tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

プロガイド候補生と、明日香村を巡ろう!(2023 Topic)

2023年08月21日 | お知らせ
こんな面白い企画がある。朝日新聞奈良版(8/20付)に出ていた。見出しは〈プロガイドの「たまご」と飛鳥満喫 来月からモニターツアー〉。記事には、

飛鳥地域の魅力を余すことなく伝える「プロガイド」の候補生が企画・案内するモニターツアーが9月から始まる。世界遺産登録に向けて注目される奈良県明日香村の古墳や宮跡なども訪ねて、オリジナリティーに富んだ旅を楽しんでもらう。

飛鳥地域では、来訪者の興味・関心に合わせて高い満足度を提供できる旅先案内人を「プロガイド」と呼び、2022年度から養成に取り組む。

今年度中に1期生を認定するつもりだ。モニターツアーは、候補生に選ばれた20人のうち、有志が「プロガイドのたまごとめぐる とっておきの飛鳥旅」と題して、9月16日から12月3日にかけて実施する。

高松塚古墳、牽牛子塚(けんごしづか)古墳、飛鳥宮跡……。県などが世界遺産登録をめざす「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」の構成資産が入るツアーも目立つ。

万葉集の歌碑や石造物めぐりなど飛鳥らしいテーマの旅も体験できる。サイクリングでパワースポットを巡る企画もある。各ツアーの日程や料金、「プロガイド」などの詳細はホームページで紹介している。(清水謙司)


予約は、こちらのサイトから。NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」からも、3人が「たまご」に選ばれていて、うち2人が今回のモニターツアーでガイドを務める(2人×2回)。地元だけではなく、他府県からも、いろんな職業や経歴の「たまご」たちが集まっているので、ユニークなツアーが楽しめそうだ。ぜひお申し込みください!



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田中利典師の「女人禁制」論

2023年08月20日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」では、〈シリーズ・山人の自薦書籍(8)『山伏入門~人はなぜ修験に向かうのか?~ 』(淡交ムック)〉(師のブログ 2013.5.15 付)を紹介する。
※トップ写真は、吉野水分(みくまり)神社(2022.4.7 撮影)

『山伏入門』は聖護院の宮城泰年師の監修書(2006年3月1日刊)で、利典師はここに「金峯山寺の沿革」と、「大峯山の女人禁制問題」について出稿された。そのうちの「女人禁制問題」の原稿が、この日のブログで紹介されている。しかしブログの末尾に師が、

8年前の原稿なので、今の私の禁制論とは少し違和感がある。その間少し私も変節したところがある…のかもしれない。現在の私の禁制論はまた機会を設けて、紹介することにする。

とお書きのように、あくまでも原稿作成時(2005年頃)の女人禁制論としてお読みいただきたい。今回は約8,500字、400字詰原稿用紙約21枚と長文にわたるが、ぜひ最後までお付き合いいただきたい。

シリーズ・山人の自薦書籍(8)『山伏入門~人はなぜ修験に向かうのか?~』 (淡交ムック)

シリーズ「山人の自薦書籍」(8)…いろんなお陰様で、私は自著以外でもたくさんの関連書籍を出していただいています。今日は第8弾。『山伏入門―人はなぜ修験に向かうのか? (淡交ムック)』淡交社 (2006/03)

本書は聖護院の宮城泰年門主(編纂当時は執事長)の監修で編集された。私は金峯山寺の沿革と、大峯山の女人禁制問題について、文章を書かせていただいていて、掲載されている。

なお、大峯山の女人禁制問題について書いた文章の草稿をデータとして持っていたので、以下、転記します(掲載された文章の大部分は同じです…たぶん)。ただし、長いです…。

女性と修験道 田中利典
(1)女性と修験道
奈良国立博物館で講演を終えたときのことである。私に近づいて来られた一人の女性から「修験道は女人禁制なのですね?」と訊かれた。一瞬、質問の意味が理解できず、きょとんとしてしまったが、ああそうかと気が付いた。

ご存じのとおり、今なお、大峯山の山上ヶ岳一体は女人禁制が守られている。それゆえ、修験道そのものが、あらゆる面で女人禁制をたもっていると思われたのであろう。

そのときは、簡単に「違いますよ」と答えたものの、問われるまでもなく、これは修験道にとってすこぶる重要な問題である。そこで以下に、私論ながら、女人禁制の観点から女性と修験道について、一文を寄せさせていただく。

結論から先に言うと、修験道は決して女人禁制ではない。それは、大峯山に関わる修験道の伝統教団で組織された醍醐寺・聖護院・金峯山寺の修験三本山内における男性女性の教師数比率を見れば、一目瞭然である。平成10年に調査によれば、醍醐寺が男性が68%女性が32%、聖護院は男性73%女性27%、さらにわが金峯山寺は男性女性が半々であった。

金峯山寺は、もともと山上と山下に本堂があった。山上本堂(現在の大峯山寺)は厳格な精進潔斎や女人禁制を守り、冬場は閉ざされた。それに対し、山下本堂(現在の金峯山寺蔵王堂)は、老若男女が誰でもいつでも参拝できる寺として、いとなまれてきた。明治期の神仏分離・修験道禁止の法難の後は、山上本堂と山下本堂が別々に経営され、現在の金峯山寺はその山下本堂を中心に歩みを刻んできた。こういう歴史の経緯から、女性参加の数が他の二山より多いのかもしれない。いずれにしろ、修験三本山の現状をみるかぎり、修験信仰そのものが女人禁制では決してない。

実際に今は、奥駈修行や伝法潅頂、護摩加行、法螺講習などといったあらゆる金峯山修験本宗の経歴行階修行に、女性も男性とまったく同等に参加している。それは醍醐寺や聖護院においても変わらないと聞く。

それはそうであろう。修験道は、その出発点から、在家信仰のかたちをとり、男女の両性に対して開かれていたのだから。その証拠に、開祖の役行者は、役の優婆塞とも呼ばれた。優婆塞は在家の男性信仰者を意味し、女性の在家信仰者を意味する優婆夷とセットになる。このように、開祖以来、信仰の上では、分け隔てしないのが修験道の本分なのである。

ただし、修験道は山上ヶ岳の女人禁制に象徴されるとおり、修行の領域において、女性を直接的なかたちでは受け入れて来なかったのも、歴史的な事実である。代参であるとか、修行に入る男性を送り出し家庭内で共に精進潔斎をして守り支えるといった、間接的なかたちでしか、山上ヶ岳と女性との関わりはなかった。

先述したように、修験三本山は現在、あらゆる修行において男性女性を分け隔てしてはいない。もっとも現実には、山上ヶ岳の女人結界だけではなく、大護摩供修行への女性山伏の参加を容認していない修験寺院もある。女性が山伏装束を身につけるのさえ、抵抗を感じるという寺院もある。しかし、それをもって、修験道は全て女性差別と否定するのはおかしな話である。むしろ女性を間接的しか受け入れて来なかった修験道の修行の歴史が、このようなかたちで残っていると解釈したほうが的を射ている。

しかし、これも時間の問題なのかも知れない。これだけ女性があらゆる分野に直接参加を果たしている時代に、女性が修行に直接的なかたちで参加できないというのでは、将来の信仰のありようは考えにくいからである。

少なくとも修験三本山では、早くから男と女の扱いを分け隔てしないという道を開いている。その延長線上に、女性が修行に直接的なかたちで参加する日の来ることは、もはや疑いようがない。したがって、修験信仰そのものが女性の参加を拒んでいるなどというのは大変な誤解といっていいとおもう。

(2)山上ヶ岳の女人禁制はどうして生まれたか?
しかしながら、現状として、大峯山山上ヶ岳は今も女人禁制が守られている。そこでまず最初に、山上ヶ岳の女人禁制はどうして定められたのか?を考えてみたい。

「女人禁制」の規程が公的に定められたのは、757年施行の『養老律令』に規定する「養老僧尼令」が最初である。これは僧坊における男女相互の立ち入り制限を目的としていた。つまり「女人禁制」と「男子禁制」は、セットのかたちで定められていたのである。

そしてそれは、男女僧尼が誤って性交渉におよぶことを未然に防ぐ「不淫戒」と称する根本戒に由来していた。ちなみに本来、このような戒律は、宗団、寺院の各個の自主的な規定にまかされるべきである。ところが、当時の仏法擁護の施策の結果、僧尼の数が急激に増加し、各小の自主的な規定では思うに任せない事態になってしまった。

そのために、公的な機関が取り締まる必要が生じ、このような規程が生まれることになった。こうした規則によって女性が入山禁止になった寺に、たとえば比叡山延暦寺や高野山金剛峯寺がある。いずれも戒律による禁制であることは、文書によって明らかにされている。

さて、本題の大峯山の女人禁制である。大峯山とは本来、吉野より熊野に至る連山の総称であり、現在、世間一般に大峯山と呼ばれる山は、正確には金峯山山上ヶ岳のことにほかならない。したがって、問題となる女人禁制の地域は、金峯山の山上一帯ということになる。

この金峯山を指して、『本朝神仙伝』には「…金剛蔵王守レ之 兼為二戒地一 不レ通二女人一之故也」とあり、戒律の生きている地と解されている。また金峯山は中国で書かれた『義楚六帖』(954年)にも「未だかって女人が登ったことのない山で、今でも登山しようとする男は3ヵ月間酒・肉・欲色(女性)を断っている」と記されている。

比叡山においても伝教大師の『山家学生式』に、同じように酒・女を断つ一条が見られる。これらはいずれも不飲酒戒・不淫戒の徹底をはかろうとする意図から出ていた。こうした事例からいうならば、古代における「禁制」は、男女ともに戒律を遵守するための用語であり、「女人禁制」という言葉は熟語として定着していなかったことがわかる。

しかし「女人禁制」は、現実には男子禁制の部分を脱落させ、ひたすら女性にのみ禁制を強要する用語として受け継がれてきた。その原因はいくつも指摘できる。主な原因としては、平安時代の初期以後、女性の出家制限が始まったこと。また律令仏教の基本であった官僧官尼体制がなくなったことにみられるように、国の仏教政策が変化を遂げて、十世紀ころには尼寺が衰退し、男子禁制があまり意味をもたなくなった事実などである。

かくして残った「女人禁制」の僧寺では、その内容が、戒律を中心とした国家主導型から、各寺院の自己規制型の女性対策へと変遷し、禁制と開放のいずれかを選ぶという事態に至ったのである。その結果、特に厳しい修行の道場としての密教寺院や、修験系の山岳仏教では女人禁制を金科玉条とするようになり、その後も民間信仰や神道思想、また法華経の五障三従の思想などと融合しながら、長く受け継がれてきたのである(『新時代に向けた修験三本山の軌跡』(役行者千三百年御遠忌記録編纂委員会・国書刊行会発行」所収の「資料・女人結界に関する見解」を引用)。

(3)女人禁制は存続か、撤廃か?
明治初頭、女人禁制の解除を指導する維新政府の太政官布達によって、日本の多くの霊山、寺院は禁制を解いていった。そのなかで、ひとり大峯山のみ、いろいろな事件や騒動を経験しつつも、平成の現在に至るまで禁制堅守を続けることになってきた。将来に向けて今後、大峯の女人禁制問題はどうなるのか。修験道と女性を考えるとき、本件は避けて通れない問題となっている。

そこで、女人禁制ついて、存続を願う立場、撤廃を願う立場の両方から、その是非を考えてみたいと思う。前項で述べたとおり、本来、女人禁制の制度は修験道のみのものではない。しかし明治の混乱期を通じて、日本の霊山の中で大峯山が女人禁制を唯一残した結果、役行者以来の修験道千三百年の伝統が女人禁制に象徴されるという事態をまねいた。

「大峯山から女人禁制をはずしたら、大峯信仰の大義名分がなくなってしまい、大峯講社の存在意義が失われる」とさえ語る大峯山関連の信者講がある。こういう人々にすれば、女人禁制は1300年続いたという修験の伝統の象徴であり、その伝統の保持こそが大峯山伏のアイデンティティにすらなっている。

加えて、禁制にもたれかかるあまり、大峯山の尊厳性さえも禁制をよりどころとして保たれている感がある。もとより修行場や聖地には、非日常性が欠かせない。その点から言えば、女人禁制はまさに非日常性の象徴であり、日本全国の各霊山がその非日常性を失うなかで、大峯山のみが唯一残ったことによって、希少価値としての異境という尊厳性がもたらされた部分があったといえなくもない。

聖地にとって非日常性が欠かせない要素であるとすれば、女人禁制解除による女性参加は日常性を山に入れることになる。またハイキング登山やスポーツ登山の流行は修行の山、聖地の山を今以上に俗化させてしまいかねない。それでなくても、修行の厳しさは時流の中で摩滅しつつあり、禁制によって何とか最低限の修行性が保持されているのが実情である。

だから、これを除くとなれば、いよいよその修行性は損なわれてしまう危険性は大きい。また伝統にしろ、聖地性にしろ、ひとたび禁制を解除すれば二度と元には戻れないことになろう。以上は、禁制堅持を願う立場としては、当然の思いといっていい。

これに対して、女人禁制のみを主張するのは論拠に乏しいという意見もある。女人禁制は先に見たように、修行上の戒律を根底に置いて定まったものである。ところが現在、他の厳しく制限されてきた飲酒などの戒律が軽視されるなかで、もし禁制を声高に唱えるならば、それに見合う飲酒や肉食といった修行上の他の戒律にも厳しさを求めなければならないことになる。

女人禁制が、女性差別や女性蔑視の思想から定められたのではなく、修行上の戒律を根底に置いて定められたとしても、今日および将来にわたって、女性の入山を認めないというのは、許されるであろうか。たとえそれが戒地としての結界であっても、国立公園の公開性の問題や、男女の機会均等の主張など、女性排除の事実が社会的に問題視されるであろう。まして他の戒律がなおざりにされ、戒地としての意味が希薄になりつつある現状では、将来ますます厳しい糾弾の対象となることが大いに危惧される。

もちろん宗教上の戒地とは一種の宗教観に由来する特別な場所である。山を女性神の象徴として畏れる世界観などが作り出すコスモゾーンともなっている。したがって、社会的な視点でうんぬんするのは文脈がちがうとも考えられる。

そんな状況の中、平成10年には奈良県教職員組合の「男女共生教育研究推進委員会」女性会員が大峯登山を強行したのをはじめ、平成15年には市民グループの「世界文化遺産登録にあたって『大峰山女人禁制』の開放を求める会」が結成され、開放を求める署名を集めて開放の要望書とともに内閣府及び奈良県、大峯山寺などに提出している(金峯山寺にも届けられている)。

また平成17年11月には全国の性同一性障害者ら約30人のうちメンバーの女性ら3人が強行登山するなど、女人禁制に否定的な登山家の挑戦や、ジェンダフリーの思想や解放同盟からの女性差別としての糾弾、ならびに売名行為を繰り返す人たちの徘徊など、世間の様々な要求や動きが続出し後を絶たない状態であるが、さて、それらに対し、それでも禁制堅持を守る体制が確立できるのかといえば、いささか心許ないというのも現状であろう。

世間のあらゆる分野での、男性女性の機会均等化は、女人禁制に対する社会通念を変化させ、維持することへの世間的なコンセンサスを失いつつある。過去の禁制が容認された時代の女性観と現代の女性観とのあいだには根本的な違いがあり、ここにすこぶる現代的な問題が定位している。また本件に関するマスコミ報道が、極端な二項対立をあおるような「伝統か差別か?」といった偏った論調で語られる現実も、無視できないところまで来ている。

ここで原点に立ち戻って考えてみれば、もともと大峯山の聖地性が、女人禁制のみであったのではない事実に気付く。「女人禁制であるから大峯山が霊山なのだ」という意見には、十分に気を付ける必要がある。大峯山は女人禁制であろうとなかろうと聖地に違いなく、修験道の根本道場たることは揺るぎない。とすれば、女人禁制を解除したらただの山になったというような情けない山であるはずがない。

ただし、霊山であるからこそ禁制が生まれたのであり、コスモゾーンとしての禁制によって今日まで聖地性が高められてきたことも事実である。これらすべてを総合的に理解したうえで、何が本で何が末であるのか、よくよく考えなければならない。

石槌山、出羽三山はじめ、女人禁制を解除してもなお霊山であり続ける山々。それらに比べ、大峯山の聖地性が劣るはずがない。大峯山伏のアイデンティティが女人禁制のみである、というわけではないと私自身は強く思う。いま、私たちがなすべきは、いったい何か。それは、この禁制論議を千載一遇の奇貨として、山の尊厳を回復することではないのか。

奇しくも平成16年7月に「吉野大峯」および「大峯奥駈道」は、ユネスコ世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」として登録された。この世界遺産登録を契機として、大峯の自然環境保全や信仰の山の尊厳回復に努めなければ、現代社会の大きな流れの中で翻弄され、踏みにじられてしまいかねない。

女人禁制を解除するか否か以前に、すでに心ない登拝者によって山の尊厳は貶められつつある。信仰を支えるものの変化に正面から向き合うとともに、まず行者自身が自らを戒め、自分たちのお山を守る自浄努力を果たすべきであろう。出来うるならば、開放か、堅持かの双方の立場を超えて、同じ修験信仰を心に持つ女性たちとともに…。
           
(4)総括として
以上、あたえられた紙面の都合上、要点を絞って考察してきた。現況から推察すれば禁制堅持の重要性は極めて大きいものがあるとしても、いずれは何人かの手によって、あるいは時代の流れの中で、禁制撤廃の時代を遠からず迎えてしまうのではないと、私は思っている。とするならば、自分の代では絶対守る、あるいは守って欲しいというのは問題の先送りであり、感情論でしかないのだという指摘もできる。

現在、大峯に関わりを持つ私たちが、なにをおいても取り組むべき課題はなにか。それは、大峯山の将来の信仰をどう守り伝えていくか、修験道がどう歩んでいくのか、自分たち自身の手で、信仰者としての真剣な取り組みなのではないか。しかも、誰かの手によって世俗の問題におとしめられる前に、である。

大峯の女人禁制はあくまでも信仰上の問題である。ゆえに信仰の領域内で、解決していかなければ、今まで守ってきた意義さえも失われてしまいかねない。信仰上の問題として、当事者の大峯山寺はじめ、各本山、各関係修験者・信徒たちが、大きな立場から、この問題に真剣に向き合うことが、本当の意味での、先人達への、また孫子の代への自分たちが果たすべき責任なのではあるまいか。

もちろん、各宗団内や各修験寺院内の女性信者、女性教師の声にも耳を傾けるべきであろう。実際、内部の女性たちの禁制にかかわる賛否は、関係者以外の女性たちやジェンダーフリーを振りかざして撤廃を要求する人たちほどではないにしても、男性とともに山上ヶ岳の登拝を望む声はある。その逆に、声高に言わないものの、現状維持を望んでいる女性も多い。

さて、最後に私の思いである。遡って、役行者千三百年御遠忌(平成12年執行)に際し、当事者の大峯山寺と修験三本山が協議の上、女人結界撤廃を推し進めたが、地元や信者講との合意に至らなかった。今思えば、性急すぎたところもあったし、議論も尽くし切れていなかったとも思う(この辺の経緯は『新時代に向けた修験三本山の軌跡』(役行者千三百年御遠忌記録編纂委員会・国書刊行会発行」を参照いただきたい)。しかし私は禁制論議は、すでに開ける開けないの段階ではなく、どう折り合いをつけて女性参加の道を探るのかを問うべき時期にきていると思っている。

ただし、断っておきたいのは、これは決して人権論議やジェンダーフリーの思想に動かされての問題提起ではなく、大峯山の信仰、修験道の信仰の継承そのものに関わる視点からの結論である。もっというなら千年以上にわたって私たちの修験の先人たちが守り続けてきた女人禁制という希有な宗教伝統を後世に引き継ぎ、その中で新たなる信仰の形を受け継ぐためにも、何らかの形で直接的な女性参加の道を開きつつ、伝統も残していくという方途を探そうというのである。

私は平成8年に始められた修験三本山御遠忌連絡協議会において、大峯山の女人禁制論議が提起されて以来、終始一貫して、撤廃するにしろ、堅持するにしろ、当事者の大峯山寺や修験道の内部が臭いものにふたをするような態度ではなく、21世紀に向けて大峯の信仰の継承のため、正面からこの問題に取り組むべきだと主張してきた。

そういう意味では私は撤廃論者でも、堅持論者でもなく、フリーハンドで、本論議の有り様を模索し続けてきたつもりである。しかし役行者千三百年遠忌を前後しての動き以来、未だに本問題を真剣に結論つけようという内部的な動きは進まず、世間的には奈良県教職員組合や今回の性同一性障害者らによる強行登山などが繰り返され、その都度ハラハラしながら当事者の対応を見守ってきたのである。

性同一性障害者による強行登山を前後して、インターネット掲示板の「2ちゃんねる」で匿名参加の議論の中から、女人禁制擁護と今回の強行登山に対する非難のホームページが立ち上がり、禁制擁護を応援する署名活動が始められた。修験道内部の動きが鈍い中、いよいよ女人禁制論議は撤廃を求める人たちだけではなく、擁護を願う人たちの間でも、当事者の関与を抜きにして、一人歩きをし始めたのである。

結界を擁護する人たちは一般の中にもこんなに結界堅持を指示してくれる人がいるではないかと、嬉々としていることだろうが、ホントにそうだろうか。信仰に直接携わる人間を抜きにしての論議は賛否いづれの論議も盛り上がれば盛り上がるほど、危惧を抱かなくてはならないと私は思っている。世間の風潮や意見に引きずられる形で、本論は語ってはいけないのである。前項までにみてきたように、女人禁制を取り巻く環境は激変を遂げ続けている。だからこそ建設的な結論の構築が必要であると思うのである。

たとえば四国の石鎚山のように、一定の期間に限定して禁制を解除するとか、結界そのものの範囲をさらに考え直すとか、具体的な事例を念頭において、議論を始めることであろう。そして大切なのは禁制解除を契機として、修験道の興隆をどう押し進めるか、大峯の尊厳性を回復するために、新たな規律をどう確立するか、もっとも大切である大峯の自然をどう守っていくのか、根本的な変革が押し迫られているのである。

冒頭で述べたように、ただ開けただけでは、山の尊厳を損ない、自然環境の破壊に繋がりかねず、開けない方がよかったということになろう。そうならないために、血を伴い、傷を負ったとしても、目の前の変革を受け入れ、新たな大峯信仰の確立を果たさなければならないのである。

女性と修験道の関係は、役行者以来、修験道が脈々と法灯を保ち、現代社会においてなお活き活きと生き続けて行く上で、新しい展開へ向かう大きな課題である。修験道に関わる全ての人の賢明なる智慧によって、早期に禁制論議の結論を見ることを期待してやまない。

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さすがに8年前の原稿なので、今の私の禁制論とは少し違和感がある。その間少し私も変節したところがある…のかもしれない。現在の私の禁制論はまた機会を設けて、紹介することにする。
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一汁一菜で、残暑を乗り切ろう!/奈良新聞「明風清音」第92回

2023年08月19日 | 明風清音(奈良新聞)
夏の甲子園で、今回から「クーリングタイム」が導入された。5回終了後に10分間の休憩を取るのだが、休憩後に足がつる(こむらがえりを起こす)選手が続出して話題となった。毎日新聞(8/16付)〈夏の甲子園、足つり続出 熱中症予防におみそしる ミネラル豊富、専門家推奨〉によると、
※写真は御所南PA「御所の郷(さと)」の豚汁定食。鶏カツつき760円(税込み、以下同じ)

汗によって水分とともにミネラルが体内から出ることで、筋肉のけいれんを起こすなどの熱中症の症状が出やすくなります。(クーリングタイム直後に症状が出たのは)疲労がたまった後半だからというのはもちろんあるが、適切な濃度のミネラルを含んだスポーツドリンクを取っていないことも原因としてあるのではないか。

だしを取ったみそ汁を飲むのもいい。塩分、カルシウム、マグネシウム、ビタミンなどが豊富な赤みそで作ったもの。暑いと飲みにくいので、冷やした「アイスみそ汁」を飲むのもいいかもしれない。試合中だけでなく、朝、夜にしっかり飲むことも大切です。



まいどおおきに食堂(和歌山橋本食堂)の豚汁200円と、ご飯大300円

味噌汁が熱中症予防やこむらがえり対策になるとは、興味深い話だ。いずれにしてもわが家では、夏場は食欲も食事を作る意欲も減退するので、一汁一菜でしのいでいる。これはもちろん、土井善晴さんのベストセラー『一汁一菜でよいという提案』(グラフィック社、のち新潮文庫)にならっているのである。

この土井さんの提案は、「システム」であり、「思想」であり、「美学」であり、「日本人としての生き方」の提案にもなっている。奈良新聞「明風清音」欄に寄稿したので(2023.8.17付)、以下にその内容を紹介する。



「一汁一菜」という美学
先月(2023年7月)の平均気温は、日本の観測史上(1898年以降)最も高く、45年ぶりに記録を更新したそうだ。こんなに暑いと食欲も食事を作る意欲も減退するが、わが家ではこれを「一汁一菜」で乗り切り、今も続けている。大阪生まれの料理研究家・土井善晴さんの著書『一汁一菜でよいという提案』(グラフィック社刊)にならったのである。

▼「料理が大変」という人へ
本書の冒頭には〈この本は、お料理を作るのがたいへんと感じている人に読んで欲しいのです。(中略)だれもが心身ともに健康でありたいと思います。一人の力では大きなことはできませんが、少なくとも自分を守るというのが、「一汁一菜でよいという提案」です。うまくいけば家族、健康、美しい暮らし、心の充実、実現するべき仕事を支える「要」になるかも知れません〉。

▼ご飯と具の多い味噌汁
もともと一汁一菜とは、汁物とおかず(主菜)一品、そこにご飯と漬物をつける。しかし土井さんは「ご飯と具だくさんの味噌汁だけで十分」という。可能なら漬物を添えてもいい(汁飯香)。具材が多いので、味噌汁はダシを引かなくてもよいのだそうだ。

〈ご飯は日本人の主食です。汁は、伝統的な日本の発酵食品の味噌を溶いた味噌汁。その具には、身近な野菜や油揚げ、豆腐などをたくさん入れられます。(中略)一汁一菜とは、ただの「和食献立のすすめ」ではありません。一汁一菜という「システム」であり、「思想」であり、「美学」であり、日本人としての「生き方」だと思います〉。

▼料理に男女の区別はない
コロナ禍で緊急事態宣言が出され、夫も子どもも家にいるという状況が続き、ご家庭の主婦から「一日三回の食事を用意するのが苦痛」という声を聞いたが、一汁一菜であれば、夫でも作れたのではないか。

〈これなら、どんなに忙しくても作れるでしょう。ご飯を炊いて、菜(おかず)も兼ねるような具だくさんの味噌汁を作ればよいのです。自分で料理するのです。そこには男女の区別はありません〉。

〈(中略)準備に十分もかかりません。五分も掛けなくとも作れる汁もあります。歯を磨いたり、お風呂に入ったり、洗濯をしたり、部屋を掃除するのと同じ、食事を毎日繰り返す日常の仕事の一つにするのです。「それでいいの?」とおそらく皆さんは疑われるでしょうが、それでいいのです。私たちは、ずっとこうした食事をしてきたのです〉。

▼約33万部を売り上げ
本書は単行本が2016年に刊行され 21 万部、コロナの渦中の21年に新潮文庫となって11 万 7 千部を売り上げた。電子書籍と合わせると約33 万部である。それはこのようなシンプルな提案が、読者の心に響いたのだろう。

▼「普通においしい」でよい
〈お肉の脂身やマグロのトロは、一口食べるなり反射的においしい! と感じますが、それは舌先と直結した「脳」が喜んでいるのだと思います。そのように脳が喜ぶおいしさと、身体全体が喜ぶおいしさは別だと思うのです。(中略)ご飯や味噌汁、切り干しやひじきのような、身体に良いと言われる日常の食べ物にはインパクトがないので、テレビの食番組などに登場することもないでしょう。

もし、切り干しやひじきを食べて「おいしいっ!」と驚いていたら、わざとらしいと疑います。そんなびっくりするような切り干しはないからです。若い人が「普通においしい」という言葉使いをするのを聞いたことがありますが、それは正しいと思います。普通のおいしさとは暮らしの安心につながる静かな味です〉。

肩肘張らず、シンプルな食材で一汁一菜を作り、いただく。その繰り返しが健全な生活のリズムを作るのである。(てつだ・のりお=奈良まほろばソムリエの会専務理事)


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田中利典師の「蔵王権現さま愛」

2023年08月18日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、「権現さまが好き!」(師のブログ 2013.5.11 付)。師が『金峯山時報』に連載されていた「蔵王清風」の文章である。この時期、金峯山寺蔵王堂の秘仏ご本尊「金剛蔵王大権現」像の特別ご開帳や夜間拝観が始まり、改めて師は「ご本尊愛」を吐露された。以下に全文を貼っておく。
※トップ写真は、金峯山寺蔵王堂(3/28撮影)

権現さまが好き!
◎今月の「蔵王清風」(『金峯山時報』連載中の山人コラム)

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「権現さまが好き!」
「東大寺の大仏さまはとても大きくて、とても素晴らしい。でも大仏さまはお側に近寄っても、その眼の先はいつも遠いところを見ておられる。それは大仏さまが国家安穏、風雨順時という大きな願いで、この国全体を見守っておられるから」っていう法話をよくする。続きがある。

「それに比べて、蔵王権現さまはその前に座ると、その座った人の心の中を見透かすように、カッと見開いた眼で、まるでのぞき込むように前屈みになって、私達に近づいておいでになる。大仏様も権現様もどちらも有り難いが、私は自分のことをじっーと見つめていただく権現さまが大好きだ」とお話しする。

この3月末から6月9日まで、仁王門修理勧進の蔵王堂秘仏ご本尊の第3期ご開帳が始まっている。ご本尊の前に、額づくたびに、いつも、自分の心の中が見透かされているようで、有り難いし、怖いし、嬉しくなる。蔵王堂内陣には期間中、発露の間が設けられているが、まさに参拝者ひとりひとりが権現さまに自分の心を発露する空間である。きっと座った誰もが、有り難くて、怖くて、嬉しくなっておられると確信している。

4月末からは、週末ごとの夜間拝観も始まっている。夜の権現様はまたまた昼間とは違うお顔をお見せになり、大迫力となる。ご宝前の導師席に佇み、闇夜に響く梵唄声明(ぼんばいしょうみょう)の流れる中で、権現さまのお顔を見上げると、時には涙が止まらなくなるときがある。あるいはすでに亡なった父や母に見守られているような温かい気持ちになる。前の猊下に教えられた「ご本尊に嫌われるなよ!」っいう言葉を権現様から直接頂戴したような気持ちになる時もある。

蔵王一仏信仰というが、あまり難しく考えることはいらない。権現さまをいかに自分が好きであるか、権現さまからいかに好かれているか、そこを問えばよいのだと思う。ご開帳はじかにそういうことを感じさせていただく有り難い機会なのである。本宗宗徒のみなさまこそ、ともにそうあっていただきたいと念ずる次第…。 

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近世の奈良に観光ガイドがいた!オンラインセミナー 9月10日(日)開催、参加無料(2023 Topic)

2023年08月17日 | お知らせ
かつて、熊野詣や伊勢参りには御師(おし、おんし)と呼ばれる人がいて、旅の手配や現地案内をしていた。これとは別に、近世の奈良には観光案内人がいたそうだ。そんな珍しい話が、無料でオンライン(Zoom)で聞ける。主催は、大和・紀伊半島学研究所「なら学研究センター」(奈良女子大学)だ。同セミナーのサイトには、

「近世大和に存在した観光案内人」(第37回なら学研究会)
第37回なら学研究会(ヤマキイサロン)のご案内

現代の奈良にとって重要な時代であるにもかかわらず、研究蓄積の少ない近世。今回は、近世大和に存在した観光案内人について、安田真紀子先生にご紹介いただきます。

近世の観光案内人といえば御師(おし)が知られていますが、大和では、それとは異なる観光案内人が複数の層で存在していました。日本観光史、近世交通史にとっても興味深いテーマになると思います。ぜひとも、ふるってご参加ください。

テーマ 近世大和に存在した観光案内人
講 師 安田真紀子氏
専門は日本近世史。「実験歴史学」を掲げた奈良大学鎌田道隆研究室で学ぶ。奈良大学講師、奈良からくりおもちゃ館館長。論文・講演多数。

日  時 2023年9月10日(日)14:00〜16:00(終了予定)
実施方法 オンライン(Zoom)
事前登録をお願いしております。
参加ご希望の方は、こちらから事前登録し、ZoomのURLを取得してください。
登録後、ミーティング参加に関する情報の確認メールが届きます。

主催 大和・紀伊半島学研究所なら学研究センター(奈良女子大学)
協力 奈良女子大学文学部なら学プロジェクト
問い合わせ narastudy*cc.nara-wu.ac.jp(*を半角@に変更してください)
今回から大和・紀伊半島学研究所の3センターで実施する研究会(セミナー)は、「ヤマキイサロン」という共通呼称を冠することとなりました。

たくさんのお申し込みをお待ちしています!
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