青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

2021年に、また。

2018年10月24日 17時00分00秒 | 小田急電鉄

(輝ける卒業式@小田急海老名フェスタ)

またまた富山の話はひと息。ってーか富山行ってから既に一ヶ月くらい経ってんだけどまだ話終わんないのかね、とも思わなくもない。まあ他に書くネタがないから小出しにして話を引っ張ってるのは内緒。そしてどんだけの人が読んでくれているのか、もうみんな飽きて「あ、富山の話か」ってそっ閉じしてないか。という訳で(どういう訳だ)先週ラストランを終えたLSEが、先週末の小田急ファミリーフェスタ(@海老名検車区)で卒業式がてらの最終展示を行いましたよというお話。


いつもは他のロマンスカーとか、年によっちゃメトロの車両とかが並んでたりしてた海老名フェスタ。しかし今年の車両展示はLSEオンリー。いつも小田急の海老名公開って失礼ながら車両展示のスケールがショボイのでどうにかならないのかなあと思うのだけど、今回に限っては客のニーズがほぼLSEの車両展示に集中していたのでこれで良かったのかもしれない。午後の光線を狙って敢えて閉場の1時間前に行ったんだけど、素晴らしい青空の下で閉場間際まで多くのファンへ別れの姿を披露していました。


小田急本社が中心となって始まった海老名駅西口の再開発事業、建設中のマンションをバックに。LSEがデビューした38年前、海老名の駅の周りなんかちょぼっとの商店以外は田んぼしかなかった。生粋の地元民であるヨメに言わせれば、小さい頃は海老名なんてニチイ(現イオン海老名)しかなかったそうで、何かあったら本厚木のミロードか町田の小田急デパートに行っていたと。東口のビナウォーク、西口のららぽーと海老名の開業で、今や海老名は本厚木を大きく逆転した商業都市となりました。

  

長年に亘ってLSEの足元を支えた連接台車。FS508Aはデハ側に付く動力台車でした。西日を浴びて飴色に輝く車体、最後の晴れ姿を飾るに相応しく、ピカピカに磨き上げられていましたね。床下に並んだ抵抗器の美しさ。LSEの引退によって、小田急からの抵抗制御の車両が引退することになります。


これは土曜日の「さがみ」幕でのカットなのですが、翌日の日曜日は「あしがら」幕での展示だったそうで。2000年直前に消えてしまった愛称なので、さすがにあしがら幕は写真に収めた事がないなあ。「さがみ」と「あしがら」ならあしがら幕の方がレア度が高いな。去年一昨年まで、土休日朝の本厚木発のさがみにLSEが入る運用がありましたからねえ。


今回の海老名フェスタはLSE引退を記念してのグッズや、開発当時からの資料を展示した特設コーナー、完全受注の1/20スケールの模型展示など、まさにLSE一色。特設コーナーの壁面に設置されたファンからの寄せ書きコーナーには、書く場所の見当たらないほどのメッセージがびっしり。特にLSEと同世代であった、昭和50年代前半生まれのファンからのメッセージが熱い。当時の最新鋭ロマンスカーがLSEだった僕たち。


かく言う私も、その世代のロマンスカーキッズ。一足お先に看板の中の存在となってしまったHiSEとRSEより、LSEが長生きするとは正直思わなんだなあ…としみじみしてしまう。一般的には鉄道車両の寿命って40年くらいなんて言いますけど、そう考えるとよく走ったよ。連接車はどうしても台枠に弱さが出ちゃって故障しやすいしね。

2021年に、またここで。
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