tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

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信州上田 真田ゆかり地ぶらり旅

2016年04月10日 | 日々是雑感
昨年末(2015年)、NHK大河ドラマ「真田丸」放送に先立ち、信州の真田氏ゆかりの地を旅した(12/25~27)。25日(金)に奈良を発ち、まずは松代(長野市)へ。夜に上田市に入り、翌26日(土)は丸1日、上田を巡って東京へ(翌日に東京で講演の予定があったため)、という日程である。会社の同期でもあるNPO法人「奈良まほろばソムリエの会」の大山理事との2人旅だった。


真田氏歴史館

26日は朝から「真田氏歴史館」(長野県上田市真田町本原「御屋敷公園」内)を訪ねた。ここで「鶴瓶の家族に乾杯」も顔負けの出会いがあった。温厚だが鋭い雰囲気の人がいらっしゃったので声をおかけしたところ、「真田三代語り部の会」会長の西牧敏彦さん(57歳)だったのである。真田ゆかり地巡りに来たことと、紀州九度山の出身であることを申しあげると、「じゃ、ボクの車で案内しましょう」という有り難いお話をいただいたのである。


歴史館に堺雅人と笑福亭鶴瓶のサイン入り色紙。長澤まさみのサインもあった

西牧さんは正真正銘「鶴瓶の家族に乾杯」のお正月特番に出演されるそうで、すでに収録は終わっているとのこと。HP「フライフィッシングとネコと戯れる休日」によると、

鶴瓶さんは、地元の人に教えられた「真田氏館跡(御屋敷公園)」を探して、隣に建つ「真田氏歴史館」を訪れます。すると、案内に出てくれた”語り部”の西牧さんが、『幸村のおじいちゃん、昌幸のお父さんである幸隆が、生まれ育ったのが真田の郷。家督を継いだ昌幸が、家康にお金を出してもらい上田に城を作りますが、家康と戦うに当たっては、上杉から金を出してもらい武器を買ったそうです』と、鶴瓶さんと観光客に語ってくれました。ちょうどそこに、堺さんが到着。居合わせた、全国各地から訪れていた観光客の方も、大喜びです。


皇太神社

では、西牧さんにご案内いただいたルートに沿って真田のゆかり地を紹介する。歴史館を出て、まず訪ねたのが皇太神社。御屋敷公園(真田氏が上田城へ移る前に住んでいた館跡)の東側にある。真田昌幸が上田城に移る時に勧進したといわれる神社だ。昌幸を偲び、まずはお参り。次は「真田氏本城跡」。上田市教育委員会の案内板によると、


本城跡の頂上。真田が押さえていた上州街道は長野県上田市から
群馬県嬬恋村を経て沼田市に抜ける。つまりここは交通の要衝だ

上田市指定文化財 史跡 真田氏本城跡(松尾城・真田山城)
この城跡は、天白城と共に馬蹄形状に構築され、南西面に広がる緩傾斜面には、真田氏館跡や原の郷があり、さらに砥石城・矢沢城を望むことができる。


「このすぐ下で、堺雅人(信繁)と長澤まさみ(きり)が語り合うシーンがありますよ」と西牧さん

本郭は東西8.6m、南北37mの広さで、南側に高さ2mの土塁を築き、北方へ二の郭、三の郭と段差を設けながら延び出し、その北側は急崖となって厳重に防備している。規模が大きく水利もあり、周辺城跡群等の関係からみて、上田城築城以前の真田氏本城であったと推定される。
平成27年10月 上田市教育委員会


つまり「真田家の本拠地」だったので、支城に対して「本城」と呼ばれるのだ。さらに『日本の城がわかる事典』によると、

さなだほんじょう【真田本城】
長野県上田市(旧小県郡真田町)にあった山城(やまじろ)。戦国時代に真田氏が本城としていたとされる城。築城年代は不明。天文年間(1532~53年)に真田幸隆により築城されたといわれてきたが、発掘調査の結果、鎌倉時代の遺構も見つかっており、真田氏以前にも山城として存在していた可能性が指摘されている。


郭の跡

武田晴信(武田信玄)の部将となった真田幸隆が1551年(天文20)に村上義清の支城である戸石城(上田市上野)を奪って、かつての本領(真田郷)を回復した後、この城を整備し、のちに居城を上田城(上田市二の丸)に移すまで、幸隆・信綱・昌幸の真田氏3代にわたって本城としたとされる城である。この城を中心に、付近には多数の山城が支城として配置されていた。

ただし、本城と呼ばれるものの、真田家の当主が居城として使用していたかどうかは、あくまでも推定の域を出ない。また、この城は戦時用の城として使われ、真田氏は平時、麓の真田氏館(上田市。現在、御屋敷公園となっている)で政務を執っていたともいわれる。


この石積は、とんでもない場所にある。西牧さんに教えてもらわなければゼッタイに分からない

真田昌幸は1583年(天正11)に上田城を築城開始し、2年後の1585年(天正13)に本城を移した。それに伴い、真田本城は廃城となった。城跡には現在、主郭を含む曲輪(くるわ)群、主郭背後の土塁、堀切などの遺構が残っている。JR長野新幹線・しなの鉄道・上田電鉄上田駅からバス。

さて次は長谷寺(ちょうこくじ 上田市真田町長4646)。曹洞宗のお寺なので、桜井市初瀬の長谷寺(はせでら)とは関係なさそうだ。HP「上田市文化財マップ」によると、


長谷寺の「真田公墓所」。向かって左から幸隆(昌幸の父)の奥さん、幸隆、昌幸の墓


建立されたばかりの信繁(幸村)の供養塔

真田氏の発祥については幸隆を祖とする説と、それよりさかのぼる説とがあるが、幸隆が真田氏隆盛の礎を築きあげ、兄信綱、昌輝の戦死により家督を継いだ昌幸が、初代上田城主となって2度にわたり徳川軍を退けたことから、真田の名が天下に知れ渡ることとなった。信之が松代へ移封となり、菩提所長国寺が建立されたが、旧菩提所真田山長谷寺に、幸隆公と昌幸公の墓がある。


長谷寺のお賽銭は六文銭だった!

ここから私たちは一旦、真田氏歴史館に戻ってきた。西牧さんに館内ガイドの予約が入っていたのだ。私も一緒に聞かせていただいた。この歴史館については上田市の観光情報サイト「ウエダモヨウ」によると、

上田市教員委員会による説明動画(御屋敷公園)

真田氏歴史館は真田幸隆、真田昌幸、真田信之、真田幸村を中心に、戦いの足跡や武具甲冑など、真田一族に関する資料が展示された資料館です。武田信玄、豊臣秀吉、徳川家康らと深く関わった真田三代の足跡を辿り時代の流れに添うように展示しています。真田三代の活躍に思いを馳せてみませんか。となりの真田庵は、来園の方と地域の人々のふれあいの場です。


真田氏歴史館。この写真はウエダモヨウから拝借

このあと西牧さんには「刀屋」というお蕎麦屋さんの前までお送りいただいた。ここからは二人旅に戻る。我々はここでランチを済ませ、徒歩で上田城へ。ここは昨日、当ブログで紹介した上田合戦のあった場所である。『日本の城がわかる事典』によると、





うえだじょう【上田城】
長野県上田市にあった平城(ひらじろ)。国指定史跡。日本城郭協会選定による「日本100名城」の一つ。安土桃山時代の真田氏の居城で、江戸時代には上田藩の藩庁が置かれた。1583年(天正11)に、甲斐武田氏旧臣の真田昌幸が築いた。徳川氏は、1585年(天正13)と1600年(慶長5)の関ヶ原の戦いの直前の2度にわたり同城を攻めたが撃退された。この戦いは第一次および第二次上田合戦と呼ばれる。関ヶ原の戦い後、真田昌幸と次男の信繁(真田幸村)は西軍に与したため死罪を命じられたが、本多忠勝らの嘆願で高野山に、のちに九度山に流罪となり、上田城は徳川氏により破壊された。


上田市教員委員会による説明動画(上田城 本丸・二の丸)


関ヶ原の戦いで東軍に与した昌幸長男の真田信之(信幸)が上田藩主となり、三の丸跡に陣屋を構えた。その後、真田氏が信濃国松代に転封すると仙石氏が入城し、破却された上田城を現在残る姿に再建した。本丸の煤と柿渋で防水した黒い下見板張を用いた3棟の櫓(やぐら)(南櫓、北櫓、西櫓)などは、仙石氏の時代に整備されたものである。仙石氏3代の後、松平氏が入城して明治維新を迎えたが、城の遺構の破却と移築が進み、城内には石垣と櫓1棟だけが残る状態になった。


城内では、こんなライブ・パフォーマンスをやっていた。主人公は、もちろん信繁

昭和に入り、移築されていた櫓2棟が本丸の元の位置に復元され、さらに平成に入って櫓門や塀などが復元された。現在、旧二の丸が上田城跡公園として整備されている。本丸跡には、明治に建立された歴代城主を祀る松平神社(真田神社とも呼ばれる)がある。藩主居館のあった三の丸跡は上田高校の敷地となっており、ここには松平氏時代の屋敷門と堀が残されている。JR長野新幹線・しなの鉄道・上田電鉄別所線上田駅から徒歩約12分。◇尼ヶ淵城、真田城とも呼ばれる。



西牧さんのおかげで、たった1日で上田市の真田ゆかりの史跡を回ることができ、感謝感激である。最後に、「真田三代語り部の会」の紹介記事から抜粋して掲載しておく。本年(2016年)1月13日付の信濃毎日新聞である。

「真田丸」語り部にも力 上田の会、もてなし強化へ意欲
上田市民有志でつくる「真田三代語り部の会」が、NHK大河ドラマ「真田丸」放送を機に活動を活発化させている。これまでも真田氏歴史館(真田町本原)を拠点に地元ゆかりの戦国大名・真田氏の歴史を語り継ぐ活動に取り組んできたが、昨年12月に組織の会則や役員態勢を整えて正式な会として発足。会員たちは観光客へのおもてなしを強化し、地域振興につなげようと張り切っている。


中央が西牧会長。写真は信濃毎日新聞から拝借

「真田丸」の放送が始まった10日、真田氏歴史館は大勢の観光客でにぎわった。語り部の会会長に就いた西牧敏彦さん(57)=真田町傍陽(そえひ)=はボランティアガイドとして、展示史料や真田氏の故郷・上田市について説明。来館者から質問も相次いだ。

今月9日に開いた役員会では、歴史館の展示物の充実を求める声や「大河ドラマの内容が全て史実というわけではない。みんなで共通認識を持っておいた方がいい」など、さまざまな意見が上がった。

同会は今後、そろいの陣羽織を着て活動することや、4、5月の連休に真田氏本城跡(真田町長(おさ))で観光ガイドをすることも検討している。西牧会長は「真田氏のストーリーを語り、地域全体の活性化につなげたい。訪れた人が真田の郷(さと)を好きになり、さらに住みたいと思ってくれたらうれしい」と期待している。同会は会員も募集中。問い合わせは市真田地域自治センター産業観光課(電話0268・72・2200)へ。

信州上田も盛り上がっている。皆さん、ぜひ上田市をお訪ねください!
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