竹林寺(ちくりんじ 生駒市有里町 奈良検定テキストP100)は、行基と忍性の墓で知られる。Wikipedia「竹林寺(生駒市)」によると、
《生駒山の東麓の山中に位置する。奈良時代に架橋、治水などの社会事業に奔走し、東大寺大仏の造立にも力のあった僧・行基の墓所がある寺である》。
《行基は文殊菩薩の化身と信じられており、寺号は文殊菩薩の聖地である中国の五台山大聖竹林寺にちなむ。明治時代以降は廃寺同然となり、本山の唐招提寺が管理していたが、20世紀末から境内の整備が進められている》《木造文殊菩薩騎獅像及び脇侍像-竹林寺の本尊。獅子像のみ室町時代の作であるが、その他は近代のものである》。
http://www.city.ikoma.lg.jp/dm/18/1810chikurinji/181006monjubosatu/181006monjubosatu.php
奈良検定テキストによると《鎌倉時代の文暦2年(1235年)に竹林寺の文殊堂付近から行基の舎利瓶が発見され、嘉元3年(1305年)には同所から八角石筒と銅筒、銀舎利瓶が出土した》。
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《舎利瓶の出土後、行基菩薩に対する信仰によって堂塔が整えられ、良遍・円照・忍性など南都高僧の止宿寺となった》《昭和61年(1986年)に忍性墓が発掘され、行基墓と同様の八角石筒に納められた銅製骨瓶が出土している》。
なお検定テキスト(P117)には、額安寺(大和郡山市額田部寺町)でも忍性の骨蔵器が出土した、と記載されているので、一緒に覚えておきたい。
http://www.city.ikoma.lg.jp/dm/18/1810chikurinji/181016ninshobokotsuzo/181016ninshobo.php
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本堂前のハス鉢。厚い氷が張っていた
竹林寺は、第2阪奈道路・壱分料金所のすぐ南西側(往馬大社から真っ直ぐ南)だ。電車だと近鉄生駒線・壱分駅から徒歩10分以内。私は車で生駒から168号線を南下し、第2阪奈の下をくぐってすぐの「有里町」交差点を右(西)に入った。細い道をたどって行くと、有里町自治会館があり、そのすぐ左(西)側の坂道を登っていく。駐車場もトイレも、ちゃんと整備されていた。
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有里町自治会館
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会館のすぐ横の坂道に、この標識がある
テキストには「無住寺」とあったが、境内はきれいに掃き清められ、参拝客を迎える体制になっていた(私が行ったときは、誰もいなかったが。)。境内に接して、行基菩薩の墓がある。行基の墓は、テキストにも写真が載っているが、やはり実際に見ると胸に迫るものがある。寺名は《中国の五台山大聖竹林寺にちなむ》ということだが、周辺には竹林がたくさんある。
第2阪奈の壱分ランプは、この寺にお参りするためにできたようなもので、大阪方面からのアクセスはとても便利だ。往馬大社同様、ぜひお訪ねいただきたい。
※写真は、すべて09.1.1撮影。
《生駒山の東麓の山中に位置する。奈良時代に架橋、治水などの社会事業に奔走し、東大寺大仏の造立にも力のあった僧・行基の墓所がある寺である》。
《行基は文殊菩薩の化身と信じられており、寺号は文殊菩薩の聖地である中国の五台山大聖竹林寺にちなむ。明治時代以降は廃寺同然となり、本山の唐招提寺が管理していたが、20世紀末から境内の整備が進められている》《木造文殊菩薩騎獅像及び脇侍像-竹林寺の本尊。獅子像のみ室町時代の作であるが、その他は近代のものである》。
http://www.city.ikoma.lg.jp/dm/18/1810chikurinji/181006monjubosatu/181006monjubosatu.php
奈良検定テキストによると《鎌倉時代の文暦2年(1235年)に竹林寺の文殊堂付近から行基の舎利瓶が発見され、嘉元3年(1305年)には同所から八角石筒と銅筒、銀舎利瓶が出土した》。
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《舎利瓶の出土後、行基菩薩に対する信仰によって堂塔が整えられ、良遍・円照・忍性など南都高僧の止宿寺となった》《昭和61年(1986年)に忍性墓が発掘され、行基墓と同様の八角石筒に納められた銅製骨瓶が出土している》。
なお検定テキスト(P117)には、額安寺(大和郡山市額田部寺町)でも忍性の骨蔵器が出土した、と記載されているので、一緒に覚えておきたい。
http://www.city.ikoma.lg.jp/dm/18/1810chikurinji/181016ninshobokotsuzo/181016ninshobo.php
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本堂前のハス鉢。厚い氷が張っていた
竹林寺は、第2阪奈道路・壱分料金所のすぐ南西側(往馬大社から真っ直ぐ南)だ。電車だと近鉄生駒線・壱分駅から徒歩10分以内。私は車で生駒から168号線を南下し、第2阪奈の下をくぐってすぐの「有里町」交差点を右(西)に入った。細い道をたどって行くと、有里町自治会館があり、そのすぐ左(西)側の坂道を登っていく。駐車場もトイレも、ちゃんと整備されていた。
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有里町自治会館
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会館のすぐ横の坂道に、この標識がある
テキストには「無住寺」とあったが、境内はきれいに掃き清められ、参拝客を迎える体制になっていた(私が行ったときは、誰もいなかったが。)。境内に接して、行基菩薩の墓がある。行基の墓は、テキストにも写真が載っているが、やはり実際に見ると胸に迫るものがある。寺名は《中国の五台山大聖竹林寺にちなむ》ということだが、周辺には竹林がたくさんある。
第2阪奈の壱分ランプは、この寺にお参りするためにできたようなもので、大阪方面からのアクセスはとても便利だ。往馬大社同様、ぜひお訪ねいただきたい。
※写真は、すべて09.1.1撮影。