今日の「田中利典師曰く」は、「神と仏は ほぼ同じ」(師のブログ 2014.8.15 付)、奈良県宗教者フォーラム編『修験道の真実と未来』(あをによし文庫)より、利典師による「第一部・修験道入門基調講演」から抜粋されたものだ。
※トップ写真は、吉野山の桜(3/28撮影)
「神仏習合」の話はよくされているが、ここで師は〈神と仏が、争わず、互いを敬い祀りあう関係こそ、日本の宗教の特質と言っていい〉と語る。では、全文を以下に紹介する。
「神と仏は ほぼ同じ」
神と仏というと、現代人は、どうしても別々に分けて考えてしまいがちです。しかし、私たちのご先祖は、神と仏を分けて考えたりはしませんでした。両者の距離は、現代人では想像もできないくらい、近かったのです。
日本に「仏」が、正式なルート(仏教公伝)で入ってきたのは6世紀半ばと言われています。今から1450年くらい前のことです。このとき日本人は、仏を神の一種として受け入れました。今まで拝んできた自分たちの神に対し、外国から新しく入ってきた神という認識です。それは仏を「蕃神(あたらしくにのかみ)」と呼んだ事実からよくわかります。
もちろん、争いが全然なかったわけではありません。教科書にあるように、排仏派の物部氏と崇仏派の蘇我氏が戦いました。しかし、戦いはこれっきりでした。崇仏派が勝利した後、1300年間はさしてもめることなく、仲良くやってきました。人間関係にたとえれば、蜜月状態といっていいでしょう。その原因は、仏教が急速に日本化したことにあります。
たとえば、伝来当初につくられた木製の仏像の多くは、クスノキを素材にしています。なぜクスノキかというと、クスノキが神の木としてあがめられていたからです。いわゆる霊木信仰です。このように、仏教は日本に入ってきた最初の段階から、もともとこの国にあった神信仰をとり入れ、神信仰と融合していくのです。
これに対して神信仰もまた、大いに仏教の影響を受けました。そもそも日本の神信仰は、知的な操作とはあまり縁がありませんでした。宗教を哲学的に構築したり説明したりするために欠かせない教義も、ほとんどありませんでした。
ですから、この領域における仏教の影響は絶大でした。神信仰に教義という発想を導入し、神信仰を体系的に整えさせたのです。その結果、誕生したのが神道です。造形面での影響も甚大でした。神社建築も神像も、みな仏教の影響です。
神と仏の仲むつまじい関係は、日本の宗教に、決定的な足跡をのこしてきました。神と仏が、争わず、互いを敬い祀りあう関係こそ、日本の宗教の特質と言っていいのです。
※トップ写真は、吉野山の桜(3/28撮影)
「神仏習合」の話はよくされているが、ここで師は〈神と仏が、争わず、互いを敬い祀りあう関係こそ、日本の宗教の特質と言っていい〉と語る。では、全文を以下に紹介する。
「神と仏は ほぼ同じ」
神と仏というと、現代人は、どうしても別々に分けて考えてしまいがちです。しかし、私たちのご先祖は、神と仏を分けて考えたりはしませんでした。両者の距離は、現代人では想像もできないくらい、近かったのです。
日本に「仏」が、正式なルート(仏教公伝)で入ってきたのは6世紀半ばと言われています。今から1450年くらい前のことです。このとき日本人は、仏を神の一種として受け入れました。今まで拝んできた自分たちの神に対し、外国から新しく入ってきた神という認識です。それは仏を「蕃神(あたらしくにのかみ)」と呼んだ事実からよくわかります。
もちろん、争いが全然なかったわけではありません。教科書にあるように、排仏派の物部氏と崇仏派の蘇我氏が戦いました。しかし、戦いはこれっきりでした。崇仏派が勝利した後、1300年間はさしてもめることなく、仲良くやってきました。人間関係にたとえれば、蜜月状態といっていいでしょう。その原因は、仏教が急速に日本化したことにあります。
たとえば、伝来当初につくられた木製の仏像の多くは、クスノキを素材にしています。なぜクスノキかというと、クスノキが神の木としてあがめられていたからです。いわゆる霊木信仰です。このように、仏教は日本に入ってきた最初の段階から、もともとこの国にあった神信仰をとり入れ、神信仰と融合していくのです。
これに対して神信仰もまた、大いに仏教の影響を受けました。そもそも日本の神信仰は、知的な操作とはあまり縁がありませんでした。宗教を哲学的に構築したり説明したりするために欠かせない教義も、ほとんどありませんでした。
ですから、この領域における仏教の影響は絶大でした。神信仰に教義という発想を導入し、神信仰を体系的に整えさせたのです。その結果、誕生したのが神道です。造形面での影響も甚大でした。神社建築も神像も、みな仏教の影響です。
神と仏の仲むつまじい関係は、日本の宗教に、決定的な足跡をのこしてきました。神と仏が、争わず、互いを敬い祀りあう関係こそ、日本の宗教の特質と言っていいのです。