(雪溺の駅@横江駅)
片寄せされてうず高く積み上がった雪。出入り口だけはしっかりと確保されていても、その雪は夜半の気温低下でパリパリと凍っており、軟弱な都会人の足元を容赦なく掬う。午前五時半、小さな集落の小さな駅で、手袋をしていても悴む手でシャッターを切る。駅舎の蛍光灯だけは煌々と輝いており、雪の力によって駅前は思った以上に明るさが満ち溢れていた。
初めてこの駅を訪れたあの雨の日から、もう何度も撮影した駅だ。勝手知ったるところもあって、特にここで語る事もない。去年の冬は壁に掛けられていたように記憶している横江駅の絵が、外されて窓の桟に立て掛けられていた。傳言板は、誰かの落書きと思しきハートマークと名前が記されていた。折しも季節はバレンタイン、この富山のローカル私鉄の片隅から、愛が芽生える事を願ってやまない。
駅舎から、ホームに続く通路はキレイに除雪され、凍結防止用の塩カルでも撒かれておるのか、そこだけは黒光りして凍ってはいなかった。塩の結晶の様に存在感を持って固まった雪が、水銀灯に映えてキラキラと粒だって輝いている。雪原を吹き抜けて来る風がもろに当たるホームで震えながら待っていると、山を降りて来た一番電車の灯りが見えた。
立山AM5:20発・普通電車電鉄富山行き。横江到着はAM5:44。本日は14760形での運行。トップバッターが60形とは幸先の良いスタートだ。車内に乗客ナシ。アルペンルートが閉鎖されている冬季期間、立山方面からのこの時間の流動はほぼ皆無かと思われる。それでも、ダイヤ通りに列車は走る。そういうものだからだ。最近は鉄道業界も背に腹は代えられない部分があって、この「そういうものだから」という理論が破綻しつつある。過疎・高齢化・疫病による乗客の減少。どこも苦しい、されど支援は乏しい。いつ終わるのか目星も付かず、もう鉄道会社が持たなくなっている。簡単に減便に打って出たり列車を間引いたりという事が横行して、公共交通の「公」の部分が大きく揺らいでいるような気がしてならない。
それでもこの日、地鉄の電車はダイヤ通りに、夜も明けきらぬ雪の駅にやって来た。
そういうものだからだ。
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