青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

但馬にて 歴史伝える 老駅舎。

2022年09月16日 17時00分00秒 | 京都丹後鉄道(丹鉄)

(威風堂々@久美浜駅駅舎)

宵闇に仄かに明るさ残る頃、久美浜駅まで来てみました。何とも威風堂々とした立派な駅舎は、1868年の明治維新により時の江戸幕府の領地から明治政府に管理を移行するため、丹後・丹波・但馬・播磨・美作国を移行させて統括した「久美浜県」の本庁舎を模して作られたものらしい。不勉強ながら、久美浜県などというものがあった事すら知らなかったのですが、成立翌年に生野県を分離し、1871年の豊岡県の成立とともに僅か三年で消滅した行政区分だったようです。そりゃあ知らなくてもむべなるかな。

夜の久美浜駅前にクルマをパークアンドライド。時刻は夜の7時を過ぎ、車内も閑散とした時間。豊岡行きがホームに滑り込んで来ました。ちなみにこの2連、先ほど京丹後大宮の付近で撮影した2連(239D)ですが、ここ久美浜で乗客の半数くらいが降りて行きました。舞鶴から走って来ると久美浜が京都府最後の駅なので、乗客流動の分岐点になっているようですね。そんな豊岡行きの列車に乗り込んで、京都府と兵庫県の境にある馬地峠をゆっくりと越えて行きます。

外は真っ暗、漆黒の闇の中、住居の灯りもかすかにすら見えない峠道をヘッドライト頼りにゆっくりと登って行くディーゼルカー。やたらと運転士氏がタイフォンを鳴らすのは、シカやイノシシのような害獣の衝突を防ぐためなのだろうか。久美浜から約8km強、宮津線で兵庫県最初の駅、コウノトリの郷駅に到着しました。久美浜からたったひと駅なのだけど、所要時間は約11分とだいぶかかりますね。

コウノトリの郷駅。国の天然記念物(かつ兵庫県の鳥)にもなっているコウノトリの保護地域がこの辺りにあるんだとかで、そういう由来から駅名を改称したようです。んで、何で久美浜からわざわざ山越えて列車乗ってここまで来たかってーと、ここが丹鉄の中で旧宮津線時代からの駅舎を残している最後の駅だからなのです。宮津線の駅は、KTRに移管された際にほぼ全てに手が入れられてしまって、いわゆる「国鉄時代からの駅舎」ってここしかないんですね。駅前に植えられたヒノキかアスナロか、大きな一本の木が非常に目立ちます。昭和40年代に無人化されて久しかったのですが、最近は駅舎を使ったカフェなどで活用されているそうです(この時間は当然閉まってましたけどね)。

闇に浮かぶ木造駅舎。白熱球の灯りが柔らかく良い雰囲気。この駅は元々は交換駅で、駅舎から少し高い位置にあった待合室のある島式ホームで上下列車が行き違う作りになっていました。ちなみにこのコウノトリの郷駅、改称される前までは「但馬三江(たじまみえ)駅」という素敵な名前が付いておりまして、日本で唯一旧国名である「但馬」を冠する駅だったのですよね。観光振興も地方創世のアピールもいいけど、伝統ある駅名を消してはならなかったのではないかと。コウノトリの郷、一応最寄り駅らしいけど駅から歩いて30分以上かかるって言うしね。

かつての上り方面行きのレールが敷かれていたと思われる路盤から、ホームの待合室を見やる。待合室の中には、夏にも関わらずスノーダンプやスコップなどの除雪道具が置かれていました。待合室部分に屋根掛けの上屋がセットされた作りも、兵庫県の日本海側らしく冬場の降雪に配慮したような作りになっているのかな。兵庫県の豊岡、冬場になればそれなりの積雪がある街ではあります。

夜のホームに一人佇む私。星でも見えるかと思ったら、空が曇って絵にならんかった。駅前通りに民家はあるし、豊岡市街へ向かう県道にも近いし、全く人気がない場所ではないんですけど、一番集落の外れの山手を線路が走っているせいで妙に山深い感じの雰囲気。中国山地のローカル線の駅に放り出されたような感覚がある。ここから約3km走って円山川の鉄橋を渡ると終点の豊岡の駅なんですが、この時間から豊岡まで行ってしまうとそれこそ帰る列車が終列車になってしまうんだよな・・・なんて思いながら、短い滞在時間を終えて、豊岡で折り返して来たDCに乗り込むのでありました。


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