tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

観光の魅力は日々の暮らし

2007年11月13日 | 奈良にこだわる
観光のあり方を問い直すシンポジウムがあった。10/19開催の「国際シンポジウム 観光立国日本を目指すために」(主催:日本経済研究センター・日本経済新聞社)である。その模様が日経新聞に紹介された(11/5付朝刊)。
http://www.prime-intl.co.jp/jcer/program.html

全国版の半ページ(全7段)を割いての大特集である。見出しは《日々の暮らしこそ魅力》《「何でもない風景」大切》《自分の住む地域に磨き》…。これらの見出しが、シンポジウムの論点を端的に表現している。以下、概要をかいつまんで紹介する。
 … … …
1.基調講演:アレックス・カー氏(東洋文化研究家 著書に『美しき日本の残像』『犬と鬼』など)
・日本では神社仏閣など大きなものはきれいに保存されるのに何でもない風景は捨てられてしまいやすい。
・旧建設省のユートピアソングという歌が面白い。「山も谷間も/アスファルト/ランラン……/すてきなユートピア」
・観光客は美しく、心の安らぐ場所を求めてやってくる。景観は日本が観光立国を目指すうえで、国としての大課題といえる。
・残念ながら日本では「工場モード」が勝利を収め、日本文化が大切にしてきた感覚がまひしている。
・白川郷も景観の破壊が進んでおり、近々、世界遺産の危機リストに入りそうだ。
・私たちは「庵」という会社を作って、京都の古い町屋を壊してしまわずに、宿泊施設として再生して旅行客に提供する活動をしている。
・日本では京都でさえ、いかにも「私は京都の町が嫌い」とでも主張するかのような、奇抜な住宅を街中で見つけられる。
・日本が観光立国を目指すためには、日本の原点である古い知恵の秘められた文化にヒントを求めるべきだ。

2.シンポジウム
・白幡洋三郎氏(国際日本文化研究センター教授)
日本では美学として、奥ゆかしいほうが観光客も来てくれるなどと思ってしまいがちだが、やはりアピール力があるところに人は引かれる。(中略)パリの街並みはよその目を気にしてつくっているわけではない。ある種の住民エゴのうまい発動がきれいな街をつくるというのがある。

・舩山(ふなやま)龍二氏(JTB会長)
自分たちの住んでいる地域の景観を良くするという感覚が必要だ。特に農村は私たちの原風景。(中略)温泉や旅館といった日本独自のものも世界に向けてもっと発信していくべきだ。

・アレックス・カー氏
これからは場所とかものを見るだけではなくて、体験を取り込む必要がある。

・司会:小島明氏(日本経済研究センター会長)
日本に残された「本物」を確認するところから始めなくてはいけない。(中略)観光産業は将来的にも広がりのある分野。農村、漁村の復活に活用できるかもしれない。
… … …
カー氏のいう白川郷の惨状は、前日の日経朝刊の特集記事「国際フォーラム『世界遺産と文化交流』」(11/4付)でも、西村幸夫氏(東大教授)が言及していた。

《世界遺産になった白川郷は駐車場や土産物店で農地がつぶされ、休日には交通渋滞も起きている。白川郷の住民たちによる改革も、遅々として進まない。例えば、車の進入を止めて外側の駐車場利用に限定すると人の流れが変わる。人の来なくなる土産物店が出てくる。小さな集落の内輪の話で利害が衝突し、話はなかなか進まない》。石見銀山はこれを反面教師にして「行動計画」をまとめたそうだ。

シンポジウムに参加した方のブログ記事によれば、冒頭の《カーさんのお話が強烈でした。会場はその余韻を引きずりっぱなしという雰囲気》だったそうだ。確かに、日本の文化の原点に立ち戻るべきだというカー氏の主張には、説得力がある(カー氏が外国人だからなおさらだ)。私も今『美しき日本の残像』を読んでいるところだ。
http://homepage1.nifty.com/kanen/sinpen722.htm

記事のまとめは《パネル討論では、参加者らが「日常の暮らしや文化、景観を守ることが、観光地としての魅力を高める」との認識で一致した》という言葉で締めくくられている。

観光というと、とかく新しい施設・ハコ物とか奇抜な仕掛けとか、はたまた芝居の書き割りのような人工的な外観を連想してしまうが、それは違う。観光客は、その土地の生活文化を体験するためにやって来るのだ。

今井町(橿原市)には、地元民が食べている茶粥(かまど炊き)を、ここの町屋で食べるために多くの人が訪れている。私が2年前に訪ねた天川村の民宿で最も印象に残っているのは、ご主人たちと眺めた星が降るような夜空と、裏山の猿も大好物だという甘いトウモロコシと、山登りに持たせてくれたおにぎりの味だ。

カー氏は《JR京都駅舎も、1200年の伝統をよくもここまで否定できたという建物》というが、JR奈良駅の旧駅舎はぎりぎりセーフとしても、近鉄奈良駅ビルや、最近できたばかりの奈良地方・家庭裁判所は「伝統をよくもここまで否定できた」という代物だ。

一見何でもない風景や日々の暮らし(=文化)を大切にし、自分の住む地域に磨きをかける。そこに「アピール力」を付加する。この方向性を愚直に貫くことが、観光立国・観光立県への王道なのだ。

※写真は明日香村稲渕の棚田(06.10.30撮影)。昔懐かしい農村風景が広がる。
コメント (3)
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