(夜に輝く歴史建築@温泉津温泉・薬師湯)
温泉津温泉に宿を取り、夕飯を簡単に済ませ、さっそく温泉へ。温泉津温泉には、大浴場を持っている宿もありますが、基本的には温泉街にある薬師湯と元湯・泉薬湯(せんやくとう)のどちらかに入りに行く、俗にいう「外湯文化」の街でもあります。すっかり暮れた温泉街を歩けば、ああこれが!という三階建てのコンクリートモルタルとタイルで作られた湯屋。これが温泉津温泉のシンボル的存在である「薬師湯」。現在共同湯として使われている新館は昭和29年の建築だそうで、ステンドグラスで彩られた入口と、二階のデッキの優美なアールが特徴。灯火に輝く夜の薬師湯の美しさは、また格別なものがあります。
世界遺産に指定された石見銀山の積み出し港として、江戸時代に開湯された温泉津温泉。元湯としては泉薬湯が古い存在ですが、明治5年(1872年)3月に発生した浜田地震によって噴出した新しい源泉により作られたのがこの薬師湯。源泉名は、その起源をなぞって「震湯(しんゆ)」と言われていて、この建物の裏手の地下2~3m程度の場所から湧出しているのだとか。
明治年間の新源泉によって開かれた薬師湯。こちら側が大正年間に作られた元々の旧館。一階は今はカフェ的な扱いで営業してるそうですが、当然夜はやってなくて入れんかった。二階のアーチ形の窓や柱、そこかしこに付けられた凝った意匠には、当時の流行である西洋のモダニズムみたいなものをたくさん詰め込んだ建築様式を見ることが出来ます。明治末期に建てられた南海電車の浜寺公園駅とか、ああいう雰囲気に近いですね。あっちはハーフティンバーだったけど。
薬師湯のお湯。写真は撮影禁止なのでHPから拝借。湯銭は600円と外湯文化の温泉にしてはまあまあ高め。文化財の維持管理費用と世界遺産プレミアム上乗せが半分くらい入っているような気がする。元々この薬師湯、「藤の湯」という名前の町営温泉として管理されていたそうで、その時の湯銭は200円との記述があった。現在は民間に運営が任されているようなので、その辺りは仕方のないことなのかもしれない。こってりとカルシウムと石膏の析出物の盛り上がった浴室、湯温は高めの43~44度。同浴の湯客のおじさん、「熱い熱い」と言って足だけつけて退散。まあ一応湯慣れた方なので、これ以上熱い湯にも浸かったことはありますが、肩までどっぷり浸かると久し振りにジンジンする温度。ちょっと鉄サビ&炭酸味がある含土類系の食塩泉。いかにも武骨な男らしいガツンと来る浴感である。婦人病、高血圧、生活習慣病に卓効。古くは広島から被爆者なども療養に訪れていたというから、その効能は推して知るべし日本の名湯である。
温泉地としては全国初の重要伝統的建築物群に指定されている温泉津の温泉街。湯上りの体を撫でる風はまだまだ蒸し暑くスッキリとはいかないまでも、しんと静まった路地から眺める街並みは趣がある。まだ開いている古民家バルの明かりがアスファルトに映って、「氷」の旗がサワサワと夜風に揺れていました。