青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

雲州名産、木綿の帆掛けて。

2023年09月11日 17時00分00秒 | 一畑電車

(小さき祠の花飾り@園~湖遊館新駅間)

出雲の国を旅して思うに、実に神社や祠の類が多く、そこかしこに神様のお住まいがある信仰の国であることが分かる。お盆を過ぎて、静けさを取り戻した園の集落。古びた待合室の無人駅にほど近い線路脇にあった小さな祠。小さいながらも、地元の方が手入れを欠かさないのであろう、きれいな花が供えられている。こんな日照り続きに、扉を閉めていてはご本尊様もさぞかし暑かろう。思わず観音扉を開けて、御神酒でも差し上げようかと思ってしまうほど。

田園地帯の高みから、宍道湖北岸に広がる雲州平田の街を望む。現在は周辺自治体と合併して出雲市の一部となっていますが、それまでは「島根県平田市」という独立した地方自治体でした。そもそも島根県、市制を敷いている自治体の数自体が相当に少ない県なのですが、唯一「市」として平成の大合併に参加して消滅したのが平田市だったりします。島根の「市」の数は・・・現在8つなんだね(松江・安来・出雲・大田・江津・浜田・益田・雲南)。平成の大合併で平田市が消滅し、雲南市が新設されているので、数自体は変わっていないようで。ちなみにそれなりの地理知識を擁していると自負していたが、安来市が出て来なかった。不覚である。

今は水田の多い出雲平野ですが、当時は綿花の栽培が盛んで、平田の街はその中心地として栄えました。収穫された綿花は加工され、「雲州木綿」として全国に出荷されていました。今でも旧市街にはその名も「木綿街道」と名付けられた由緒ある街並みが続き、木綿問屋や白壁の土蔵が立ち並んでいるそうですが・・・今回はなかなかそこまで見ている時間はなかった(笑)。どうも線路沿いをドタバタしているばかりで、そういう地場の産業とか歴史に繋がるなにがしかを拾えぬパターンが多いのは汗顔の至り。

雲州木綿の生産のピークは江戸時代の話で、当たり前ながら当時は一畑電車も開通しておりませんから、製品の輸送は専ら水運によって行われており、宍道湖に繋がる水路から帆掛け船によって出荷をしていたそうです。出雲の木綿産業は、明治以降は生糸や輸入綿花に押され、宍道湖沿岸の低湿地帯にあった綿花畑は水田に替わり、次第に衰退することになります。

雲州平田~布崎間で、平田船川を渡る5000系。
平田「船川」という名前が、往時の平田の街の水運需要の高さを物語っているようです。

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