ・トリハロン皇子は武器を使用しているところや皇帝機自体でさえの人々の目につかないように注意を受ける。そんなベリンに対してトリハロン皇子は彼女に付いている護衛の女性たちの存在を指摘し、平和を唱えながら護衛が付いているという矛盾を突くのであるが、この議論はそれ以上発展しない。
尽力により周辺諸国と共に東西に分断されていた列強を一つにまとめる17年前のトリハロン皇子と、先祖から営々と受け継ぐ預言者の詩女(うため)である少女のベリンの出会いが‘前日譚’として描かれている本作は、流血を減らす約束を交わし平和の願いを込めて花の種子を撒くというオチで終わるのであるが、その手塚治虫的な善良なストーリーはその気持ちは分かるものの時代に沿っていないと思う。
「調教されてる動物と一緒や」…体罰問題報告書(読売新聞) - goo ニュース
2013年2月14日付の毎日新聞夕刊に文芸評論家の斎藤美奈子が「甘い社会が見過ごす
暴力」という論評を寄稿しており、詳細は避けるが、2007年2月に文部科学省が体罰の
一部を事実上容認する通知をだした第一次安倍内閣において、第二次になって変わったか
と言えば、例えば、谷川弥一文科副大臣が昨年の12月に「いじめ問題では学校に怖い人、
武道家がいる方がいい。一番いいのはボクシング。空手・プロレスも。いなかったら警察の
OB」という発言から、「このような認識が体罰をはびこらせる。脅しの奨励である上、格闘技
への誤解も甚だしい。」と、全く暴力に関して旧態依然としている日本の惨状を憂いている。
ところで先日の「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで」においてココリコの遠藤章造が
女性の“調教”の仕方をとつとつと語っていたが、おそらく高校の野球部で受けた“調教”の
快感が忘れられないのであろう。
ゴーストライダー2
2012年/アメリカ
共感しにくいダークヒーロー
総合
60点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
赤茶けた炎に包まれているドクロがバイクを運転しているという主人公のゴーストライダー(=ジョニー・ブレイズ)のイメージは理屈抜きで面白いと思う。時々背景を真っ白にしたり真っ黒にしたりする演出もしゃれていると思うが、敵対するロアークや、触れるものをことごとく灰にしてしまうブラックアウトに化したレイ・キャリガンがゴーストライダーに一撃で殺られてしまい、一番の見せ所が呆気なく終わってしまうことは盛り上がりに欠ける。それはジョニー・ブレイズが父親を死から救おうと悪魔と契約したことが、そもそも父親のためではなく自分自身のためだったという心情が理解しがたく、悪と戦っているダークヒーローがロアークを倒してダニーを生き返らせたことで赤茶けていた炎が青白く変わり、それが天使をイメージすることになり、おそらく『ゴーストライダー3』の伏線なのであろうが、それはダニーを救ったためなのか父親の復讐を果たした結果なのかはっきりせず、どうも善悪の区別が分かりにくい。ヴィジュアルの作り方が良いだけに脚本の緩さが目立つ。
それにしても作品の出来の善し悪しに関わらず、ニコラス・ケイジのB級映画へのはまり具合は右に出る者がいない。
R-1優勝は三浦マイルド!ボロ負けのスギちゃんとキンタロー。は「公開フライング・ベッド」(クランクイン!) - goo ニュース
1回戦で「広島弁を意訳したフリップ芸」を、2回戦は「道路交通警備員西岡さんの言葉ネタ」
とネタの種類を一変させながら質を落とさなかった三浦マイルドが審査員の満場一致で
優勝したことは桂文枝が指摘した通りだと思う。キンタロー。とスギちゃんは見飽きたとは
言わないまでも確かに新鮮味は無かった。特にスギちゃんは大会という場所でどのネタが
受けるか試しているという余裕をこいていたことが気になったが、それ以上に気になった
存在がプラスマイナス岩橋で、彼は生放送の本番だということに気がつかずに、まだ
リハーサルをしているような緩さだった。優勝を逃したアンドーひであきの洗練された芸が
お笑いというジャンルに属するのかどうか微妙ではあるが、華があるから確実に営業の仕事
は増えるだろう。