レッド・ライト
2012年/スペイン=アメリカ
捉えきれない謎
総合 80点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
本作をスリラーサスペンスとして見るならば、その解りにくさに辟易してしまうかもしれないが、ロドリゴ・コルテス監督による科学と超能力を巡る真面目な考察であるならば、大いに考えさせられるものであり、因ってここでは完全なネタバレの上で論を進めることになる。
大学で物理学を教えているマーガレット・マシスンと彼女の助手を務めているトム・バックリーは、ラップ現象が起きる家やピカソやモディリアーニやムンクのような絵を描いている少年を訪ねてはその超常現象の嘘を暴いていくのであるが、後に分かるようにマシスンは超能力がデタラメであることを証明しようとしていたが、バックリーは自分と同じような本物の超能力者を探しているのである。しかしこの点は微妙な問題を孕んでいる。超能力を全否定しているマシスンは、それでも生命維持装置をつけたまま意識不明で病床で眠っている息子が何かの力で眠りから覚めることを期待しているのであるが、バックリーは自分の母親の病気を察知することさえ出来ず、自分ではコントロール出来ないまま母親を救えなかった自身の超能力に嫌悪しているからである。
マシスンに反対されても、30年前に引退した伝説の超能力者サイモン・シルバーをバックリーが調査する理由は、シルバーが本物の超能力者であることを期待してのことだったが、トイレでシルバーの部下の男に襲われ、怒りと共にショーの会場に姿を現したバックリーが超常現象を起こす。シルバーに「どうやったのか?」と尋ねられてもバックリー自身にも分からないために答えようがない。
本作は時代設定がよく分からない。バックリーがラップ音を録音する機械は何故かオープンリールのテープレコーダーであるし、携帯電話は使われているが、公衆電話も使われている。いかにもB級テイストを漂わせているのであるが、サイモン・シルバーの能力を調査するために大学が撮影した記録フィルムには「2011年11月」となっている。
ところで唐突のラストカットは観客に冒頭のラップ現象に悩まされていた家族の家を再び思い出させる。確かに家族の要請で除霊を試みていた女性霊媒師のトリックはその後の大学の講義でマシスンがタネを明かしていたが、家の玄関先でマシスンが女の子に音を立ててはいけないと注意した意図は、女の子が家の二階で飛び跳ねてはいけないということだったはずなのだが、女の子にしてみれば二度と超能力を使ってはいけないという意味に解釈したのではなかったのかと邪推させてしまうのである。
麻里子様「カワイイ区長」退任…「男女差別を助長」市民苦情に福岡市が判断(スポーツ報知) - goo ニュース
地元の福岡のために無償で協力していていたのに、本人に何の落ち度もなく区長を退任
させられる篠田麻里子にしたら無駄なイメージダウンを被りとんだ災難であるが、福岡市の
PRのためインターネット上に設けた仮想行政区「カワイイ区」に関し、「カワイイ女子を奨励
することは女性の自立を阻む」「男女差別を助長する」などの苦情を寄せている人たちは、
女性の社会的な自立の阻害や男性優位を助長するというような意図はなく、2月22日の
TBSテレビで放送されていた「ゴロウ・デラックス」に出演していた漫画家の久保ミツロウが
言っていた、いわゆる“美人じゃない業界”の人々なのであろう。
ヒンデンブルグ 第三帝国の陰謀
2011年/ドイツ
3時間の壁について
総合 70点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
本作で扱われている1937年5月6日のアメリカ合衆国ニュージャージー州レイクハーストにある飛行場で発生したヒンデンブルグ号爆発事件は生々しいニュース映画が残っており、1969年に発売されたイギリスのハードロックバンド、レッド・ツェッペリンのデビューアルバムのジャケットにもイメージが使用されたこともあって、かなり周知されている大惨事であるが、その強烈なイメージに霞んでしまい忘れ去られていた偽史が本作の主題である。
確かに作品の冒頭とラストに置かれたセントエルモスの火による飛行船の爆破シーンの再現は非常に上手く描かれているものの、例えば、ツェッペリン飛行船会社の設計技師である主人公のマーテン・クルーガーと、アメリカの石油会社社長エドワード・ヴァンザントの娘のジェニファーの婚約者であるドイツ貴族の息子フリッツ・リッテンベルクが、飛行船に積まれた爆発物を巡ってトイレ内で喧嘩になり、爆発物を仕掛けることを命じた犯人としてジェニファーの名前を上げたまま絶命するシーンなどは意図がよく分からないのであるが、この3時間あるテレビ映画は1時間50分ほどに短縮されているため、全体の3分の1以上もカットされればストーリーに難が生じることは避けられないだろう。
しかし最近の作品は結構長いものが多く、例えば、『レ・ミゼラブル』(トム・フーパー監督 2012年)は158分、『ゼロ・ダーク・サーティ』(キャスリン・ビグロー監督 2012年)は157分、『ジャンゴ 繋がれざる者』(クエンティン・タランティーノ監督 2012年)は165分、『クラウド アトラス』(ラナ・ウォシャウスキー、トム・ティクヴァ、アンディ・ウォシャウスキー監督 2012年)は173分もあり、邦画においても『カラスの親指』(伊藤匡史監督 2012年)が160分、『横道世之介』(沖田修一監督 2013年)も160分など長尺な作品は多く、180分の作品として上映してもよかったように思う。『地獄の黙示録』(フランシス・フォード・コッポラ監督 1979年)や『ニュー・シネマ・パラダイス』(ジュゼッペ・トルナトーレ監督 1989年)など短縮版と完全版でテーマが変わることで大幅にカットする価値があった例もなくはないが、あくまでもサスペンスである本作を短縮してしまうと意味が分からなくなる。
「さっさと死ねるように」真意を説明 麻生副総理(朝日新聞) - goo ニュース
麻生太郎副総理兼財務相の1月21日の、余命わずかな高齢者など終末期の高額医療費
に関連した発言は、「死にたいと思っても生きられる。政府の金で(高額医療を)やっていると
思うと寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらうなど、いろいろと考えないと解決しない」
というもので「月に一千数百万円かかるという現実を厚生労働省は一番よく知っている」とも
付け加えている。今回麻生は、16歳で嫁ぎ、24歳で夫に先立たれ、4人の子どもを育てて
91歳で亡くなった自分の祖母の“上手い”死に際を紹介しながら、「私も72歳で、あっちの
方に近くなっている。尊厳を持って静かに死なせてもらいたいというのが率直な気持ちだ。
(報道された)意味が違うので言葉を取り消した」と語っているが、21日の発言を見れば
わかるように、麻生が問題にしていたことは尊厳ではなく高騰する医療費のことであり、
要するにお金の問題を人情の問題にすり替えているだけなのである。発言の意味が違う
ことを報道の責任になすりつけており、麻生太郎の品の悪さは死んでも治りそうにない。
グース
1996年/アメリカ
本物の‘マザー・グース’
総合 80点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
主人公の14歳のエイミー・アルデンは、両親の離婚によって母親に引き取られてニュージーランドに住んでいたのであるが、ある日、母親が運転する自動車に同乗していた時に、自損事故を起こしてしまい母親を失う。カナダのオンタリオ州に住んでいるエイミーの父親のトーマス・アルデンが趣味としてグライダーで空を飛んでいることは象徴的で、やがてエイミーが森の中で見つけ出した卵が孵化し、親を失った16羽のヒナたちに対するエイミーの選択肢は、自らも事故に遭遇した地上ではなく、‘母親’として空を飛ぶ手本を示してグースたちの生き残る可能性に賭けるしかないのである。ファミリー映画としてとてもよく出来ている。
中国のレーダー照射「騒ぎすぎ」、「日本の空気の方がたち悪い」 丹羽節連発(産経新聞) - goo ニュース
丹羽宇一郎前駐中国大使の19日の都内で講演における、「日本に帰国してびっくりした
のは皆さんが勇気ある発言をされない。思っていることを仰らない空気を感じた」「中国は
自然の空気は悪い。日本はもっとたちの悪い空気だ。どっちが本当に国民が幸せなのか」
という発言には驚いた。“思っていることを仰らない”理由は中国人のように感情を露に
して中国人が経営している店舗などを襲撃するようなことは先進国としてみっともないと
認識しているからであって、中国人に気を使える余裕がまだあるからである。中国の
自然の空気の悪さが微小粒子状物質、いわゆるPM2.5として日本に飛来して日本の
自然の空気も悪くしていることを中国通の丹羽が知らないということにも呆れてしまう。
片山容疑者「真犯人が自分の無実の罪はらして」(読売新聞) - goo ニュース
8年前のインターネット上の別の脅迫事件で捕まった時の片山祐輔はすぐに容疑を認めた
ようであるが、今回は頑なに事件への関与を否認するどころか、「(報道機関などに)真犯人
が再度メールを送って、自分の無実の罪をはらしてほしい」と話しているらしい。もしかしたら
片山は今回わざと捕まり、再び警察に誤認逮捕をさせることで警察に恥をかかせてやろうと
目論んでいるのかもしれない。しかしそれならば真犯人が存在していなければならないの
であるが、そこまで片山が“真犯人”をお膳立てしている様子はいまのところ見かけられず、
状況証拠だけでは立証出来ないと踏んだ上での賭けなのかもしれない。
警察日記
1955年/日本
皮肉なコントラスト
総合 90点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
本作は物語の巧さもさることながら、演出の構成も良く出来ている。例えば、森繁久弥が演じる主人公の吉井巡査が親に捨てられたユキ子と赤ん坊のしげるの養育の引き受け場所を探すシーンにおいて最初に横宮町役場の児童相談所に赴くのであるが、すげなく断られてしまい、横宮町立孤児収容所では2人に戸籍がないことが問題になり、横宮町立保健所は町民しか受け入れておらず、横宮町民生保護相談所は既にもぬけの殻で、結局、割烹料亭の掬水亭の内儀であるヒデが引き受けることになる。他方、人身売買の容疑をかけられた杉田モヨを巡って警察署の赤沼主任と労働基準監督所と職業安定所が奪い合うというシーンを加えることで、純真な子供は誰も面倒を見たがらないのに、容疑者は奪い合いになるという皮肉なコントラストが素晴らしいのである。
あるいは水利組合の農民たちが国税庁の査察のためにハイヤーや遊覧バスを借りる資金が無いために代わりにトラックの荷台に乗る許可を石割署長にもらおうとするものの、署長は交通安全月間を盾に許可しなかったにも関わらず、九尾通産大臣が来るということで消防自動車を借りに来た町民たちに対して、水害や火事以外の使用は認められない上に同様に交通安全月間だからということで許可しないつもりが、強引に消防自動車を使われてしまうというコントラストも皮肉が効いている。
このように本作は人情ドラマに加えて、演出の上手さによって傑作たりえているのである。
脳男
2013年/日本
脳男より恐ろしい人々
総合 70点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
いくら金持ちの娘であるとはいえ緑川紀子が単独で病院内に無数の爆弾を仕掛けることが出来るのかなど、ツッコミ所は確かに満載であるが、例えば、『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』(1969年)のような石井輝男監督テイストのカルト的な作品として見るならば悪くはない。
主人公の鈴木一郎に感情が無いかどうかは微妙な問題で、鷲谷真梨子によって行われた精神鑑定において出された「全く偏りのない平均的過ぎるテスト結果」を勘案するのであるならば、鈴木は改めて感情を‘学習’したことになるのであろうが、‘学習’したのであるならば鈴木にはブレない感情があることになり、その成果は現在アメリカのメジャーリーグで活躍している同姓同名の人物のように驚異的な身体能力を見せる。
それ以上に問題なのは鈴木一郎よりも、ベテラン刑事でありながら、あるいは有能な精神科医でありながら感情起伏の激しい茶屋や鷲谷真梨子の言動である。例えば、精神鑑定中に「私とセックスがしたい?」という鷲谷の質問は奇を衒うことで鈴木の動揺を誘う目的があったのだろうが、確かに鷲谷は美人ではあり、男なら誰でも自分を抱きたいと思っているからそのような質問が平気でできるとしても、一応誰にでも好みというものがあり、知性の高さから鈴木が鷲谷のプライドを傷つけないように配慮するという可能性が無視されていることはやっぱり気になるのである。おそらく鈴木一郎との対称性を明確にする意図があったとは思うが、あまりのオーヴァーな振る舞いに、正義のために犯罪者を抹殺する感情の無い殺人マシーンである‘脳男’の方が冷静な判断が出来ているように見えてしまうことは本作の意図に合致していないのではないだろうか。
「隕石、尖閣に落ちれば」 日テレ「バンキシャ!」で不適切発言(産経新聞) - goo ニュース
日本テレビの報道番組「真相報道 バンキシャ」で17日、ロシアの隕石落下を伝える
ニュースの中で、コメンテーターとして出演していた中国出身の経営コンサルタントの宋文洲
が、「今日思ったのはですね、尖閣諸島に落ちてくれないかと思ったんですね。なくなれば
トラブルもなくなるから」などと笑いながら語った場面を私も見ていて唖然とした。確かに
トラブルはなくなるのであろうが、それは尖閣諸島という日本の領土がなくなるという意味で
あり、同時に排他的経済水域を失う日本にメリットなど何もなく、後は中国のやりたい放題
でしかないからである。経済評論家として活躍している宋文洲がこの程度のことを知らずに
コメントしているとは思われないからタチが悪い。