青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。写真はおおめ、文章はこいめ、コメントはすくなめ。

鉄の道 向かうは全て 金刀比羅へ

2020年02月16日 17時00分00秒 | 高松琴平電気鉄道

(綾川のささやかな渓谷@滝宮~羽床間)

軽のレンタカーについたしょぼいカーナビで、ことでんの線路に沿って琴平に向かいつつラン&ガンで撮影して行くスタイル。遠征の事前準備として、電車のダイヤをスジ引きして来たので日中のダイヤは頭に入っているんですが、案外と通過の直前に到着してもたもたこいてたら目の前を電車がガーッと通り過ぎてしまうなんてこともしばしば。自分はとりあえず遠征したら枚数稼いで手数を出していくタイプなので、目の前をただ電車が過ぎて行くだけなのは凄く勿体なく感じてしまう貧乏性です(笑)。綾川町の名前の由来ともなった綾川を渡る築港行き2連。

滝宮から先は、琴平に向かって讃岐平野の明るい農村が続く。午後遅くになってようやっと晴れて来ました。羽床の駅に近い場所で「堤山」と言う讃岐の甘食山をバックに。今回借りたレンタカーはマツダの「キャロル」ってクルマだったんだけど、狭い農道の踏切でも、軽だからスイスイ入っていけて凄い楽。自分の家じゃ図体だけデカいファミリーカーに乗ってるけど、撮り鉄用に小回りの利く軽一台、オンボロでもいいから持ってたいと思う。たまにウン十万もするカメラ持ってても10万もしないようなオンボロの軽で撮り回っているマニアの方がいますけど、分かってらっしゃるなあと思う。

羽床駅~栗熊駅の間で赤い京急1081を順光撮り。この日は夕方まで運用に入っていたので、撮影の機会に恵まれて良かった。運が悪いと朝のラッシュ一往復に出たっきり仏生山入庫で運用終了とか、夕方まで琴平で増結用の控え車としてずーっと放置プレイとか、動かない時は動かないんだって。最近は地方の鉄道に限らず目玉の編成はファンに向けて積極的に運用を公開していることも珍しくはありませんが、あいにくことでんではそういう事はしておりません。スポンサーが個人だからかな。他のラッピング車両と対応に差を付けたら他のスポンサーに対して不平等だろうし。

琴平から戻って来た赤い京急を、岡田~栗熊間の田園地帯で。一月だけど菜の花が咲いていた讃岐平野、早咲きの品種なんだろうけど暖かかったのもあるのだろうね。赤い京急と菜の花の取り合わせ、京急の本線では鶴見川の鉄橋のところか、この時期の三浦海岸~三崎口くらいか。赤と黄色が青空に映えます。

土器川の橋を渡って、琴平の街に入って来ました。観光駐車場にクルマを止めて、金刀比羅宮の表参道を歩きます。平日の遅い時間ですが、さすがに観光地なのでそこそこ人がいますね。金刀比羅宮は、象頭山(ぞうずさん)という山の中腹にある西日本でも有数の神社で、宗教法人「金刀比羅本教(ことひらほんきょう)」の総本山。全国に「琴平神社」や「金刀比羅宮」がありますけど、そこの元締めと言うことになります。祀られている大物主神(おおものぬしのかみ)という神様が海上に現れたという伝承から、古くより「海の神様」として船乗りや漁業従事者など海に関わる人々の篤い篤い信仰を集めている山でもあります。本殿は山の中にありますから、参拝には結構長い石段を歩かなければならず、ちょこっと参道を歩いて本殿に着いてお参りして帰る・・・という事が出来ないのが難儀だ(笑)。

今回の探訪テーマであった「ことでん」。その敷設の由来は、当然ながらここ「金刀比羅宮」への参拝客を輸送するためにありました。かつては琴平電鉄(現・ことでん)の他にも、丸亀・多度津からの琴平参宮電鉄、坂出からの琴平急行電鉄(いずれも廃止)、そして国鉄土讃本線と官民合わせて4社の鉄道会社が犇めいた琴平の地。それほどまでにも、当時の人々に「こんぴら参り」というものが深く深く浸透していたのでしょう。そのルーツをたどるためにも、ここまで来たからにゃあ、登らなければなりますまい。本殿までは785段の石段があるそうだが、果たしてどのくらいの時間で辿り着けるのだろうか・・・
では、行って参ります。

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いざ行かん こんぴらさんへ ゆるゆると

2020年02月15日 20時00分00秒 | 高松琴平電気鉄道

(ため池の畔にふわり白水仙@岡本駅)

美味しい本場の讃岐うどんで腹を満たしつつ、再び沿線に展開します。ことでんの撮影がメインとはいえ、せっかく香川まで来たのなら「こんぴらさん」こと金刀比羅宮に参拝したい。西の国は関東と比べると多少日が沈むのが遅いですけど、こんぴらさんの社務所が閉まってしまうのが午後5時らしいので、それに間に合うようにゆるゆると琴平方面に向けて撮影を進めて行きます。香川県の風景と言えば、満濃池に代表されるため池の風景。大きな川を持たず、雨の少ない瀬戸内の気候によって、水不足に悩まされやすかった讃岐の国。黄色い電車が、水仙咲く奈良須池のほとりを行く。

挿頭丘駅。フリガナが振られていないと「かざしがおか」とかなかなか読めない難読駅名。古事によると、祭礼の際に要人が装飾として頭部に花を挿すのを「花挿す(かざす)」と言ったものが、「頭(かんむり)」に「挿す」→「かんざす」→「挿頭(かざ)す」となったもので、和装の「かんざし」という言葉の語源でもあるそうな。

挿頭丘の駅はことでんでは珍しい堀割りの駅で、上を市道がまたぎ越しています。橋の上からの構図にほんのりとデジャヴ感を覚えてしまったのだが、年末に行った銚子電鉄の本銚子の駅と同じですね。電車の頭上に掛かる枝は桜の枝、さすがにまだ蕾も固く締まったままだけど、春は桜との取り合わせが絵になる駅でしょう。駅に到着した築港行きの1080形はセブンイレブン&nanacoラッピング。ちなみにnanacoを使うときは「かざすだけで簡単支払い」がウリなので、挿頭丘での撮影は素晴らしいコラボレーションの一枚と言えるのではないでしょうか(笑)。

滝宮駅。大正15年の開業当時からの駅舎がそのまま残されていて、近代化産業遺産認定を受けています。この駅の事を題材にして写真を撮られている方も多く、個人的には楽しみにしていた駅です。入口側の間口と駅舎側と、切妻構造を組み合わせた立体的な位相が素敵な駅ですが、何と言っても駅前の赤ポストね。この「ザ・郵政省」としか言いようがない郷愁を誘う赤ポストが、この駅の雰囲気を絶対的に高めています。

駅の中は待合室と改札口だけのシンプルなもの。駅員の勤務が行われているのは朝夕の時間帯のみらしいですね。おそらく出札口であったはずの場所にはきっぷの自動券売機がはめ込まれていますが、改札に簡易型のICカード機器が置かれているのでも分かる通り、ことでんでは非接触ICカード「IruCa」をが導入しています。但し、全国で使えるわけではなく、基本的にはことでん限定。逆にPASMOやSuicaのように全国区のICカードは、片乗り入れでことでんのICカードシステムを使う事が出来るようになっています。

開業時(大正時代)は、おそらくこんな洋風建築って時代の最先端だったんだろうなあ。作り込みこそ簡単にはなっているけど、当時の琴平電鉄的には東京の田園調布駅とか、それこそ大阪の諏訪ノ森駅とか、そういう雰囲気の瀟洒な駅舎でお客さんの目を引き付けようと思ったのだろう。「ハレの日」の舞台に相応しい精一杯の豪華さや一生懸命さが、この駅には詰まっていると思う。

滝宮駅は綾川町の中心部にあり、町役場や総合病院などの主要施設にも近い場所にあります。琴平行きの電車から乗客が下車して行きましたが、日中の電車の利用者は、高齢者や学生の比重が高いようですね。駅の周りには雑貨屋さんやよろず屋さんなどのいくばくかの個人商店があって、いかにも昔ながらの街道筋の町と言った雰囲気があります。しかしながら、綾川町の国道32号バイパス沿いには香川県屈指の超巨大ショッピングモールである「イオンモール綾川」がありますので、周辺の商圏における顧客の流動はほぼイオンモールに吸い上げられているものと思われます。イオンモールは徹底的にクルマ社会の商業施設ですからねえ。

現在でも平日の朝夕ラッシュ時は築港駅からこの駅までの折り返し列車が発着し、最短で15分間隔の運転になる滝宮の駅。それだけに、朝夕だけでも駅員の配置が続いているんですけど、ことでんもイオンモール綾川の利用客を見込んで2013年に築港側900m手前に新駅(綾川駅)を設置。綾川駅に駅前広場を整備し、イオンモールの最寄り駅と高松空港行きバスの結節点としての機能を持たせました。結果、綾川駅の利用者は倍増し、滝宮駅の利用客は半減する事となります。キレイで広い駅前、車での送り迎えがしやすい綾川駅に対し、滝宮駅にはレトロなポストとレトロな駅舎と小さな駅前広場が残りました。そんな愛おしいほどに昭和の私鉄な雰囲気を残す中で、自動販売機の「ことちゃん」が笑っています。

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かけしょうゆ ざるにぶっかけ 何頼む?

2020年02月13日 17時00分00秒 | 高松琴平電気鉄道

(もうひとつのリバイバル・・・?@空港通り〜一宮間)

1080形に施された、もう一つの京急リバイバル?カラー。これは正真正銘京急電鉄がスポンサーを務めるラッピング車両で、「都心へビュン。京急」のキャッチフレーズと、CMキャラクターのくりぃむしちゅーのお二人がラッピングされています。京急も、せっかくやるなら旧1000形に合わせたラッピングをすればいいものを、現在のスタンダードである新1000形の塗装を旧1000形に施しているもんだから妙なアベコベ感が・・・(笑)。急行灯をラッピングで描き込むのもなんか違うような。ヘッドマークと、琴平側の乗務員室に乗った「けいきゅん」の人形がポイントです。

一宮の駅は、日中は築港から毎時4本の列車のうち半分が折り返す運用上のキーになる駅です。折り返し列車が使う1番ホームの線路は築港側に長く伸びていて、だいぶ離れた位置で本線に合流しますが、これは分岐器の付近にかつての一宮駅があった事の名残りなのだそうです。1987年(昭和62年)に旧駅を廃止し、約400m琴平寄りに出来た新しい一宮駅に移る際、分岐部分はそのままにして新駅まで線路を複線状に引いた結果、このような疑似複線が出来上がったんだとか。ちなみに、日中の一宮駅で折り返す電車は折り返し時間がむっちゃくちゃタイトで(0~1分くらい?)、前と後ろでワッセワッセと運転士&車掌氏が駆けずり回っているのがコミカルでなんか面白かった。笑っちゃいかんか。

一宮駅と円座駅の間にある香東川橋梁。1100形が石造りの趣あるガーター橋を渡って来ました。車両には穴吹工務店グループの専門学校のラッピングが施されています。中堅マンションデベロッパーで「サーパスマンション良いマンション♪」のCMでおなじみの穴吹工務店は、香川県を代表する建設会社。高松の市街地では結構な数の穴吹施工のマンション物件を見る事が出来ますが、主力事業のマンションの販売不振により、2009年に会社更生法を申請しています。おお穴吹よお前もか。そう言えば穴吹工務店ってオリックスの二軍のスポンサーもやってたよね。サーパス神戸だっけ。あの縁があったかどうか分かんないけど、現在の穴吹工務店はオリックス系列のマンションデベロッパーである大京の資本注入を受けて再生してるんですよね。

天気は晴れたり曇ったり。空を流れる浮浪雲の動きに気を揉みながら・・・琴平から戻って来たリバイバル編成が橋を渡って来た時は、ちょうど雲間からいくばくかの日差しが出て来てガッツポーズ。バックにこんもりと見える山は六ツ目山という名前らしい。どういう訳か、讃岐平野にはこんな甘食パン的な形をしたプチ独立峰のような山が多いんだよね。どの山も小ぶりながら形がよいので、他の場所でもいくつかの甘食山を構図に入れてしまった(笑)。

時刻はそろそろお昼時。朝からパン一個齧っただけでほとんど何も食べておらず、休憩を兼ねて香東川の鉄橋の近くにあったうどん屋に入ってみた。土日ともなると県内外から讃岐うどんの食べ歩きを目当てに観光客が押し寄せるそうだが、本当にクルマでちょこっと走るだけでもコンビニ並みのレベルでうどんの店があって、さすがながらの「うどん県」である。ここまで店の数があってよく潰れずにやれているもんだと感心してしまうのですが。

平日の昼下がり、先客は一名だけ。平日の静かな店内に、うどんツユのダシの香りが流れる。かけ、しょうゆ、ざるにぶっかけ、湯だめに釜揚げ。だいたい理解出来るけど、県外モノには湯だめと釜揚げの違いがよくわからなかったりする。とりあえず初手なのでシンプルにかけうどんwith大きな野菜のかき揚げ。これで350円くらいだった。さすがに安い。バシーっと歯を跳ね返してくるようなコシと、何と言ってもいりこの風味豊かなダシが美味い。このダシだけ持って帰りたくなる。通人に言わせれば、讃岐うどんはあそこが美味いここが美味いという話になるのだろうけど、フラッと入った店でこんだけ美味しいうどんが食えるんだったら十分だと思うねえ。ごちそうさまでした。

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駅ビルに 夢見た未来 泡と消え

2020年02月12日 17時00分00秒 | 高松琴平電気鉄道

(押しも押されぬターミナル@瓦町駅)

赤い電車に乗って、瓦町までやって来ました。瓦町の駅は、琴平線・長尾線・志度線の3線が合流する、ことでん最大のターミナルであります。そう言えば、京都にある某マルーンな会社のターミナルも「かわらまち」ですね。あっちは「河原町」ですけど。ターミナルにありがちな名前なのだろうか。駅名標に添えてある「瓦町FLAG」は駅の真上に建つ駅ビルの名称で、日用品からファッションフロア、カルチャースペース、銀行、ジュンク堂、レストランや高松市の行政施設などが入る地上11階地下1階の大型複合施設です。

瓦町駅のホームは、琴平線が島式ホームの1面2線・長尾線が1面1線の単式ホームを使います。またこれとは別に、志度線ホームが通路を通って200mくらい離れた位置に頭端式の1面2線のホームを持っていまして、動く歩道付きの通路で繋がっています。昔は志度線も瓦町の駅に北側(築港側)から合流していたのだけど、駅ビルの建設による1990年代初頭の再開発の際に分断されて今に至ります。今の形は、昔の仙台駅における東北本線と仙石線のような位置関係というと理解しやすいか(しにくいな)。

おそらく香川県でも屈指の商業施設だと思われる瓦町の駅ビル、正式名称は「コトデン瓦町ビル」と言って、1997年(平成9年)に大手百貨店のそごうと琴電本社が共同出資した経営法人を母体に「コトデンそごう」として華々しく開業しました。しかしながら、開業から僅か3年後の2000年にそごう本体が多額の負債を抱え経営破綻。出資相手であったそごうブランドの信用不安に巻き込まれる形で、コトデンそごうも2001年に民事再生法を申請、そしてコトデンそごうの借入に対し保証を入れていた琴電本体も、その保証債務が負い切れずに民事再生法を申請するという連鎖倒産の見本のような結果となっています。うーん、一応まがりなりにも百貨店大手のそごうが共同出資して3年で飛んじゃうなんてさすがの琴電も想像してなかったのか。恐るべき平成不況。

瓦町駅2階改札口と連絡した「瓦町FLAG」の2Fフロア。オープン後に3年でテナントのデパートが破綻という完全な黒歴史となってしまったコトデン瓦町ビルですが、そもそも地方私鉄にここまでの豪華な駅ビルがあるということ自体驚くべきもので、当時の琴電本体のイケイケぶりが伺い知れます。他に地方私鉄が営業するでっかいハコモノあったかな、と思い出しても長電権堂ビル(長野電鉄)くらいしか思い付かないねえ。それでも、ここ瓦町の規模の足下も及ばないわなあ・・・。まあ長電の権堂ビルも長年の店子のイトーヨーカドーの撤退が決まって大変そうだけどな。ってか琴電(当時)の問題点は、「鉄道会社がグループ会社とは言え本業以外に債務保証して本業が飛んじゃうってどうなのよ」というところに尽きる。どういうリスクマネージメントになってたんだろう。しくじり先生に出てもらいたい。一言でいうと「身の丈に合わない投資(経営陣のアタマん中がバブったまんまでした)の結果」という事に尽きるのかもしれないが。

瓦町駅のホームの端っこに置かれたくず物入れ。ことでんのキャラクターであるイルカの「ことちゃん」がデザインされたものです。2001年12月に390億円の負債を抱え、民事再生法を申請した琴電は、長年に亘り続いて来た旧態依然としたサービス、古い設備、労使対立などの問題が澱のように溜まっていました。そんな琴電の体質に際し、県民の中に「電車が残れば琴電はいらないのではないか?」という風潮が蔓延して行きます。県民の強烈なダメ出しを突き付けられた新経営陣が、危機感の末に「(こんな状態の)ことでんは要るか?要らないか?」を徹底して議論し、新経営ビジョン「ことでん100計画」に基づく改革を発表。金融機関から負債の約2/3に当たる230億円の債権放棄を取り付け、再生計画を進めました。このキャラクターは2002年に「大人の事情」により誕生したとされていますが、大人の事情とは、再生を図る企業の存在価値を根本から問いかける「いるか、いらないか」の議論と、虚実ないまぜの企業内の戦いの結果だったんですね。なんだか、TBSの日曜劇場で、阿部寛あたりが会議室の机叩きつけてブッてる感じの画が脳内に浮かび上がって来たぞ(笑)。

華やかさと同時に、非常に苦い思い出の舞台となった瓦町の駅ビルをバックに、リバイバルカラーの1081編成が行く。コトデンそごうの破綻の後、コトデン瓦町ビルは岡山の天満屋による経営を経て現在の複合商業ビルとなっていますが、テナントの出入りについてはかなり流動的でなかなか安定しないようです。現在も地下1階の食品フロアが空きスペースとなっているなど、すっかり車社会に変貌を遂げた地方都市の交通事情と小売店事情に翻弄されていることは否めませんが、「FLAG」の名前の通りに、高松の中心市街地に逆襲の狼煙を上げられますかどうか。

そんな訳でイルカの「ことちゃん」(Twitter画像より)。てっきり瀬戸内にいるスナメリ?あたりをモチーフにしたかわいらしいキャラクターでイメージアップ!ってな感じで生まれたものかと思いきや、かわいいだけではないクセモノの相がある。難儀な(?)出自のせいか、SNS上でのことちゃんの発言は過去の歴史を隠そうともしない攻めたキャラ。すこしとぼけたキャラクターの向こう側には、琴電が忘れてはいけない改革への初心が詰まっているのだろうと思う。そーいや、ことちゃんグッズなんか買って来ようと思ってたんだけど忘れてもーたわ。ぞぞー。

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還暦を 迎えて赤は 華やかに

2020年02月11日 17時00分00秒 | 高松琴平電気鉄道

(「還暦の赤」プロジェクト 1081+1082編成@空港通り~仏生山間)

2018年12月に、京急ファンの有志の方によって始められた「『還暦の赤』プロジェクト」という企画。ことでんに残る旧京急1000形を、同車両のデビュー60周年に合わせて往時の京急カラーに塗り直そうという企画でした。ちなみに、「リバイバル塗装」ってのはどこの鉄道会社でもイベントやキャンペーンの一環として定番とも言える施策なんで、そう珍しいもんでもないと思うのですけど、コレに関しては鉄道会社や観光協会などではなく、資金の出どころが「ファン発信のクラウドファンディングであった」というのが徹底的に違うところですね。そんな「還暦の赤」を空港通りから仏生山へ向かう病院裏のストレートで。朝は4連で組成されていたんですけど、どっかで編成を切り落としたのか(琴平?)、単独2連で返してきました。

仏生山の駅で、築港から返してきた一宮行きに入っていたリバイバル編成に乗車(219レ)。間近で見ると、確かに色味といい質感といい、細部に亘っても旧京急1000形のカラーリングを忠実に守っていますねえ。ことでんで使われている前面のナンバー部分は白帯で塗りつぶし、京急時代にナンバーが置かれていた位置に改めて車番を書き直している辺りも芸が細かい。ちなみに、今回のクラウドファンディングは「完全なる京急時代への塗装の変更」ではなく、「京急時代の塗装を模した広告枠の買い取りによるラッピング車両」という位置づけのため、白帯部分の「ことでん」の企業ネームとコーポレートマークだけはそのままになっていると聞きました。

実は、この企画が鉄道マニア界隈で回り始めた時、個人的には企画自体に若干懐疑的な見方が強かったのです。鉄道車両の塗装に対してファンの願望があっても勿論良いとは思うのだけど、クラウドファンディングという形で資金を募って主宰者の求める塗装を実現させるというのは、ファンのエゴであって鉄道会社に対する越権行為ではないかと。ことでんで京急1000形が元気で活躍しているのなら、カラーはともかくそれはそれでいいじゃないか?というね。いわゆるマニアの押し付け、みたいなものがあまり好きな方ではないので、例えば小田急ファンの有志がお金集めるから富士急にRSEを塗り戻して!というのも、気持ちは分かるけどなんか違うかなあ・・・と思うんですよ。

車内の雰囲気、そして天井の扇風機に「KHK」のマークが残る車内。通勤で20年以上京急に乗車しているので、少し前まで当たり前のように見ていた光景です。今や京急には鋼製車が希少な存在になり始め、あっちを向いてもこっちを向いても走っているのは新1000ばかりという会社になりました。まあ私が通勤で京急を使い始めた20年前は、どこを向いてもこの旧1000形ばかりが走っていたのも京急でしたから、まさに歴史は繰り返しているのですけどね。

瓦町の駅を出て、駅ビル階下の暗がりを琴平へ急ぐ赤い電車。しかしこうしてCFが成立して、実車が走っている姿を見てしまうと、当初の企画への懐疑的な気持ちもどこへやら。「素晴らしい・・・!」という言葉しかなくて、まったくもって自分の不明を恥じ入るのみではある。たぶん自分みたいなヒネた鉄道ファンによるご意見その他、逆風も決して少なくなかったと思うんですけど、そこを乗り越えてこの企画を成立させた主宰者の皆様と、1,500万円以上の資金を集めたファンの思い。そしてそこに応えたことでん本社に賞賛の言葉しかないのであります。

どんな世界でも、傍観者は傍観者でしかなく、天は自ら助くる者を助くという事ですな。
還暦の赤、堪能させていただきました。ありがとうございました。

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