tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

「唐招提寺に竹を送る会」(三重県名張市)が、女竹1600本を奉納(2021 Topic)

2021年01月24日 | 奈良にこだわる
こんな行事があったとは、知らなかった。NHK奈良放送局の「ならナビ」が「うちわまきの竹 唐招提寺へ奉納」というニュースを報じていたのである。同局のHPによると、
※トップ画像は読売新聞奈良版(2021.1.19付)

奈良市の世界遺産、唐招提寺で伝統行事の「うちわまき」に使われる竹を、三重県名張市の人たちが奉納しました。唐招提寺の「うちわまき」は、鎌倉時代の高僧が蚊を殺そうとした弟子に、うちわで追い払うよういさめたという故事にちなんでいて、毎年5月、縁起物のうちわが参拝者にまかれます。

うちわの柄に使われる竹は、10年前から、三重県名張市の市民でつくる団体が奉納していて、ことしも高僧の月命日にあたる19日、メンバーが寺を訪れました。そして、直径1センチ、長さ4メートルほどの竹の束を担いで境内を歩き、高僧の像をまつっている中興堂に供えました。このあと、西山明彦 長老らがお経を唱えて法要を営みました。

竹の奉納は、西山長老が名張市出身という縁で始まったということで、ことしは1600本が奉納されました。「唐招提寺に竹を送る会」の奥西勲 会長は、「コロナ禍のなか、無事に竹を奉納でき、ほっとしています。ことしは参加者を減らしましたが、来年には多くの人が参加できるようコロナが終息してほしい」と話していました。



こちらは読売新聞奈良版(2021.1.20付)

読売新聞奈良版も、2日間にわたってこれを報じていた。西山明彦(みょうげん)長老が名張市のご出身というご縁で、2011年から続いている行事なのだそうだ。

残念なことに昨年の「うちわまき」はコロナ対策として、お寺関係者だけで行われた(毎日新聞の記事は、こちら)。竹には「疫病退散」の霊力があるそうだ。今年はこの霊力を発揮して、ぜひ従来のスタイルで「うちわまき」を行っていただきたいものだ。
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創業支援施設「BONCHI」は、こんなにすごい!

2021年01月23日 | 奈良にこだわる
水曜日(2021.1.20)の毎日新聞奈良版「見聞録」欄に、「BONCHI(奈良市)カフェや書店、イベント空間も 持続可能な創業の場」という大きな記事が出ていた。BONCHIは「きらっ都・奈良」(奈良もちいどのセンター街)の建物内にある。奈良まほろばソムリエの会は、ここを郵便物の宛先にしている。館内の会議室なども、よく利用させていただいている(会員価格で利用できる)。
※トップ写真は、奈良市のHPから拝借した

カフェ、本屋、イベントスペース、コワーキングスペースなどが一体となった創業支援施設である。若い人たちの斬新な発想で運営されていて、レイアウトなどはよく変更されるので、「次はどんな展開になるのだろう」と、いつも楽しみにしている。では記事全文を紹介する。

奈良市の中心部、近鉄奈良駅からもちいどのセンター街を歩いていると、ガラス張りの明るい空間が現れる。「ひとりでに、持続可能な地域や社会が生まれる場所」として2020年3月にオープンした創業支援施設「BONCHI」だ。通りから中の様子をうかがってみると、カフェやオープンスペースでくつろぐ人々がちらほら。カフェや本屋、コワーキングスペースなどが一体化した「新しい空間」を案内してもらった。【林みづき】

「BONCHI」を運営するのは一般社団法人TOMOSU。中島章代表理事らが、起業家支援や街の活性化を担う拠点施設「きらっ都・奈良」を改修し、リニューアルオープンさせた。「何か新しいチャレンジをしたいという人たちに広く開かれた場所を作りたい」との思いで開いた。

商店街とつながる1階部分には、あめ専門店「ならBonbon」やカフェ「ANY COFFEE BREW BAR」がある。カフェとつながるイベントスペースには、ぬくもりのある木製の椅子や机が置かれ、誰でも自由に出入りできる。「コーヒーやお菓子を片手にゆったりと会話や読書を楽しみ、頭も体も温めてほしい」と中島代表。環境への配慮など「持続可能」というBONCHIのテーマに沿う、奈良に根ざした店が並ぶ。

さらに奥へ進むと、「時代を読み解く500冊」と称し、集められた書籍が目を引く。複雑化する時代を読み解き、持続可能な地域や世界について考える「問い」を得られる本を集めたそうだ。奈良を代表する識者が選んだものも多くあり、「奈良の知」を本で表したようなコーナーだ。

続いて2階には、大きなデスクが置かれたコワーキングスペースがある。利用者同士が気軽につながることができる空間は開放感でいっぱい。会議や勉強、制作作業など、さまざまな用途で利用されており、外出自粛によるテレワークの促進で需要も増えたという。3階には貸し会議室、4階にはシェアオフィスも備わる。

創業支援だけでなく、BONCHI自ら、クリエイターとしてさまざまなプロジェクトも推し進める。行動が制限されるコロナ禍を「自由に、想像力を取り戻す」契機として捉え直すユニークな試みも始めた。「のびねこ」はその第1弾で、「子どもたちが『距離』の新たな意味を生み出してくれたら」と、ソーシャルディスタンスの2メートルを、伸びをする2匹のねこで表現した。「新しい生活様式」の可能性を引き出し、街のあり方を考えるきっかけにしたいという。

また、ゲストとホストが対話し、本から時代を探るというポッドキャスト「味本飯店」も斬新だ。BONCHIへ足を運ばなくても「時代を読み解く500冊」の本棚を“聴いて”楽しむことができる。「食べ物の味わいが人それぞれ異なるように、本も味わうように読んでみてほしい」と考案者の一人、原口悠理事は語る。

商店街の中にそっとたたずむアイデアあふれるBONCHI。閉塞(へいそく)感の漂う今だからこそ、知的好奇心がくすぐられるこの場所を一度のぞいてみてはいかがだろう。

BONCHI
カフェ、本屋、イベントスペース、コワーキングスペースなどが一体となった創業支援施設。カフェなどのある1階が午前10時~午後6時、2階コワーキングスペースは午前10時~午後9時。コワーキングスペースは4階にも拡張する予定。近鉄奈良駅より徒歩5分。奈良市橋本町3の1(0742・27・1111)。


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源信が母親を見送ったぽっくり寺・阿日寺(あにちじ)

2021年01月22日 | やまと百寺参り(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は『奈良百寺巡礼』(京阪奈新書)の刊行を記念して毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「やまと百寺参り」を連載している。先週(2021.1.14)掲載されたのは《源信生誕の「ぽっくり寺」/阿日寺(あにちじ)》、執筆されたのは香芝市在住の柏尾信尚さん。柏尾さんはガイド名人を認定する「Nara観光コンシェルジュアワード」で優秀賞を受賞されている。では、全文を紹介する。
※トップ写真は、阿日寺本堂に安置されている木造源信僧都坐像=同寺提供

近鉄大阪線の下田駅からほぼ南へ1㌔ほどの所に阿日寺(あにちじ)はあります。比叡山で修業を積んで浄土信仰を広め、『往生要集』を著した恵心僧都源信(えしんそうずげんしん)(942〜1017)が生まれた寺とされ、源信の母親が往生した寺としても知られています。

浄土念仏に関する膨大な経論の中から主要な文を引用し、誰にでも理解しやすく地獄と極楽の世界を描いた『往生要集』は、後世に多大な影響を及ぼし、念仏各宗派の基礎ともなりました。

母の臨終に際し、源信が祈願した浄衣(じょうえ)を着せて念仏を唱えると、安らかに亡くなりました。源信が開基とされる斑鳩町の吉田寺(きちでんじ)とともに「ぽっくり往生の寺」と呼ばれ、県内外から多くの人が参拝されます。

寺号の阿日寺は、源信が母の忌中に彫ったとされる本尊の阿弥陀如来立像、父の忌中に彫ったと伝わる客仏の大日如来坐像(重文)から一文字ずつとって名付けられました。

源信の命日7月10日には毎年、健康長寿と安楽往生を祈願して「恵心忌」が営まれます。この日のみ寺宝の「地獄絵図」五幅が開帳され、予約なしで拝観、法要に参列することもできます。
(奈良まほろばソムリエの会会員 柏尾信尚)

(宗派)浄土宗
(住所)香芝市良福寺361
(電話)0745・76・5561
(交通)近鉄下田駅から徒歩約20分
(拝観)9~12時、水曜休み。要予約、志納。 
(駐車場)有(無料、3台)


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奈良が発祥!フライビンズ、いかり豆、極豆(by 新大和の食模様 116)

2021年01月21日 | 奈良にこだわる
昨日(2021.1.20)の奈良新聞「新大和の食模様 116」で、「フライビンズ」が紹介されていた。一般的には「いかり豆」としてよく知られる揚げソラマメは、奈良発祥の特産品である。Wikipedia「いかり豆」によると、
※トップ写真は「製造者」が広島市の商品(殻付き)と「販売者」が大阪市の商品(殻なし)

いかり豆は、乾燥させたソラマメを油で揚げた豆菓子である。フライビーンズ、フライビンズとも呼ばれるほか、各地方での呼称もある。

日本豆類基金協会(現:日本豆類協会)が発行する『豆類時報』No.21(2000年12月)に掲載された米山末辰「フライビンズのおいたち」では、いかり豆の発祥地は奈良県で、1935年(昭和10年)ごろに「大和蚕豆(ソラマメ)」として製造を始めたものだとする。一方、奈良県商工労働部商工課によるパンフレット「奈良の特産品」では「フライビンズ」を大和平野の名産品としており、明治後期に奈良市内でソラマメを油で揚げて売り出したのが始まりで、現在ではエンドウやラッカセイなど各種の豆を使用するようになったとしている。

『食品成分表』2015年版では食品名を「フライビーンズ」、別名を「いかり豆」としている。また、全国フライビンズ組合連合会のかつてのウェブサイトでは油で揚げた豆の総称を「フライビンズ」、そのうちソラマメを揚げたものを「いかり豆」としている。全国フライビンズ組合連合会によれば、「いかり豆」は全国的な名称で、関東では「花豆」、九州では「がん豆」・「夏豆」とも呼ばれるほか、地域によっては単に「フライビンズ」とも呼ばれる。

「いかり豆」の名前の由来について、全国フライビンズ組合連合会では、「かつては油で揚げる前にソラマメの皮に十字の切り込みを入れており、揚げたときに皮が十字に広がって、船の錨の形に見えたことから名付けられた」との説を紹介している。


私も検索してみると、『アルス新語辞典』(1930年)に「フライ・ビーンズ 英 frybeans そら豆を油で揚げたもの」という記載があるようだし、織田作之助(1913[大正2年]~1947[昭和22年])の小説「六白金星」に「千日前の停留所前のビヤホールにはいつた。大ジョッキとフライビンズを註文し」云々という記述があるようだ。

発祥が明治後期か昭和10年頃か、いまいちハッキリしないが、奈良が発祥であることは間違いなさそうだ。『豆類時報』No.21(2000年12月)の「フライビンズのおいたち」(全国フライビンズ組合連合会 理事長 米山末辰氏)には、

フライビンズは、奈良県が発祥地で昭和10年頃から大和蚕豆として製造を始めた。大阪府の南河内あたりは一寸豆の産地であった。その関係もあって現在の奈良県のフライビンズが発祥した。当時フライビンズは栄養食品であったが、終戦の為ある程度中断した。終戦後昭和25年頃から又復活した。その当時は食糧難で、農家が裏作として、かなりの量の蚕豆を生産した。フライビンズが高級品として幅広く販売される様になった。

「フライビンズのおいたち」には、その後の業界の紆余曲折が記されていて興味深いのであるが、詳しくはこちら(PDF)をご参照いただきたい。

今回自宅にあったトップ写真のいかり豆はたまたま他府県産だったが、私は祥樂(株式会社植嶋)の「極豆」のファンである。祥樂の近鉄奈良駅店などで販売されている。《昔ながらの丸釜で油を変えながら丁寧にかき混ぜて揚げました。塩味のフライ豆のほか、三色豆、甘フライの3種。皮ごとお召し上がり頂けます。ざくざく食感はクセになる味です》。極豆を製造しているのが、奈良新聞で紹介された榧本商店(奈良市紀寺東口町)のようで、これは思わぬ発見だった。

奈良が発祥のいかり豆、ビールのお伴に、ぜひ!

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吉野寿司(大阪船場・淡路町)の箱寿司・鯖寿司・むし寿司!

2021年01月18日 | グルメガイド
以前(2021.1.11)当ブログとFacebookで、「大阪ずし・たこ竹の上ちらし」を紹介したところ、今日までにブログで200ページビュー、Facebookには211人の「いいね!」と17件のコメントをいただいた。中でも驚いたのは、奈良市内で飲食店を営んでおられるBさんという女性のコメントだった。
※写真は、すべて1月15日に撮影



実家が昔のたこ竹(大阪・松屋町)のすぐ近所で、出前もされていたので、小さい頃からお寿司=たこ竹のちらしと冬は蒸し寿司だと思ってました。移転されてたんですね〜 今思うとほんとに大阪を代表するお寿司だったんだなあと思います。



子どもの頃からこんな美味しいちらしずしを召し上がっていたとは、うらやましい話である。そういえば私は生涯に2回、大阪府下でちらしずしをいただいたことがある。1回めは帝塚山(大阪市阿倍野区)の親戚の家(母から何か用事を頼まれて持参したとき)で、2回めは大阪電気通信大学(大阪府寝屋川市)で講演の前に。寝屋川のちらしは写真があるので貼っておく。何でも写真に撮っておくと、あとで役に立つ。ちらしずしはひな祭りの行事食として知られるが、大阪ではおもてなしのご馳走なのだ。


寝屋川市・喜多八のちらしずし(2014.12.1 撮影)

さて今回紹介するのは、「たこ竹」と並んで大阪の老舗・地域活「吉野寿司」の箱寿司(税別3,200円)、鯖寿司(同1,700円)、むし(蒸し)寿司(同800円)である。たこ竹は天保2年の創業、吉野寿司は天保12年の創業だ。吉野寿司は正しくは「𠮷野鯗」と書く。𠮷は土の下に口、すしはこんなに難しい字なのだ。大阪・難波の高島屋地下1階に出店されているので(テイクアウトのみ)、よくここで買う。しかしむし寿司は今回が初めてだ。









むし寿司の「原材料名」のところには《米(国産)、穴子、鶏卵、椎茸、きくらげ、鯛すり身、木の芽、醸造酢、醤油、食塩、砂糖、みりん》とある。こんな小さい体にたくさんの具材が詰まっているのだ。



鯖寿司は酢加減が絶妙、「二寸六分の懐石」(木枠の内のりが8.5cm)といわれる箱寿司は見た目も味も最高だ。やはり押しずし(大阪すし)は、大阪の伝統的な食文化なのだ。あ~、また食べたくなった!
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