青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

安全の 槌音響け 仏生山

2020年02月10日 17時00分00秒 | 高松琴平電気鉄道

(仏生山のヌシ・デカ1形@仏生山工場)

異形のモノ、としか表現しようのない仏生山工場のヌシことデカ1形。デカとは「電動貨車」の事であるかと思われますが、工場内での入換動車的な役割を担っているようです。結構その手の趣味人には有名な車両ですけど、初めて見た感想は「なんじゃこれ・・・?」というね(笑)。車両と言うより船みたい。たまに農家の方が農地の中でしか使わないことをいいことに軽トラを好き勝手に改造して使ってたりしますけど、このデカ1もそんな感じがします。明らかになんかをベースにどっかから持ってきた部品をくっつけて、繋げて、組み立てて・・・という仏生山工場の高度なカスタム技術(?)を伺い知ることが出来ます。

デカの隣に並んでいた琴平線の600形605。「試運転」の方向幕を付けて、重要検査上がりなのか車体も下回りもピッカピカであった。ことでんに譲渡された名古屋市交のクルマ、台車が集電靴を使ってた第三軌条の時代のをそのままを使ってるのね。軌間が同じだから変える必要がないと。

さっきお堀端で撮影した朝の仏生山行き(1100形)が運用を終えて早々とクラに入っておりました。ピット内では、作業員の方がトンテンカンとハンマーを使っての打音による点検作業を行っていて、日々の作業とたゆまぬ安全への槌音が仏生山工場に鳴り響きます。こういった裏方の方々の地道な作業によって鉄道輸送は支えられているのですけど、ことでんが会社更生法を申請した際は、仏生山工場からも熟練したベテランの作業員がかなり去って、大きな痛手となったそうです。経済の縮小と少子高齢化に伴って、人材育成と人材維持が課題なのはどこの職場も変わりがないようです。

朝ラッシュが終わってから一時間くらいしか経ってないのだけど、既に朝運用を終えたクルマは仏生山の側線にしまい込まれている。よく見ると車庫のあっちこっちに朝運用に就いていたクルマがいて、結構平日の朝は車両の出入りが激しいのではないかと思われる。ひっきりなしに元京急のクルマが構内運転しているなんて、それこそ朝の金沢文庫のようではないか(笑)。

デカがのんびりと寛いでいる横を、琴平行きの1200形が駆け抜けていく仏生山の駅。半分ぐらいがラッピング車両になっている中で、純正の車両は貴重です。琴平行きホーム側は、切り欠きになっている部分にも車両が留置されていて、かなり手狭になっているのが実感出来ますね。本線に沿って奥に続く線路は長い引き上げ線になっていて、将来はここが複線用の下り線側の線路用地になるものと思われます。

工場の奥の側線と駅南側の側線に置かれていた1070形。この形式だけ朝ラッシュで見れなかったんだよな。タネ車は元京急の「初代」600形で、湘南二枚窓だった前面を改造して貫通扉付きの3枚窓、車内もクロスシートをロング化してしまっており当時の面影のあまり感じられない車両になっています。なんだかコノハズクとかフクロウ系の顔だな・・・。

高松築港行きの1080形。こちらも遠くに1070形が留置されているのが見えますね。京急の先輩後輩コラボであります。旧京急1000形のシンプルな片側3ドア、京急時代は種別の横に「31SH」とか運番が入ってたんでしたっけね。横浜発車から113系を相手にメンチを切り、大森海岸や青物横丁の高架をフルノッチで爆走していたあの頃の赤い悪魔っぷりはとうの昔ではあるけれど、この顔を見ると「かいとく~、みさきぐちいき~、ダァ閉めま~す」という島式ホーム時代の横浜駅の光景が、ソラリーボードの忙しないパタパタとともに思い出されたりするのでありました。

コメント
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