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真田丸(13)決戦(第一次上田合戦)

2016年04月09日 | 真田丸(NHK大河ドラマ)
日曜日(4/3)のNHK大河ドラマ「真田丸」は「第13回 決戦」、つまり第一次上田合戦の話だった。上杉と同盟を結んだ真田を、あの徳川家康が攻めるのだ。NHKのHP「あらすじ」によると、
※写真はすべてNHKのホームページから拝借

ついに徳川家康の大軍が上田に押し寄せる。越後から戻った信繁を加え、真田家は一丸となって昌幸の計略を実行。徳川軍を迎え撃つ。梅の機転をきっかけに、信繁は真田家の家紋「六文銭」の描かれた旗を戦場に高々と掲げる。数倍の数の敵を相手に、昌幸の策は次々と成功。真田家は痛快な番狂わせを演じるが、最後にたった一つの誤算が生じる。信繁が駆けつけた先で見たものとは…。

いや~、痛快な戦(いくさ)だった。昌幸の奇策がどんどんくり出される。撤退を余儀なくされた徳川軍には、信幸がヨコから急襲をかけ、さらにせき止めてあった神川(かんがわ=千曲川の支流)の水が一気に流され徳川軍に多数の溺死者を出した。今回の第一次上田合戦(神川合戦)についてはNHKのHP歴史解説に詳しい。それにしても、最後に梅(信繁の妻)が死体で見つかり、これは可哀想だった。赤ん坊が生まれたばかりだったというのに…。

戦国通の藤丸タダアキさんは、今回の「決戦」の感想をご自身のHPに、なんと3回連載で紹介されていて、しかしあまりにも面白くて私は一気に読み終えてしまった。その全貌を以下に紹介する。ご用とお急ぎの方は太字(私がつけた)部分だけでもお読みください。


徳川は北条との講和において甲信は徳川・関東は北条という取り決めをしました。真田は徳川に臣従したため、徳川は真田に真田領の群馬沼田の北条への引き渡しを迫りました。それに対して、真田昌幸は沼田はもともと真田が独力で手に入れた場所で、差し上げるべきものではないと拒否しました。

徳川は実力で割譲を迫るべく、真田の上田城に押し寄せます。信繁(幸村)は上杉に人質に行き、上杉との同盟を作ることができました。そして奇跡を演じました。なんと上杉の援軍を連れてきました。人質に兵隊をつけて送るとはやはり上杉は義理堅い…。しかし、その援軍は子供や老人ばかり…。この場合、この援軍は直接軍事力にはなりません。しかし、重大な意味があります。

上杉家が背後にいるということになります。上杉家の「毘」の旗が援軍の頭上に躍動したでしょう。それはいわば真田と連携して背後から襲う可能性を否定できないということですね。上杉は実際には謀反を起こした新発田と戦っている状況です。しかし徳川は詳細には掴んでいなかったでしょう。上杉からの援軍は3,000~5,000もいるかもしれないと思ったでしょう。

さらには徳川の兵隊は山梨や長野の兵隊ばかりです。ほんの10年前まで武田勢として上杉と戦っていた連中です。上杉が来るかもしれないという心理的不安は記憶に残っているでしょう。一度、戦争に出た人間は、その中の光景を忘れないと言われています。まして、相手は日本最強と言われた上杉勢。さらに敵大将は武田信玄の薫陶を受けた真田昌幸…。この段階で約7,000名の徳川勢は2,000の真田勢を全滅させることができないことがほぼ確定します。普通、城攻めは敵の3倍の兵隊がいると言われていたそうです。上杉の援軍を合わせると互角に近くなる可能性もある…。ここにもひとつの心理があります。

徳川勢から見れば、真田など小さな相手でひねりつぶせばよいという発想になります。家康もそう思っていたでしょう。トップがそうである以上、家来もそうでしょう。上杉という恐怖を少し意識の中に持っている兵隊。大徳川が小真田をひねりつぶすという意識を持ってしまっている徳川の将校。大将も部下も一つの心理の中で戦わなければ勝利などないです。しかし、もう戦う前からこれだけの事情を抱えた徳川勢は見方を替えれば、負けるべくして負けたと言えるでしょう。

一方の真田勢は自分達が小勢であるということで団結していたでしょう。それだけでなく、自分の大将は武田信玄が薫陶(=教育)したと言われる真田昌幸。上杉の援軍もちょうど来たという報告もはいる。そして、昌幸も信幸も信繁(幸村)も脂の乗ったいい年齢ですね。真田勢にはエネルギーがみなぎっていたのではないでしょうか。


さて、真田勢は能の高砂を謡うことで徳川方を挑発しました。この段階で現代人からみて不思議なのは真田も徳川も高砂がわかっていたことですね。上田城に攻め込む徳川勢は真田の城下町での作戦に翻弄されます。本来、軍隊とは大将を中心にまとまって動くものです。細い道や柵などはスムーズに兵隊をまとめて動かせる状態ではないですね。

簡単に言うと、戦争時は様々な音が鳴るため人の声が聴きにくいです。そうすると自分の大将の声が聞こえる範囲にいないといけないですね。50mも先では声が聞こえなかったのではないでしょうか。そして兵隊たちも逸(はや)っています。本来、戦争とはテンションを上げていかなければできない恐怖のものです。著名な武将たちも初陣といって始めて戦争に出た時は身体の震えが止まらなかったと言われています。その対策として戦争前にお酒を飲むということを日本人はやっていました。

城下町に誘い込まれた中で、兵隊は組織としての条件を壊されていきます。そして、同時に徳川の領地の兵隊と言うのはほとんどの場合、農家が殿さまの徴兵できているという現実があります。そうすると気持ち的には出稼ぎなんですね。何かを稼ぎたい。そんな兵隊の心理の中に、この城下町にはしかけがあります。着物などのお金になるものが柵に掛けられたりしていました。それを取るのに夢中になった兵隊もいました。これが軍隊と言える状態なのか。

7,000の徳川勢のうち、本陣には1,000~2,000の兵隊がいたでしょう。そして5,000の兵隊がお城に向ったとしても基本は2~3人が通れるほどの道しかありません。そして兵隊は物に夢中になっています。この条件下で真正面から真田と戦えるのか。上杉の援軍もいるかもしれない…。お城に近づくにつれて兵隊としての指揮が取れなくなります。また、側面からは信繁(幸村)の軍勢なども小競り合いを仕掛けてきます。非常に調練された軍隊であれば信繁(幸村)の軍勢の担当も決めてしまいます。しかし、てんでバラバラだったのでしょう。この後、東海道一の弓取りと言われた徳川家康が撫育してきた徳川軍団が敗走を始めます。

逸っている兵隊に合わせるように真田はこまめに戦って退却していきます。徳川勢の前線の侍たちは逃げる兵隊を見て勢いを増します。相手が弱いと錯覚するんですね。これも昌幸の作戦です。そして上田城二の丸まで攻め込みます。ここで真田の約1,500名が出迎えるんですね。徳川勢の先頭は300もいなかったのではないでしょうか。細い路地の先に辿り着く人数よりも昌幸の用意した人数の方がこの部分では多いですね。

まずは鉄砲や弓で散々相手の前線を崩壊させます。鉄砲は煙なども出ますし、おそらく視界を限定させるような手段も取っていたでしょう。そして勢いがあった徳川は後ろが押してくるので、面白いように鉄砲が当たります。おかしいな?と思った時に、昌幸に率いられた1,500の本体が突撃します。徳川勢は簡単に総崩れしたでしょう。それに追い打ちをかけるように信幸の軍勢が側面から攻撃してきます。最後には関止めされた川の水が敗走する徳川勢の退路を断ちます。結果は徳川1,300名の死者・真田は50あまり。徳川勢はその日の夕方に撤退しました。


徳川氏も真田と同じように本来は三河の山奥の豪族でした。5世代かけて三河安城という平野部に出てきました。山奥の人は狩猟などもやっていたでしょう。とても機敏に走り回って領土を広げていったと思います。それが150万石近くなったところで、昔の徳川と同じような正規の戦い方ではない戦い方で翻弄されます。

徳川家康は当時150万石近い大領の持ち主でした。1万石あたり250~300人の動員力があります。換算すると、37,500~45,000人の動員力があるはずです。しかし、真田征伐には約7,000名しか動員できていません。そして家康本人も来ていません。それは大阪に政権を作り始めた豊臣秀吉からの侵略がいつあるのか予断を許さなかったからです。また、この頃、関西と東海では大地震があったそうですね。それもまた影響しています。そういえば武田勝頼の滅亡の時は浅間山の噴火でした。日本ですね…。同時に、真田昌幸という人物にも限界がありました。自身の半生のほとんどは山奥等地形を利用した戦いのみなんですね。

昌幸は後に出てくる北条征伐の時に初戦で、北条方に敗戦したと言われています。これはおそらく平野での戦いだったのではないでしょうか。その後も昌幸は自身の限界である少ない兵隊で多くの兵隊と戦って勝つという状況から抜け出せませんでした。彼は多くの苦労・努力の割には得た領地が少なすぎました。それは彼を少しひねくれ者のような心理にしていったのではないでしょうか。大勢力の狭間で生き残る彼の一生を秀吉は「表裏比興の者」と呼んだらしいですね。まだまだ書きたいことは山ほどありますがこのぐらいにしておきます…。


「表裏比興(ひょうりひきょう)の者」とは有名な言葉だ。意味は《比興は卑怯とは違い煮ても焼いても食えないやつという事ぐらいの意味であろう。その事から言えば秀吉の方が表裏比興である。しかし、表裏比興であったからこそ家を守れたのである》(HP「真田氏の館」)。まさに「表裏比興の者」だった秀吉に言わしめたところがスゴイ。全く昌幸は、煮ても焼いても食えない男であるし、草刈正雄の渋い演技も光っている。

ちなみに「週刊FLASH」によると「真田丸」1回分の推定ギャラは、堺雅人…50万円、草刈正雄…130万円、大泉洋…30万円、内野聖陽(家康)…100万円、長澤まさみ…20万円、木村佳乃…15万円。あと『あさが来た』(朝ドラ)は波瑠…10万円、玉木宏……20万円。『とと姉ちゃん』(朝ドラ)の高畑充希…10万円、ということだそうだ。

さて、いよいよ次回(第14回)は「大坂」、信繁も大坂城に入る。関西圏の皆さん、お楽しみに!
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