tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

蔵王権現(金峯山寺蔵王堂秘仏ご本尊)特別ご開帳/2018年は3月31日(土)~5月6日(日)です!

2018年03月12日 | お知らせ
今年も、吉野山の金峯山寺蔵王堂秘仏ご本尊「金剛蔵王権現像3体」(国重文)の特別ご開帳が始まる。お寺のHPによると、

平成30年「秘仏本尊 特別ご開帳」のお知らせ
平成30年 国宝仁王門大修理勧進秘仏ご本尊特別御開帳の日程が決まりました。
◼︎平成30年3月31日(土)~5月6日(日)
平成30年は「国宝仁王門大修理勧進」「神仏霊場会発足10周年記念」ともに節目の年となっております。引き続き詳細や関連行事についてもお知らせしてまいります。
チラシは、こちら(PDF)


金峯山寺とはどんなお寺か。『奈良まほろばソムリエ検定 公式テキストブック』(山と渓谷社刊)の「金峯山寺(吉野郡吉野町吉野山)」によると、
 
役行者を開基とする。金峯山とは蔵王堂のある吉野山の麓、吉野川六田柳の渡しから大峰山寺のある山上ヶ岳の少し南、化粧(けわい)の宿まで続く一連の峰を指す総称で、奈良時代からその名がある。役行者が金峯山を本拠地として修験道に励み、山岳信仰を世に広めたと伝えられるため、当山は修験道の聖地として古くから崇拝された。

醍醐寺を開いた当山派修験の祖、理源大師聖宝が金峯山に入って以来、その弟子貞崇など多くの修験僧が入山。御岳精進への関心が高まり、宇多天皇・藤原道長・頼通の参詣をはじめとする皇室・貴族の御岳詣は白河上皇の世に絶頂を迎えた。永承四年(一〇四九)に興福寺僧円縁が金峯山検校となってからは興福寺に所属し、慶長十九年(一六一四)の徳川家康の命により、天台系の日光輪王寺宮の支配に入った。

明治の神仏分離令により金峯山一山の修験寺院はすべて廃され、金峯山寺の山上蔵王堂(山上ヶ岳)は当地の地主神金峯神社の奥の宮、山下蔵王堂(吉野山)は金峯神社の口の宮と定められた。その後、吉野山四ヶ院が寺院に復興するにあわせ、明治十九年(一八八六)には山上・山下の蔵王堂の寺院への復帰が許され、明治二十二年には金峯山寺の寺号も取り戻すにいたった。

しかし、復興した金峯山寺は山下蔵王堂が中心とされ、山上蔵王堂は先に復興した四ヶ院と洞川の一寺を加えた五ヶ寺が護持院となって、大峯山寺本堂として今日に至っている。さらに金峯山寺は昭和二十三年(一九四八)に天台宗から離れて大峯修験宗を立て、昭和二十七年以後は金峯山修験本宗と改称して総本山となっている。

天正二十年(一五九二)頃に再建された蔵王堂、延元三年(一三三八)頃に建立された仁王門が国宝、北側参道に立つ銅の鳥居(室町時代)が重要文化財。寺宝も数多く、平安時代の金銀鍍金双鳥宝相華文経箱、金銅経箱台付二箱、経巻九紙、経軸二本はいずれも国宝。


数奇な運命をたどっているのだ。もともと金峯山(六田・柳の渡し~山上ヶ岳の南・化粧の宿)の「山下蔵王堂(吉野山)」「山上蔵王堂(山上ヶ岳)」と一対だっものが、神仏分離令によって分かれ、そしてまた別々の寺院(金峯山寺と大峯山寺)として復帰したのである。

今年の吉野山の桜の開花予想は、4月1日(下千本)~4日(上千本)のようだ。桜の時期は混み合うので、十分ご注意を。



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