青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

路地裏の 小さな電車 愛らしく

2020年02月23日 10時00分00秒 | 高松琴平電気鉄道

(名古屋から来た小箱たち@今橋車庫)

瓦町~琴電志度を結ぶ志度線は、海沿いに高松市の郊外を東へ走り、終盤はJRの高徳本線と並行して東かがわ市の志度へ向かう路線です。全長は12.5kmと短いながら全線で16の駅があり、JRが取りこぼしている地区の住民の足となっています。昔は志度線も瓦町の駅に北側から急カーブで進入し、スイッチバックして築港へ向かっていたようですが、瓦町駅周辺の再開発事業(コトデンそごう建設)に際して琴平線や長尾線と分断され、現在では完全に離れ小島の路線になりました。二日目に志度線の探訪をする前に、まずは今橋の車庫に行ってみました。路線の分断により仏生山の工場へのアクセスを絶たれたことから、志度線は瓦町の次の駅であるここ今橋に車庫と工場を持っています。

ラインカラーであるピンクを纏った車両が憩う今橋の車庫。志度線の車両は、元名古屋市交東山線で使用していた全長15.5mの小型車両で統一されています。もともと志度線は「18m車でも大きくて入れない」という車両限界のせいで、なかなか旧型の小型車が淘汰できず体質改善の遅れた路線でした。そこで、本線筋に元京王5000系導入を行った際に改造工事を施工した京王重機整備の仲介により、サイズ的に合致し余剰車の出ていた東山線の車両を順次導入することで車両更新を果たしています。東山線は架線を持たない第三軌条の地下鉄でしたんで、志度線に入線するには集電装置をパンタグラフに変えなきゃいけないんですけども、京王重機整備は同じように第三軌条の銀座線の2000系車両を日立電鉄や銚子電鉄に納入したりと実績ありましたからね。その辺りのノウハウを持っていたんでしょうね。

瓦町を出て、高松市街の中心部を走る志度線。まだ鈍い朝の光の中、レールを光らせながら琴電志度行きがやって来ました。何となく江ノ電を思わせるような路地裏を行くその姿、標準軌の路線ではありますが、どこか特殊狭軌(ナロー)の雰囲気を持っていて愛らしいですね。

狭いスペースに留置線と検修庫を設けた今橋の駅は、鉄道模型のジオラマなんかで「地方鉄道の車庫」みたいなものを作るんだとしたらもの凄い参考になるんじゃないかなあと思ってしまいます。まあ留置線に志度線全線の車両は入らないと思われますので、おそらく運用的には瓦町や琴電志度で何本かの夜間滞泊があるんでしょうね。右側に見える建屋が今橋の工場ですが、日々の検修はここでやるにしても、やっぱりここでやり切れないような全般検査だとかの大規模な検修は分解の上で運び出して、仏生山の工場へ陸送しているそうです。

今橋の駅はカーブした相対式の2面2線のホームですが、電車は志度に向かって右側のホームに入りました。今橋の駅は右側通行なんですね。土曜日の朝7時頃の電車で乗客はいませんでしたが、車掌さんが運転席に丁寧に発車の合図を送ります。去って行く電車を見送って、朝のお散歩は終了。改めて沿線に向けて展開して行くことにしましょうか。

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波止場にて 宇高連絡 夢偲ぶ

2020年02月22日 12時00分00秒 | 高松琴平電気鉄道

(波止場に立てば@高松港桟橋)

旅先の朝はいつでも早い。身支度を整え、朝6時を過ぎたところでホテルを出た二日目の朝。ことでんの沿線に向かう前に、高松港に来てみました。瀬戸内海に浮かぶ直島と豊島行きのフェリーが発着する桟橋。高松と言えば、かつては夜も昼もなくひっきりなしに本四間や瀬戸内の島々へ向けて多数のフェリーが往復していました。その頃の港の賑わいを偲ぶにはふさわしいような、波静かな高松の朝です。

昭和の時代までは、国鉄の宇高連絡船が高松~宇野を1時間、「急行」と言われたホーバークラフトが30分弱で結んでいました。当時は本四間の貨物輸送の大動脈として、乗客だけでなく航走用の貨車がひっきりなしに行き来していたはずの高松桟橋。もう瀬戸大橋が開通して30年も経つことにビックリしてしまう。青函トンネルとか瀬戸大橋とか、列島改造の集大成のような土木建築が次々と竣工したのが昭和の末期でしたよね。

小豆島の土庄(とのしょう)に向かうフェリーが汽笛を鳴らして高松港から出て行きます。曙に染まる瀬戸内の凪の海を蹴ってオリーブの島へ。讃岐高松はうどんの街だけど、島に渡って小豆島はそうめんが有名ですよね。いずれにしろ小麦粉文化の国なのでしょうけど。塩・砂糖・小麦が「讃岐三白」でしたっけ。

明けて行く高松の港。正面に横たわったように見える台地上の山は、源平合戦の舞台で有名な屋島。山なのに島なのか、という疑問は、元々島だったのが江戸時代に埋め立てられて陸地と繋がったからなんだって。アタマがスパッと切り取られているような特徴のある山で、それこそ讃岐富士に代表されるような甘食山タイプとは違った意味で特徴的。隆起した溶岩台地が長年の浸食によって、硬いところの地層だけが残ったためこういう形になったのだそうな。

最盛期には、国鉄の宇高連絡船よりも圧倒的に本数が多かった宇高国道フェリーの乗り場。平成24年に運航休止となった路線です。雨だれに錆び跡残る看板が物悲しい。そもそも、高松の間には、国鉄の宇高航路の他にも宇高国道フェリー、関西急行フェリー、四国急行フェリーの計4路線が就航してしのぎを削って来ました。それだけのドル箱路線であった、という事ですが、昨年の12月に最後まで運行を続けて来た四国急行フェリーが撤退し、伝統の宇高航路は109年の歴史に幕を降ろしました。

今回の旅行は、最終的には岡山から新幹線で帰る予定だったので、タイミングがあれば宇高航路に乗っても良かったんですけどね。間に合いませんでしたね。初日は琴平線を探訪したので、二日目は志度線・長尾線方面に向かうことに致しましょう。

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一日の 締めは良い湯で 微睡んで

2020年02月20日 23時00分00秒 | 高松琴平電気鉄道

(複線化を待つ駅@太田駅)

すっかり暮れた琴平線沿線、国道32号をすっ飛ばして高松市内に戻って来ました。仏生山の一つ築港寄りにある太田駅。時刻は午後7時、夕方のラッシュアワーもそろそろ一息という時間帯。琴平行きの1200形が入線して来ました。この太田駅、頻繁運転されている築港~仏生山(一宮)間では運用のキーになる駅で、朝から晩までほぼ全ての電車が交換するダイヤになっています。駅周辺は高松自動車道の高松中央ICを中心に国道11号には量販店が並んでいて、高松市内でも人口の増加しているエリアのようです。

琴平行きを待たせて、交換相手の築港行きが滑り込んで来ました。この時間でも築港方面・琴平方面それぞれにそれなりの乗客がいます。朝のラッシュ時は7分30秒、夕方は15分間隔の交換駅。これだけの頻繁運転なのに駅の両側はレトロなスプリングポイントなので、交換を終えた琴平行きが通過した後は、バッシャーン!という大きな音を立ててポイントが定位に戻ります。

太田駅の北側に回り込んで再び交換風景を。下り電車から多くの通勤客が下車して来ます。琴平線で複線となっているのは高松築港~栗林公園間の3km程度ですが、現在栗林公園~太田間では複線化工事が鋭意進められていまして、手前には拡幅されて整備されている道床が見えます。昼間に電車乗って通った時も各踏切に警備員が立って一生懸命工事してましたね。まだ複線での開業予定時期のプレスリリースは出ていませんが、完成の暁にはおそらく列車の増発とダイヤ改正が行われるはずです。レトロ電車の引退時期と合わせて考えると、来年夏あたりなのかなあ。

三条~太田間には国道11号を跨ぐ高架線の位置に新駅(伏石駅)の開業も予定されています。既にガワの部分は結構出来ているようなので見に行ってみましたが・・・夜見に行くもんじゃねーな(笑)。電車の中から見た限りでは相対式ホーム2面2線って感じのオーソドックスな駅だった。高松市内の住宅街にありながら、三条~太田は2.3kmと駅間距離ちょっと離れてましたから、地元待望の新駅ではないでしょうか。4車線国道の上を走る琴平線と、さらにそこをオーバークロスして行く高松自動車道。クルマ社会にサンドイッチを食らいながらも、新駅をねじ込んで行く我らがことでんの奮闘が際立ちます。

今宵の宿は、JR高松駅前の小さなビジネスホテル。話好き世話好きのばあちゃんが一人で切り盛りしていた。とりあえずレンタカーは駐車場へ。荷物だけ部屋に投げ込んで、またカメラ持って夜の築港駅へ。一日フリーきっぷを持っている割には全然元が取れていなかった。とりあえず止まっていた長尾線の電車に乗って街へ。高松駅前のサンポートタワーが光る。

瓦町で琴平線に乗り換えて、また再びの仏生山。今日何回目だ。夜のお目当ては、この駅から駅前通りを東へ徒歩7分くらいの場所にある「仏生山温泉天平湯」。結婚式場に併設(?)された温泉みたいで、ぽわーんと闇夜に暖色系の明かりが浮かび上がるデザイナーズ系の建物はお洒落な感じがします。なんか三重県の片岡温泉アクアイグニスを思い出すんですが、まあ分かる方はかなりのマニアかと(笑)。

香川県ってーとあまり温泉というイメージがなくて、それこそ仏生山からバスで南にずーっと行った塩江温泉くらいしかないんじゃないか。そんな「温泉不毛地帯」っぽい香川県内にあって、ここ仏生山温泉は評価が高いと聞いていました。泉質は含食塩重曹泉かな?ツルツルの塩辛い湯が掛け流しで、かなりレベルの高い良湯。700円はちと高いかもだが、この泉質なら首都圏なら1,000円以上取るように思える。冬にはちょっと冷たい源泉の檜風呂がいいんだなあ。朝からテンション上げて走り回った一日の疲れを手ぬぐい枕にウトウトとクールダウン。良い湯でありました。

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帰り待つ 夕餉の香り 赤ポスト

2020年02月18日 23時00分00秒 | 高松琴平電気鉄道

(威風堂々@琴電琴平駅)

こんぴらまいりを無事終えて、山の麓の駐車場へ戻って来ました。レンタカーに乗って、今度は琴平からの復路を撮影しながら築港方面に返して行きます。大鳥居のたもとの琴電琴平駅。土讃線の琴平駅も、こんぴらさんの最寄り駅として立派な風格を誇っていますが、どっこいことでんの琴平駅も土器川の支流の金倉川沿いに、小ぶりながらもしっかりした造りの寺院風駅舎を持っています。金倉川は、満濃池に源を発する川です。

見た目がそれっぽいので開業当時からの駅なのか・・・?と思いきや、作られたのは1988年と比較的新しい駅舎。頭端式の1面2線と言う典型的な地方私鉄の終着駅です。挿頭丘の駅で撮影したセブンイレブンラッピング編成が止まっていました。改札口前ではインバウンドの旅行者が高松行きの電車を待っていましたが、そうそうまだこの頃は新型肺炎ウイルスなんてあまり話題になってなかったからなあ。西日本の観光地って、多かれ少なかれ中華インバウンドに支えられている部分が多かったと思うので、今はどうなっているのだろうか。

榎井(えない)~羽間(はざま)間の土器川橋梁にて、先ほど琴平の駅に留置されていた京急&セブンイレブンの4連を。冬の夕映えはあっという間にこんぴらさんの山の端に消えて、霞むようにビロードの光が空を染めています。一宮~円座間の香東川橋梁と並んで、この土器川の鉄橋はことでんでは大きな規模の鉄橋ですが、香川県の川と言うのはどうにも水が少ない印象がある。たまたま雨の降ってない時期に行ったからかもだけど、基本的に川に流すくらいなら池に貯めておきたい「ため池文化」の国だなあと。

羽床駅。堤山を眼前に見る駅。集落の片隅に片面1線のホームがあって、讃岐平野をまっすぐに貫くように線路が続いています。なんか鉄道の本でこんな写真を見たな・・・なんて思ったのだけど、これ指宿枕崎線の西大山の駅と開聞岳の構図みたいだね。ジェネリック西大山(笑)。いや、撮影地にジェネリックもクソもないと思うのだけど。

基本的には築港まで、来た道を辿りながら滝宮駅。ブルーモーメントにその姿を見ると、また昼間とは見え方が異なって趣深いものがあります。ちょうど築港駅から滝宮止まりの電車がやって来て、ポイントをハネて2番線に進入して来ました。通勤帰りの乗客が、構内踏切を渡って降りて来ます。それを迎える初老の駅員と赤ポスト。父の帰りを待つ家族の、夕餉の香りが漂ってきそうな、滝宮駅の宵闇です。

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大権現 見つめるバトル いまむかし

2020年02月17日 17時00分00秒 | 高松琴平電気鉄道

(表参道石畳@金刀比羅宮参道にて)

登り始めた金刀比羅宮の参道。最初のうちは、緩い石畳にたまーに石段が挟まるような道の横に土産物屋や喫茶店などが立ち並ぶ娯楽色の強い雰囲気。有名なお寺や神社の門前によくある風景と言うか。個人的には地元の相州大山阿夫利神社の「こま参道」を思い出すねえ。神奈中のバス乗り場から大山ケーブルに向かうあの道の雰囲気。あそこは大山ゴマと豆腐だけど、こちらは讃岐うどんとしょうゆ豆。信仰が集まる場所というのは、そこに集まる人々のための道が出来て、街が出来て、文化が出来上がって行く訳ですが、「宗教・鉱山・温泉」は地方私鉄の三要素だと勝手に思っています(笑)。

休みも取らず階段を登って、ふと振り返ると琴平の街と讃岐山脈の前山に連なる山並みが見えた。結構登ったかなあと思いきや、これでまだ全体の1/3くらいだっつう事で先は長い。普段の運動不足の身にはツライ。明日は確実に筋肉痛になりそうだ。

ここでだいたい真ん中あたりらしい。「笑顔でしあわせ、こんぴらさん!!」という横断幕の前で、既に疲労困憊でへたり込みそうになっている自分がいる。山の下からケーブルカーとかリフトとか付けた方がみんな幸せになれていいんじゃないですかね、高尾山みたいに(笑)。

参道に並ぶ、こんぴらさんに勧進をなさった方々のご芳名。立ち止まって柱に刻まれた名前を眺めると、瀬戸内や大阪神戸の水産会社系を中心に北は釧路や南は枕崎まで、全国の漁業関係者の名前が並んでいます。あそこは出した、こちらはケチったなんて毛頭言うつもりもござんせんが、そこは神の道も仏の道も浄財の多寡というものによってのヒエラルキーというものは厳然としてある訳で、柱の大きさ小ささにその辺りがよく表れていますよね。船関係だと、岡山のナカシマプロペラがでっかいプロペラのモニュメントを納入してます。ナカシマと言えばヤマト発動機と並んで競艇用プロペラの二大供給メーカーでしたが、ナカシマって競艇のペラ作るの止めちゃってるんだってね。初めて知りました。

♪こんぴらふねふね おいてにほかけて しゅらしゅしゅしゅ 
♪まわればしこくは さんしゅうなかのごおりぞうずさん こんぴらだいごんげん いちどまわれば・・・

まるがめ競艇の締め切り音楽(笑)こと讃岐民謡「こんぴらふねふね」なんぞを口ずさみながら、リズムを付けて最後の石段を登る。ちなみに丸亀は締め切り1分前になるとBPMが上がって異常に焦らされるんだよな。民謡の「こんぴらふねふね」って、子供の頃は特に「さんしゅうなかのごおりぞうずざん」がさっぱり意味分からんで歌ってましたけど、今回金刀比羅宮にお参りする際に色々と文献を読んでいるうちに「まわればしこくは(四国を訪れたら)さんしゅう(讃州=香川県)なかのごおり(那珂郡)ぞうずさん(象頭山の)こんぴらだいごんげん(金刀比羅宮に)いちどまわれば(一回お参りしなさい)・・・」という歌詞の意味を人生折り返しを過ぎて知るのであった。こんぴらさんの所在地のことなのね。「ごおりぞうずさん」という人と金毘羅大権現に向かった、くらいにぼんやりと思っていたが。誰だよゴオリゾウズさんって。ロシア人か。

という訳で735段の石段を登り切り、金刀比羅宮の本殿前へ。マル金マークの提灯が出迎えてくれました。そこそこ速足で下から40分だったけど、心臓バックバクだわ。時刻は午後4時。まだ社務所は閉まっておりませんで、しっかりとお参りを済ませたあとに、こんぴらさんの黄色いお守りを頂戴する事が出来ました。

金刀比羅宮本殿前の展望台からは、讃岐平野の景色を一望のもとにする事が出来ます。その爽快な景色と麓から吹き上がってくる風に、ここまでの登りの艱難辛苦が洗われるような思い。山の麓に広がる琴平の街と土器川の流れ、左手には讃岐の甘食山シリーズ最高峰とも言える飯野山(讃岐富士)が聳え、その向こうには瀬戸大橋が見えます。展望台にいたガイド役のおばちゃんが「この時間になると霞んじゃって瀬戸大橋は見えないことが多いんですけど、今日は空気もきれいでよく見えますねえ!」なんて言ってた。

それだけ見晴らしがいいということは、必然的に「絶好の俯瞰場所である」という理解も可能な訳でして。琴平の市街をよーく目を凝らしてみると・・・おおお、ありました。ことでんの線路。腕時計を見るともうすぐ琴平から築港行きの電車が発車する時間です。自分以外の殆どの観光客がそんな事を気にしていないものと思われますが、やや時間があってほどなく築港行きの4連が土讃本線のガードを潜って日差しが残る線路に出て来ました。ちょうどタイミング良くJRも高松行きの2連の電車が築堤を上がって来て、きれいに立体交差付近で構図の中に収まりました。なんたる偶然!

JR琴平駅、琴電琴平駅をそれぞれ16:13に発車した高松(高松築港)行き。かたや多度津・丸亀・坂出回り、こなた一宮・仏生山・瓦町回り。こんぴらさんの神様が見下ろすJRとことでんの勝負は、JR(1246M)が高松17:19着、ことでん(50列車)が高松築港17:13着で僅かにことでんの勝ち。JRが多度津、坂出で計11分の特急の通過待ちをする分の差がなければ、と言ったところか。

もとより、金刀比羅宮の参拝客を巡っては、昔っから国鉄と琴電はライバル関係。速達性を高めるため、琴電が「こんぴら号」という名前の急行電車の運転なんかを行っていた時もあったそうです。現在は普通列車の運転のみと地域輸送にシフトした感じもありますが、それはJRも同じこと。キハ28・58の気動車急行とDD51が旧型客車を牽引する時代は過ぎて、高松~琴平間は高松都市圏として電化され、近郊電車が頻繁に走っていますからね。

ちなみにこの時期は、サンライズ瀬戸も琴平まで延長運転をしていたり。
こんぴらさんの大権現が見つめるJRとことでんのバトルは、今も続いています。

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