1/24(土)、高取町(奈良県高市郡)に出向く用事があり、ついでに沿線の古墳を訪ねてきた。タイトルの古墳は、いずれも橿原市一町方面から近鉄飛鳥駅の南に出る道路沿いで、貝吹山から南に延びる越智(おち)丘陵の突端にある。
高取町には古墳が多い。総数では奈良県下で4位だが、人口当たりの古墳数(古墳密度)では県下ダントツ1位で、いわば「古墳銀座」なのだという。
http://www4.kcn.ne.jp/~yukiharu/kodai3%20kofunnmitudokennkaitinotakatorityou.htm
まず訪ねたのは乾城(かんじょう)古墳(高取町与楽)である。『奈良まほろばソムリエ検定公式テキスト』にはこの名前で出ている(P185)が、一般的には「カンジョ古墳」とか「与楽カンジョ古墳」の名で知られる。与楽古墳群の一角にある。
Wikipedia「カンジョ古墳」によると《高取町与楽に存在する古墳。奈良県一の高さの石室を持つことで知られる。墳丘の北側と西側が掘削されているため、原形や規模が不明だったが、調査の結果、一辺約36メートル前後の方墳と判明している。埋葬施設として、両袖式の横穴式石室をもち、石室の天井が極めて高いことが、この古墳の特徴である》。
《床面に土砂が流入していたため、石室の正確な天井高が不明であったが、平成20年の再調査により、石室の高さ5.27メートルであることが判明した(平成20年8月5日高取町教育委員会発表)。石室の高さは、石舞台古墳(高さ4.8メートル)を上回り、奈良県内一と見られる。また、石室の幅は3.7メートル、長さ6メートルと判明した》。なんと、石舞台古墳より高いのだ。
《石室の床面から、渡来人系の古墳で多く見られるミニチュア炊飯具の一部をはじめ、銀製指輪、玄室の中央部から棺台の一部と推定される高さ15センチメートルの盛り上がりや、木棺に使用される鉄釘が出土した。石室や出土品の特徴から、6世紀末から7世紀前半頃の渡来系の有力氏族(東漢氏)の首長の墓とみられている》。
次は、この古墳の東にある真弓鑵子塚(まゆみかんすづか)古墳である。ここは高取町の境を少し越えた明日香村真弓にある。
「鑵子塚」と名のつく古墳は複数あるが、「鑵子(かんす)」とは、広辞苑によると《(1)湯を沸かすのに用いる青銅製または真鍮(しんちゆう)製の器。茶鐺(ちやとう)。(2)茶の湯に用いる茶釜。真形(しんなり)の釜を指す場合と弦のある手取釜を指す場合とがある》。要するに、背の高い円墳を指すようだ。確かに茶釜の形に似ている。
明日香村のHPによると、真弓鑵子塚古墳は《直径約23m、高さ約5mの円墳です。埋葬施設は花崗岩の巨石を使用した横穴式石室で全長10m以上を測ります》《石室規模は玄室長6.33m、幅4.23m、高さ4.8mで北側の羨道は幅1.92m、高さ2.35m、長さ3.9m、南側の羨道は幅2.26m、高さ2.28m、長さは現長で約5mあることが明らかとなりました》。
《石室内からは金銅製装飾金具や金銅装馬具(尾錠)、須恵器や凝灰岩片も多数出土していることから石棺が安置されていたと考えられます。築造年代については石室構造や出土遺物などから6世紀後半頃と推定されます》。
《貝吹山の南側斜面に位置し、近在には乾城古墳や与楽鑵子塚古墳など穹窿式で巨石を用いた古墳が点在しています。またこの地域にある与楽古墳群からはミニチュア炊飯具や簪子など渡来系要素をもつ遺物が出土していることからこの地域の古墳は渡来系氏族東漢氏の墓域ではないかと考えられています》。
http://www.asukamura.jp/chosa_hokoku/mayumi/mayumi.html
発掘調査により、この古墳の石室は全長19m以上と石舞台古墳より長く、国内でも最大級であることが判明し、話題になった(08年2月発表)。
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080207/acd0802072057009-n1.htm
石室の「高さ」が国内最大級の乾城古墳と、石室の「長さ」が国内最大級の真弓鑵子塚古墳が、すぐ近くに並んでいて、しかもどちらも渡来系の有力氏族である東漢(やまとのあや)氏の墓とみられているのである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%BC%A2%E6%B0%8F
よしっ、これで覚えた。これで、乾城古墳と真弓鑵子塚古墳の奈良検定対策は完璧だ!
高取町には古墳が多い。総数では奈良県下で4位だが、人口当たりの古墳数(古墳密度)では県下ダントツ1位で、いわば「古墳銀座」なのだという。
http://www4.kcn.ne.jp/~yukiharu/kodai3%20kofunnmitudokennkaitinotakatorityou.htm
まず訪ねたのは乾城(かんじょう)古墳(高取町与楽)である。『奈良まほろばソムリエ検定公式テキスト』にはこの名前で出ている(P185)が、一般的には「カンジョ古墳」とか「与楽カンジョ古墳」の名で知られる。与楽古墳群の一角にある。
Wikipedia「カンジョ古墳」によると《高取町与楽に存在する古墳。奈良県一の高さの石室を持つことで知られる。墳丘の北側と西側が掘削されているため、原形や規模が不明だったが、調査の結果、一辺約36メートル前後の方墳と判明している。埋葬施設として、両袖式の横穴式石室をもち、石室の天井が極めて高いことが、この古墳の特徴である》。
《床面に土砂が流入していたため、石室の正確な天井高が不明であったが、平成20年の再調査により、石室の高さ5.27メートルであることが判明した(平成20年8月5日高取町教育委員会発表)。石室の高さは、石舞台古墳(高さ4.8メートル)を上回り、奈良県内一と見られる。また、石室の幅は3.7メートル、長さ6メートルと判明した》。なんと、石舞台古墳より高いのだ。
《石室の床面から、渡来人系の古墳で多く見られるミニチュア炊飯具の一部をはじめ、銀製指輪、玄室の中央部から棺台の一部と推定される高さ15センチメートルの盛り上がりや、木棺に使用される鉄釘が出土した。石室や出土品の特徴から、6世紀末から7世紀前半頃の渡来系の有力氏族(東漢氏)の首長の墓とみられている》。
次は、この古墳の東にある真弓鑵子塚(まゆみかんすづか)古墳である。ここは高取町の境を少し越えた明日香村真弓にある。
「鑵子塚」と名のつく古墳は複数あるが、「鑵子(かんす)」とは、広辞苑によると《(1)湯を沸かすのに用いる青銅製または真鍮(しんちゆう)製の器。茶鐺(ちやとう)。(2)茶の湯に用いる茶釜。真形(しんなり)の釜を指す場合と弦のある手取釜を指す場合とがある》。要するに、背の高い円墳を指すようだ。確かに茶釜の形に似ている。
明日香村のHPによると、真弓鑵子塚古墳は《直径約23m、高さ約5mの円墳です。埋葬施設は花崗岩の巨石を使用した横穴式石室で全長10m以上を測ります》《石室規模は玄室長6.33m、幅4.23m、高さ4.8mで北側の羨道は幅1.92m、高さ2.35m、長さ3.9m、南側の羨道は幅2.26m、高さ2.28m、長さは現長で約5mあることが明らかとなりました》。
《石室内からは金銅製装飾金具や金銅装馬具(尾錠)、須恵器や凝灰岩片も多数出土していることから石棺が安置されていたと考えられます。築造年代については石室構造や出土遺物などから6世紀後半頃と推定されます》。
《貝吹山の南側斜面に位置し、近在には乾城古墳や与楽鑵子塚古墳など穹窿式で巨石を用いた古墳が点在しています。またこの地域にある与楽古墳群からはミニチュア炊飯具や簪子など渡来系要素をもつ遺物が出土していることからこの地域の古墳は渡来系氏族東漢氏の墓域ではないかと考えられています》。
http://www.asukamura.jp/chosa_hokoku/mayumi/mayumi.html
発掘調査により、この古墳の石室は全長19m以上と石舞台古墳より長く、国内でも最大級であることが判明し、話題になった(08年2月発表)。
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080207/acd0802072057009-n1.htm
石室の「高さ」が国内最大級の乾城古墳と、石室の「長さ」が国内最大級の真弓鑵子塚古墳が、すぐ近くに並んでいて、しかもどちらも渡来系の有力氏族である東漢(やまとのあや)氏の墓とみられているのである。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%BC%A2%E6%B0%8F
よしっ、これで覚えた。これで、乾城古墳と真弓鑵子塚古墳の奈良検定対策は完璧だ!