tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

梅香語録(1)今井は日本の「まちづくり」発祥の地や

2015年07月10日 | 奈良にこだわる
「若林梅香語録 」を今日から断続的に掲載したい。今井町町並み保存会会長の若林稔(雅号:若林梅香)さんへのロングラン・インタビューの記録である。

若林さんは、1940年(昭和15年)今井町(橿原市)生まれ・在住。1959年に近畿日本鉄道株式会社に入社、乗務員経験を経て広報・企画などの仕事に携わる。近鉄を定年退職された15年前の2000年(平成12年)から、本格的に今井町のまちづくりに関わっておられる。

私は先日、眞柄翔多郎(まがら・しょうたろう)さんが2011年(平成23年)、修士論文(千葉大学工学部 北原研究室)制作のために行った若林さんへのインタビュー記録(テープ起こし)を入手した。A4版で約80ページという膨大な資料で、若林さんのお宅に滞在中、1年をかけて録音されたものである。

このたび若林・眞柄両氏にご快諾いただいたので、これを抜粋し、最小限の加除修正を加えた上で順次、当ブログで紹介させていただくことにしたい。これは若林さんが後半生を賭けて取り組む、今井町まちづくりの貴重な記録である(文責:tetsuda)。
なお写真はすべて、吉田遊福さんからご提供いただいた。この場で厚く御礼を申し上げる。
※追記 「梅香語録(2)オレはチンドン屋になる」(2016.1.25)は、こちら

■先走りするバカと若者が結びついたら、町は起きる
町には先走りするバカとそれを支援する若者、これらが組み合わさったら町は起きる。「ああそうか、そういう言葉があるのか」って思うけど、オレは以前から体感しているわけや。オレは先走るバカや、それを支援する若者が今生まれかけている(保存会のメンバー、千葉大学・奈良女子大学の学生たち、堺市の焼鳥屋さん、茶道具の職人さん など)。

今までのまちづくりは「保存」ばっかりや。「保存を通じて何かを生み出そう」とすることばっかりや(「重要伝統的建造物群保存地区」=重伝建の建物をただの材料にしたがる)。

ヨソの町は「自分の町はつぶしても(変わっても)かまへん」という町や。そやけど今井町は、ここまできたらそれは出来へんという宿命を背負うていることに気付かなあかん。「法隆寺をつぶすのと同じや」と言うほどの価値がある、ということや。(法隆寺と同じく)絶対に残さんなあかん財産、それが今井町や。

しかし「建物を残さなあかん、町並みを残さなあかん」ということばかりに目が行って、結局はインスタントの「観光」に持って行く。その町の「ホンモノ」を残そうとしない。今井町は残す価値がある。全国で町並み保存をするきっかけとなった町や(1975年の文化財保護法改正により、重伝建制度が創設された)。これだけの規模が残る町は、ヨソにはない。

■今井町は60年前から注目され始めた
まちづくりのエキスパートやプランナーになる人のための研修(地域プランナー・コーディネーター養成塾)の中で、「今井町を知っている人は?」言うたら、さすがに半分以上は手を挙げる。「行ったことある人は?」言うたら、とたんに2~3人や。そんな人らが「まちづくりのエキスパートになる」言うてんねん。どこの町がまちづくりのパイオニアとして一生懸命やっているか、それを勉強もせんとやっとんねん。

まちづくりがどこから起こったかいうたら、今井町から起こってん。あんたらも知ってるやろ?日本の地域おこしはどこから起こったんやいうたら、今井町から起こったんや。それを誰も知らへん。そんな所で町おこしやるって、どんなに難儀なことか。

あれから何年経ってんの? 昭和30 年(1955年)に気が付いてからやで(東京大学の伊藤禎爾教授が、今井の今西家を国の重要文化財に推薦し、今井町を世間に公表し始めた年)。おおかた60 年ほど費やしてんのに、奈良県の人間で「町おこしのルーツは今井や」と知らんと「どこどこが有名や」ばっかいうねん。

それはな「発信する人づくりが出来てない」いうのと、それから奈良県の人間に、性根据えて県内で荒れ地を耕して家を作った人がいないからや。恵まれている所に都を持って来たんや。恵まれた条件ばっかり…(奈良県が自然条件に恵まれていることに、県民自身が気づいていない)。

人間って、天災のことをよう知っとる訳や。動物と一緒やねん。昔ほど、カンが鋭いんや。今コンピュータやけど、昔の人はコンピュータ以上やね。日本国中どこの地域行ったら「こんな震災が来る」「どんな天災が来る」いうのを全部知り尽くした上で、一番安全と認められる所へ都を置いている。

本来、自然とうまいこと調和できる能力を進化させるのが文明や。川いうのは、ほどほど危険承知でも、寄らんことには水もらえないから、接する限界まで近づいて川の恩恵を受ける訳や。それより近づく人は、危険を承知で「流されてもしゃあない」言うことで(自己責任で)入る訳や。山のこんな谷間の所になんで人がいるの? 木を切り出したいからそこにいるんやろ。その人たちは「しゃあない」で入るから、保証みたいなもの何も欲しがらない。そやけど
今「しゃあない」で入ってる人まで「保証してくれ」言うとるから、おかしいんや(皆が私欲のため、現代的な生活をしたいがために、保証を取りに走っている)。



■変わりもんは宝や
変わりもんは宝やねん。オレの話によく出てくる焼き鳥屋さん。文章も満足によう書かんので、傍目(はため)から見えたら礼儀知らずに見えるわけや。手紙出したかて、返事が返って来(け)えへん。しかしこっちから足運んであげたら、ものすごく喜んでくれる。こっちから歩み寄ったら、ものすごい味のある子(若者)やねん。

そやけど今は「あの人、手紙くれはったから律儀な人や」て判断される。こんなん律儀違う。何かをやったら、それに対して対価を求めすぎる。すぐの対価じゃなしに、ずっと向こうで、予期せん対価があるんや。これは自分でも想像つかん。

■天然水は煮沸してから出す
「地域プランナー・コーディネーター養成塾」(一般社団法人地域づくり支援機構)の発表での話や。「今井灯火会(とうかえ)」をやりますと、ここで人が動いてますと。人が動いてるけれども、表はこういうふうに動いていますと。そやけどその裏で、町の人がこんだけ動き始めました、子供がこんだけ動き始めましたと。短冊を作ったり、コップを作ったりしてますと。(冷やし飴用の)水を汲みに行きますと、その水はこれだけ要りますと。それはホンモノの水(天川村のごろごろ水)を汲みに行きますと。

「ごろごろ水を汲んできた」言うたらすぐ飲めると思うけれど、天然水は家庭で飲むなら良いけど、人前に出すときは 60 度以上で煮沸せな提供でけへん。そやけど機械で煮沸したものは、市販されてんねん。市販されたものを買ったら、この間(かん)の手間(汲んできて、人の手で煮沸する工程)をかけとらん。この過程を知らないうちに通り過ぎているわけや。そやけど汲んでくるエラさ(大変さ)、煮沸せなあかんエラさを乗り越えて、さりげなくお客さんに出せたら、これがホンマもんやねん。

(飛鳥の山の竹藪へ材料の竹を切り出しに行って)竹コップ用に切る。これ、子供たちが切ってくれる。この冷やし飴の水(ごろごろ水)は、単なる水と違うねん。ここ(煮沸するという手間)をくぐっとる水や。竹コップも、ここを通過しとるコップや。そやけど「竹のコップで回し飲みか、汚い」と言う人が多い。「紙コップにすりゃええのに」と。これが今の相場(嘆かわしい状況)やねん。

そやない。回し飲みするからこそ、みんな丁寧に洗うねん。子供はコップを丁寧に丁寧に洗うねん。「飲み口で傷ついたらあかん」って(サンド)ペーパーで磨いとる。これで「他人(ひと)に対する思いやり」を勉強しよるわけや、子供が。お客さんに喜んでもらうためやない。そんな教育をするために「今井灯火会」をやっとんねん。

■まちづくりは人づくりから
行政はどうしてもインスタントの観光に目が行く。そやけどオレは「保存と経済の両立」を観光に求めたくない。「まちづくりは人づくりから」を信念にしとる。その信念を教えるために「灯火会を始めたらええやないか」と事務局を突ついた。初めは志を同じくする者で。オレが言い出しっぺで「4~5人でしか作ったらあかん」と。「これ以上は絶対にあかん」と。で、素案ができた段階で「プログラムとして、10 人ぐらいで核作れ」と。「それからじゃないと実行委員会立ち上げたらあかん」と。実行委員会を立ち上げた段階で「すまんけど、これでやってくれへんか、協力してくれへんか」じゃないとあかん。「意見を聞いたらあかん」と。

意見聞いたら、普遍的な(優等生的な)意見を言うから、トーンが下がる。そしたらヨソと同じものになんねん。ヨソの灯火会で見てきた事を言いよるから。すると今井町オリジナルの灯火会ができへんわけや。初めやったとき(当初は保存会ではなく「防災会」が主催。 その後、町並み保存会に投げてきた)、ヨソの灯火会の物真似をやってるから、すごい難儀しとるねん(灯火会を単なる一過性のイベントにしてしまった。これを1週間~1ヵ月続けることができたら本物になるのだが)。



■季節労働ではダメ
灯火会という単独のイベントやったら、これで成功やと思うやんか、みんな。しかし灯火会だけでは、単に季節労働者の集団を作るだけや。8月が来たら人が集まるだけや。一時的な快楽のイベントから脱しない。せいぜい「PR効果として、しないよりまし」というくらいや。

せやけど年間通じて季節感、地域性、伝統を踏まえていろんな行事をして、灯火会もその一部を成す、と組み立てるなら、町の経済(活性化)につながっていく。 年間365 日全部を賑わいもので埋めきったら、町中が賑わういうことや。 そこから学ぶ物は何かいうたら「共同作業による団結力」。そしたら、若者をからめられる。

行事(イベント)から慣習(習慣)への移行や。行事は気張ってやるが、気張ってやるもんやなく、平気でやれるようになった時、経済に繋がる。それが 10 年後に見える姿や。

オレは 10 年後にはこれくらいしか出来へん言うてるねん。そやけどこれを継続したら、次世代の町家は、家の中は賑わうと。昔、旦那衆はお茶(茶道)を通じて、次元の高い文化を吸収して、それを糧にまた町に還元していた。町の職人が生きてくる。

今井町はヨソと違うて「和服が一番似合う」という誇りを持って、和服姿の人が歩いてくれるだろうと、普段でも。そして留学生たちも。「今度はビジネスの基地としての今井町を復活する、これがめざす将来像です」と、「国際都市になります」と。

国際都市いうたら「世界の人を受け入れるために、水洗便所を作らなあかん、何せんなんあかん」言うけど、その前に、向こうから喜んで来はる人に「日本の文化を何で体験させてあげないんや」と。 これは(今井町で提供している)お粥さん(茶粥)の原点や。

■大和の茶粥は、おもてなしの宝や
オレ結婚してすぐ、富山の友達を呼ぶとき、家内に「お粥さん、食わせてやってくれ」いうた。家内は「これだけじゃ、あまりにも貧弱や」言うたけど「お粥さんだけ黙って作れ」言うた。そやからお粥さんに梅干しとたくあんぐらいで出してくれると思ってたら、刺身買うて 白いご飯炊いて…。「お前何考えてんのや。海辺の富山の人間に大和で最高の刺身出したかって、それは獲ってから1日たった古いもんや。大和にいるから刺身はご馳走やけども、富山の人が大和に来て刺身食いたいと思うか?」と。

お粥さんは大和では一番つまらんかも知れんけど、オレは「大和のお粥さんは、おもてなしの宝や」言うてる。それやのに「若林は、お粥さんみたいなもんでカネを取ってる」と言う人がいる。そやけど「お粥さん食べたくて今井に来ました。前回食べられなくて」言うて順番待ちしてる人、ようけおる。そこに目覚めなあかん。

これ、(大阪府柏原市の)カタシモワイナリーの河内ワイン。プラカードで堅下(かたしも)を PR しとる。そしたらここの社長、喜んで冷やし飴(の素の500杯分)を2年間、タダでくれてん。「カタシモワイナリーを PR してくれとるし、今井のことは勉強になるから」言うてな。3 年目からはオレの方から「経済力がついてきましたんで、払います」言うて、無理矢理払うてん。



■新札を用意する
ウチ(若林さんの書道教室)でも月謝、持ってくるやろ。初めの間はな、ヨレヨレのお札、入れてくるねん。オレ、オコるんや。「オレは、月謝が目的で教えてるのと違う。謝礼を目的に教えてるんやったら、もっとおカネ取る」言うて。「オレは全力投球してる。ヨソより高いか安いかは分からん。しかし月謝と言うのは、あんたらの『有難い』いう気持ちが、おカネでしか表現できへんからやろ」と。「すんません、古いお札しかありませんでした」は言い訳やと。「1ヵ月に1回や、新札を用意しときなさい。それが教えてくれる人に対する礼儀と違いますか」と。それからはその人はずっとサラのお札。するとその人は、ずっとヨソにも新札を心がけるようになるねん。

オレはね、食べ物屋には、できるだけ古いお札使うようにしてる。そら当然や、おれカネ払うて食うねんから。そやけども新札もちゃんと残してる。これがな、見えないけど精一杯の感謝の気持ちや。こんなんは心がけや。「(新札を)集めなあかん」思うてたら、集まんねん。そやけど「単なる対価や」思うてたら集まらへん。

昔の奈良の商人に毎朝、塩酸で硬貨を洗うてはった人がいた。塩酸で洗うと銅なんかはピカピカになる。それを水洗いしてからおつりに使うてた。そんな見えないものを積み重ねてたら、見えた時、どれだけのことをしてくれるか。見えない所に汗を流す人が少なくなった。闇雲に汗を流すんじゃなくて「これやったら喜んでくれはんな」という物(もん)にさえ気がついてたら…。

■「今井を書くなら、若林を書け」
今井に外国人はなかなか来ない。まだ通りすがりや。以前、tetsudaくんが引っ張ってきてくれた先生(奈良女子大学の松岡悦子教授)が今、来てくれてるでしょ? 見えない所で返ってくるねん。この子ら(外国人留学生)を連れてきてくれた(松岡)先生は、「今井なら、信頼できますので」と言うてくれる。

この子(千葉大学の学生)は「卒論で今井を書きたい」言うてくれはった。うれしいこっちゃ。千葉から離れた今井のことを卒論に書く。「教授(千葉大学の福川裕一教授)からまたか言われました」いうて。教授は「今井町を書くのなら、若林さんを書け」って。理論派で通ってる教授で、そんなに会うてないんやで。全国町並みゼミで会ったら「いつも千葉大の学生がお世話になってます」言うて。先生の知らない間にこの子らが来て「えぇ!行ってんのかい」言うことで挨拶に来られたくらい。そやけどちゃんと学生たちの様子から、見抜いてくれてるわけやな。「まちづくりに何が必要か」を見抜いてくれてる。

まちづくりはブームが去った時、ブームに乗っていた他人(ひと)らだけが去る。そのあと残った町の人らが「残った人間で、どのように町を残さんなんのか」をしっかり考えなあかん。「今、ブームや」思うて入れ込んで投資したら、潰れますよ。それこそ「屋台骨から潰れますよ」ということを言いたい。「それより、人づくりして行かなあきませんよ」と。

■補助金はいらない
おカネに頼るまちづくりはしたくない。補助金ありきのまちづくりはダメ。全国で「補助金いらん」言うてるのは、オレくらいかも知れん。そのかわり「補助金いりません」言うたら、体(労力)で返してくれる。整備事務所(今井町並整備保存事務所=橿原市役所の出先機関)が一番先に目覚めて、パイプ役になってくれてる。灯火会のときに「ゴミを廃棄せないかん」言うたら「分かりました」言うて廃品回収のトラックを借りてきてくれた。

公園の草をオレが自主的に刈ったら「華甍(はないらか)の草は、ウチで刈らしてください」言うて。町並み散歩の時は、(橿原市シルバー)人材センターを使うて、ドブさらいをしてくれた。堀のすっきり底まで。

■観光でないところでおカネが回る
昔から観光で食ってる所は、観光で食って行かなあかん。それをこれから新たに観光で食うなら、まちづくりじゃないねん。町を材料に使わず、観光で食える一番手っ取り早い方法、周辺地域の景観や観光資源を使った観光をしたいのや。この狭い今井で観光や言わんと、ここを基地にして飛鳥へ連れて歩けばええねん。今井では2 泊も3 泊も泊まれる。それが観光や。

今井は泊まらせるだけや、晩ご飯食べさすだけや。今井を「見せる」必要はないねん。古い佇まいの中で「生活」をさせたったらええ。そしたら「この町は残さないかん」言うの分かる。「観光」言うんやったら、ここから方々へ史跡巡りへでも連れて行ったらええねん。

そやけど、ここで泊めた人の食事を作らなあかん。例えばあんたら、20 人で泊まるんでしょ? そしたら 20 人分のご飯を作らなあかん。誰がおカネを払おうと、どこから(そのおカネが)出ようと、20 人の食材は、ここで調達されるわけや。これを有難いと思わんと。(行政などは)観光土産を売ったのだけが有難いと考えるからおかしいんや。 ここへ親戚100人が帰ってきても構わへんのや。親戚全部が今井に帰ってきたよ。これは観光消費とはちゃうねん。

今井の町中が「同じ日に法事をしましょう」言うてイベントを打つとする。それで親戚が全部帰って来るとする。これは観光目的でに帰って来るのか? 違うやろ、先祖の供養をしに帰ってくるんやろ。先祖の供養 に帰ってきよるけど、帰ってきて日帰りさせたらあかん。泊めたら布団屋が儲かる。自分のとこでご飯を作るなら、食材を買わなあかん。これで動いている経済(おカネの流れ)をどこも試算しよらへん。そやろ、 潤ってるんや、地域が。

その経済活動を誰も試算せんと「お客さんがこれだけ入ったから、これだけ儲かった」ばっかりの話や。観光の経済ってな、浮わついた経済で根が生えてへん。目的があって帰ってきた人がご飯を食べる、家族が増えたらすごい経済や。誰が(おカネを)出そうと、その地域でカネが落ちてる。それを評価せんと、(入込観光客数が)何人か、何万人来たか評価するけど、帰って来た人らがここで何日ご飯食べたか、どこも試算してへん。本当は、この経済的価値がすごい。

今、今井町のようなところにとって一番タチの悪いのは、旅行会社や。彼らはええ所を作って流行を生み出すのは得意やけど、引き際もきれい。引いたあとは草も残らん。

行政が入ると「多数決で賛成が得られるまちづくりをせんなん」言うところに流される。するとカネは出しやすい所にしか出さない、批判する所には出せへん。それから(まちづくりの)方策も、金の出しやすい方策(戦術)を打ち出す。「発展しますよ」を前提として。

(行政は)1回、ハコモノで失敗しとる。ハコモノのまちづくりで失敗して、そこから地方行政は「ソフトのまちづくり」を提唱し始めるが、結局はどこかのマネごと。ヨソで成功している事例をそっくりそのまま実行に移すから、いまイチピンとこない。こだわり(工夫)がない、個性がない。今井町もハコモノを作っていて補助金をもらっていた時分のことを「成功や」と錯覚していた。今、オレが「失敗ですよ」と言っている所は、まだハコモノを作っとる所や。

■今井はヨソにマネされる町や
どんな時代がきても「今井はまちづくりのリーダー格でないといかん」と言う自負を持たないといけない。「物マネをする町やない、物マネさせる町や」という自負を持ちなさいと。学者の話を聞いたら、それは二番煎じやねん。我々が(実践者として)発信したものを、学者に学ばさないといけない。これがパイオニアや、その誇り持てと。誇り持たないとまちづくりなんかできへん。 ハッキリ言えば、ここらかてモトをただせば原野と一緒や。何もない所で商いをしよう思うて入って来たら、たまたま旗振りのお寺(浄土真宗本願寺派の称念寺)があったけれど、「信仰」という団結心はあったけど、ここで飯を食うためには「信徒に貢ぎ物もせんならん、何もかもせんなん、それも含めた金儲けをせなあかん」言うので、外から来て商いするわけでしょ。土台をつくって家を建てて、商品を置いて商いするわけやろ。ということは無一文から立ち上げたんでしょ、無一文から町を作ったという「過程」を勉強せんなあかん。

■先祖が努力したプロセスを学べ
今、みんな勉強してるのは、こんな大きいの建てた人達に学ぼう言うてる。しかし実際、学んでるのは町が出来た後の経済ばっかり学んでる。この町は商業の町やどうやと。そうやない「どないして、これだけの商業の町に作り上げたか」と、 その過程の汗(努力)を学ばん限りあかん、と言うとんねん。

どこでもそうや。城下町があって、「こんなに発達した城下町を、これからどうしよう」の議論ばっかや。「なぜここを守ろうとして城下町を作ったのか、なぜ原野に城下町を作ろうとしたのか、砦を作ったのか」と。砦を作ったスタミナ(努力の過程)を学んだら、次の砦を作れる訳や。形の違う砦も作れる訳や。

そやからオレはいつも「形を作るんじゃない、形を作ってきた人間の心を学べ、スタミナを学べ」と言うねん。実際見てみ、あんたら(学生に)に夜中の3時まで作業させといて、町の人は大半夜寝てるでしょ。 それで行事を起こしてるんやろ。そんなんで町が起きるはずがない。一緒に寝ないでここに詰めて。町民が主役で「すまんけどオレら主役やけど、パソコンは、よう動かせへん。あんたらが起きてる限りオレらも起きてるから、パソコンだけ頼むわ」言う人らが生まれないと、本物のまちづくりなんてでけへん。それを今、あんたらは徹夜徹夜で何人か、やり始めたわな。やっとそれで兆しが見えてきたわけや。


一見、極端なことのように聞こえても、よくよく考えれば合点がいく。ご苦労を乗り越えてここまで来られた若林さんの言葉の1つ1つは、とても重い。これから10回以上、連載を続けていくので、ぜひ熟読玩味いただきたい。

(7/11追記)NPO 法人「スマート観光推進機構」星乃勝さんが、この記事をうまく要約してくださいましたので、以下に紹介いたします(紫色の部分)。

奈良県今井町の若林さんも本物の町おこしバカの一人だ!和装の衣装と白い顎鬚が似合う物静かな人物。今井町は日本の「まちづくり」発祥の地! そして今も息づいているまちだ。若林語録、学ぶ点が多い…

【ポイント】
・町には先走りするバカとそれを支援する若者、これらが組み合わさったら町は起きる。
・今井町は全国で町並み保存をするきっかけとなった町や(1975年の文化財保護法改正により、重伝建制度が創設された)。これだけの規模(の街並み)が残る町は、ヨソにはない。
・奈良県が自然条件に恵まれていることに、県民自身が気づいていない。「どんな天災が来る」いうのを全部知り尽くした上で、一番安全と認められる所へ都を置いている。本来、自然とうまいこと調和できる能力を進化させるのが文明や。川いうのは、ほどほど危険承知でも、寄らんことには水もらえないから、接する限界まで近づいて川の恩恵を受ける訳や。それより近づく人は、危険を承知で「流されてもしゃあない」言うことで(自己責任で)入る訳や。

・天然水は家庭で飲むなら良いけど、人前に出すときは 60 度以上で煮沸せな提供でけへん。汲んでくるエラさ(大変さ)、煮沸せなあかんエラさを乗り越えて、さりげなくお客さんに出せたら、これがホンマもんやねん。
・行政はどうしてもインスタントの観光に目が行く。そやけどオレは「保存と経済の両立」を観光に求めたくない。「まちづくりは人づくりから」を信念にしとる。
・(イベントについて)意見聞いたら、普遍的な(優等生的な)意見を言うから、トーンが下がる。そしたらヨソと同じものになんねん。(今井)灯火会を単なる一過性のイベントにしてしまった。これを1週間~1ヵ月続けることができたら本物になる。

・国際都市いうたら「世界の人を受け入れるために、水洗便所を作らなあかん、何せんなんあかん」言うけど、その前に、向こうから喜んで来はる人に「日本の文化を何で体験させてあげないんや」と。これは(今井町で提供している)お粥さん(茶粥)の原点や。
・富山の友達を呼ぶとき、家内に「お粥さん、食わせてやってくれ」いうた。海辺の富山の人間に大和で最高の刺身出したかって、それは獲ってから1日たった古いもんや。大和にいるから刺身はご馳走やけども、富山の人が大和に来て刺身食いたいと思うか?オレは「大和のお粥さんは、おもてなしの宝や」言うてる。それやのに「若林は、お粥さんみたいなもんでカネを取ってる」と言う人がいる。

・見えない所に汗を流す人が少なくなった。まちづくりはブームが去った時、ブームに乗っていた他人(ひと)らだけが去る。そのあと残った町の人らが「残った人間で、どのように町を残さんなんのか」をしっかり考えなあかん。
・昔から観光で食ってる所は、観光で食って行かなあかん。これから新たに観光で食うなら、まちづくりじゃないねん。町を材料に使わず、観光で食うのが一番手っ取り早い方法、周辺地域の景観や観光資源を使った観光をしたいのや。

・今井は泊まらせるだけでええんや、晩ご飯食べさすだけや。今井を「見せる」必要はないねん。古い佇まいの中で「生活」をさせたったらええ。この狭い今井で観光や言わんと、ここを基地にして飛鳥へ連れて歩けばええねん。
・今井では2 泊も3 泊も泊まれる。それが観光や。観光土産を売ったのだけが有難いと考えるからおかしいんや。 ここへ親戚100人が帰ってきても構わへんのや。
・(今井町は)「物マネをする町やない、物マネさせる町や」
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