青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

Blue sky Blue

2015年01月04日 11時13分10秒 | 富士急行

(新年らしくおめでたく@富士急行線寿駅)

新年三日目にもなると親族間のご挨拶関係も片付いてくるのだが、ヨメが実家に戻ると言うので夕方までのおヒマを頂戴する。12月中はろくすっぽ撮影する時間も取れませんでしたので、単独行としては久々の外出となりました。とはいえUターンラッシュで高速道路の大混雑が予想される中なのでこの日は控えめに富士急行まで。ちなみに富士急行線には「寿(ことぶき)」と言う実におめでたい名前の駅があります。正月らしいね。


富士急行の撮影地と言えば寿~三つ峠の田園地帯が定番。この辺りは路地がめっちゃ狭くて地元民でもなければ車体の側面をこするような道が続くのだが、慎重にハンドルを操って撮影地に出てみれば、なんだかすごいいい天気だね。こんな青空は最近とんとお目にかかったことはないな。富士降ろしの風は冷たくクルマの温度計は気温2度を差しておりますが、予想外の好天に寒さも忘れてウキウキ。


1本目は豊田車両センターの189系「ホリデー快速富士山号」をインカーブで。三つ峠では富士山バックが定番で、この日もほとんどの同業者はそっちのほうに三脚を立てていたのだけど、この青空の魅力に負けた。正面まで太陽が回り切らなかったとは言え、正月最初の撮り鉄行の一発目はきれいなインカーブと青空でかっちりと撮れました。正月に国鉄特急色を愛でる至福は、春から縁起がいいなあと言う気分にさせてくれます。


冬枯れの山を背に、三つ峠の坂道を降りて来る「富士登山電車」。最近富士急行線内では元京葉線の205系(6000系)がハバを利かせ始め、日中の京王車の運用はどうも少なくなっている様子なんですが、それだけに古き良き京王の名車5000系の伝承者として貴重な存在になりつつあります。京王車の普通運用を狙うなら朝か夕方に来るべきなんだろうな。


富士急定番の富士山構図に移動。とは言えさっき撮ってたインカーブからは歩いて2分くらいですが。ちなみにこのポイントの踏切の名前は「がんじゃ踏切」っつーちょっと変わった名前をしている。元祖フジサン特急であるパノラマエクスプレスアルプス車はここの構図だと貫通路側になってしまうのが難。2編成あった元PEA車は去年に1編成が廃車されてますけど、廃車された編成のほうはこの構図で展望席側が前に来たんだよね。まあ東北で働いてた457系的なカオを眺められるのもそう長い事はないので、これも記録と言う事で。


近年とみに変化の激しい富士急行の車両たちですが、乗り入れて来るJR側の大きな変化と言えば「豊田の山スカ」こと115系の運用離脱により211系長野色が富士急乗り入れに充当されている事だねえ。朝に高尾から河口湖まで走り、昼前に河口湖から大月へ行き、甲府からの普通電車と併結して高尾に戻って行く運用なんですけど、色んな車両が行きかう週末の富士急撮影ではアクセントになる列車でした。


そしてRSEフジサン特急。去年の夏に就役した際に富士急まで乗りに来たけど、まあよく分からないフジサンキャラのイラストでゴッテゴテにされた姿には涙を禁じ得ませんでした。もうね、クラスで好きだった子が夏休み明けに金髪になってしまったような…(笑)。さすがにこっちが慣れたのと、ちょっと引き気味のこの構図だとそこまで気にならないかなあ…まあ、偉大なる富士山の姿のインパクトが大きい構図なんで、霊峰の力を借りて更正したものと信じたいw

  

昼前までまったりと撮影を楽しみ、寿駅前「くれちうどん」で昼メシはこっちの方に来るたびのもはやルーチンワーク。三が日でやってないのかと思ったが、3日から今年の営業を開始したらしい。安定のつけうどん大(500円)は相変わらずの暴力的な噛み応え。富士急行の寿駅から国道を大月方面に徒歩2分程度とアクセスも良く、富士急撮り・乗りの際のお食事処としても推奨しておきます(笑)。ちなみに店名の「くれち」はこの辺りの地名「暮地」から来ており、富士急の寿駅も以前は「暮地」と言う駅名だったそうなんだが、「暮地」が「墓地」に見えてしまって縁起悪い!と言う事で目一杯めでたい「寿」の駅名に改称したという裏の経緯があります。駅にあった説明板には書いてませんでしたが。

 

食事の後は寿駅裏の稲荷俯瞰。この辺りも以前来た時に比べ新しい道路が開通して電線が引き込まれており、構図は限られてきました。それと富士急の特徴でもある間隔の短い木製電柱がどんどんPCに変わっていて、あれはあれで味のある風景だったんだけどな…と昔を懐かしんだり。今度はPEAの展望席側、つい先日後継としてJR東海371系の導入が決定し、最後の冬になりますね。それにしても371の引退に際し誰もが「富士急貰っちゃえよ!」って言ったと思うんだけど、実際速攻その通りになるとはねえ。富士山の世界遺産登録から収益も好調なのか、最近の富士急行本社側の鉄道に対する積極性は素晴らしいものがあります。

 

そんな富士急行の積極投資の一端が、京葉線の205系を3両編成にして導入した6000系な訳ですが、前述の通り日中の普通電車の運用がほぼこの車種に取って代わられてしまい京王5000ファンとしては寂しいものが。そして富士急には昔っから4種踏切(遮断機も警報機もない踏切)がやたら多かったんだけど、最近4種に簡易遮断機が付き始めました。通る時は人間が勝手に手で押し上げて通る仕組みになってる様子。余談ですが富士急は4種がやたら多いおかげで警笛の吹鳴回数が多く、撮り鉄の時なんかは列車の接近が分かりやすくて重宝しますw


以前は古ぼけた田舎の百貨店だった富士吉田の富士急デパートも、富士山駅への改称を機にリニューアル。そして屋上の富士山展望デッキから富士山駅に入線してくるRSEを。後ろには富士急グループの一大収益源である富士急ハイランドが見えますが、この日の天気の良かった事を印象付けるように御坂山地の向こうに南アルプスまでチラッと見えるのよね。他の観光客が富士山側にカメラを向けている中で全く違う方向にカメラを向け、しかもベンチの上に仁王立ちで撮るのはちと恥ずかしいw


夕方には家に帰る約束になっているので、15時のRSEをインカーブで撮って締め。沿線風景に住宅が多くてそんなに山岳路線って感じもしませんが、大月(標高358m)から河口湖(標高857m)まで片勾配で500mの標高差があります。特にこの三つ峠から寿にかけては断続的な40パーミルの勾配をM字型に蛇行を繰り返しながら登って行く厳しい区間。小田急時代に乗り入れていた御殿場線でも最大勾配は25パーミルくらいだったんで、第二の人生でこんな急坂登らされるとは思いもしなかったかもしれないなあ。


帰りは確実に渋滞しているであろう中央道を避けて山中湖へ。湖畔から午後の陽射しに輝く湖面と富士を眺め、雪の残る道志みちを帰ったのだが、この日の青空はホント日が沈むまで抜けるような色を保ったまま暮れて行きました。こんな日におヒマをくれたヨメさんに感謝しないといけませんなw
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