鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

『国会軽視?』笑わせてはいけない

2010年11月21日 10時15分46秒 | 個人的主張など
今しきりに柳田法務大臣の問責決議案がマスコミ・ネタになっているので書こうと思ったがタイトルに迷った。『国会の常識を述べた非常識な法務大臣』『まれにみる正直な大臣』『誰もが思っていることをついつい言ってしまった普通の人』『正直は罪だと法の精神のもとに反省した法のトップ』『ウケねらいの漫談は迂闊にもテレビカメラへのサービスか?』などなど思いつくのだが、ここまで書いてひょいと出てきた文句をタイトルにしてみた。

政権与党についたことがない古くからの政党関係者が言うならまだしも、自民党からそんな言葉が出てきた日にはそこらじゅうで失笑が起こったことだろう。今までに自民党が国会軽視を続けてきた伝統をそっくり真似て、あるいは引き継いでやっているに過ぎない。己の感覚に正直なのだが、独自性がないことを責めるべきなのだ。自分の頭で考えた独自性が必要なのだ。

独自性と言えば、数年前の南野元法務大臣を思い出す。元看護師だった人が法務大臣になって、国会答弁でおたおたする姿が印象深かった。用意してもらっている原稿を読むだけだったし、全くのお飾りでしかなかった。この人などは、今回の柳田法務大臣の言った二つのことを、何度も言い含められた口だろう。この人がするなら厚生労働大臣のポストだったはずだが法務大臣なんかをやらされ、任期末に一人の死刑執行の決裁サインをしたそうだ。

鳩山邦夫元法務大臣は〈ベルトコンベアーで自動的に死刑執行を~〉と言った人だ。〈法にもとづいて粛々と~〉などと言っていたのをテレビでよく観たが、あの人ほど〈粛々〉が似合わない人もない。法務大臣になるということは死刑決裁を官僚から迫られるということだ。死刑執行に積極的で任期中に13人もの執行サインをした彼は、法にのっとるということをシンプルに実行した。龍馬が好きだそうだけれど、想像力が乏しい目立ちたがりの面しか見えなかった。

と、このように書いていくと千葉景子元法務大臣の〈一石を投じる・・・〉という死刑執行立会いと、執行部屋のマスコミへの公開などについても書かなくてはならないけれど、それはまた後日。私は死刑廃止論者で、その第一の理由は、{被害者家族が加害者に対して許す機会を持つ可能性を奪う権利は国家にはない}。これは以前にも書いた。許す機会を持てないということは被害のままで救われないから。また後日。

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無謬性どころか古典的調書作成手法の破綻(その8)

2010年10月10日 15時16分21秒 | 個人的主張など
小沢一郎氏への検察審議決

すぐに思ったのは、西部劇映画の吊るし、映画「12人の怒れる男」、紅衛兵による自己批判文を首に掛けられての引き回し、ポルポト政権時代の子供を使った密告と粛清だ。たとえ限りなくグレーの部分や真っ黒な所があったにしても、細心の神経を使って政治生命を維持してきた人間が裁判で有罪になるような隙をみせる筈がない。あの検察が圧力でも政治的配慮でもなく、公判を維持できないとした判断をひっくり返して有罪判決が出されるようなことがあったら、それこそ日本は闇だ。それでも誰がどのように誘導されたか起訴議決をしたのだという。人の命に絡んだ事件でもなく、金額は大きいけれど何がそんなに悪いのかはっきりとしない事件だ。はじめから結論ありきの思い込みと決め付けによる判断だとしか思えない。判断材料は、スキキライでしかないような気がする。検察への不信もあるとしたら、検察にもっと強権を持たせて暴走させることを助長しかねない愚を犯しているように感じる。

尖閣諸島のこと

きょうのある討論番組で自民党代議士が『外交というのは結局、軍事力をバックにするもので、日本は日米同盟を持ち出すしかない』というようなことを言っていた。野党になったから本音を言いたい放題といったところなのだろう。よくもそれで政治家などと言えるものだ。まだ軍事力で今の世に屹立する夢を描いているのだろう。領土国境問題はいつでもどこでもエゴ丸出しの子供じみたケンカだ。おまえのかあちゃんで~べ~そと言ったり、ちょっとこずいたり、関係ないことを持ち出したり、仕返ししたりだ。今回の件で誰が得をしたのだろう。貧富の格差が広がるなどの急激な経済発展による不満を外に向けるガス抜きが少しだけできたかも知れない中国政治か。あるいはアジアの国同士が変に仲良くされたら困るアメリカの軍産複合体か。それとも軍事を基本にしてしか世界を見られない日本の軍事愛好家の一団(与野党にも評論家にも放送局や新聞社にもゴマンといる軍事オタク)か。損をしたのは小学生を動員したりして反日行動のマスゲームをした中国共産党指導部か。

ノーベル平和賞のこともついでに

あの佐藤栄作氏に平和賞を贈ったことを大きな間違いだったと反省をしたという、ノルウェーのノーベル賞委員会が昨年のオバマ大統領への決定との兼ね合いも含んでの政治的判断をしたようだ。なかなかにオツなことをするものだと思う。過去の過ちを払拭してあまりある快挙かもしれない。世界で中国人の占める割合が何割だったか圧倒的多数のはずだ。ようやく世界二位の経済大国になった中国で初のノーベル賞受賞者だという。先日ある番組で在日韓国人の大学教授がこれから韓国はばんばんノーベル賞受賞者が出ると言っていたが、文化や科学の充実度をはかるスケールとしてノーベル賞が認識されているようだ。中国共産党が大人の態度を示して人権活動家の劉氏を釈放したら世界の目は変るだろうに又してもヘタを打ってるなと思う。第二、第三の天安門事件が起きないようにガス抜き操作ばかりしていたら今のインターネットの世界でどうなってしまうのだろう・・・中国よ。

FD改ざん前田検事の上司たち

【調書まだゼロ 可視化を要求】【前田検事が『データ書き換えは意図的だった』とした報告を『誤って書き換えた』とさせたのは最高検のストーリーだ】と10月10日朝日新聞。何と盗人たけだけしいと感じるが、調書はまだゼロだそうだから、被疑者としての正しい姿と言おうか、ブレのない態度を示しているようだ。前田検事が本当に本当のことをしゃべっているとすれば、やはり彼の時限爆弾は検察に向けてのものだったようだ。【取調べの全過程を録音・録画するよう・・・】可視化も弁護士が要求しているという。被疑者としての権利と態度はこうあるべきだと、二人の検事が示しているのだろう。接見禁止申請も地裁が認めなかったそうだ。異例なことだそうで、検事とて今までの被疑者の辛さを知ったらいいだろうと思う反面、地裁も検察の思うがままにはならないという独立性をやっと主張しはじめたのはいいことだ。皮肉なことに検事が被疑者になって始めて被疑者の基本的人権が斟酌されているのかも知れない。

あ・うんの呼吸ばかりであいまいな社会

小沢一郎氏のお金の問題は、うんとかあーとか言ったとか言わなかったとかの世界だ。言葉を交さなくても、よきにはからったみたいな感じを裁判所で裁けるはずがない。尖閣諸島のことでも、政府が介入を一切していないなどということがあろうか。政府がすべてにおいて介入する事件ではないか。挑発したのは誰の指示か。結局だれの手のひらの上で遊ばされたのか。すべては、わかってるね!良いようにという呼吸で事がおこり、誰にも責任がない仕組みだ、たぶん。ノーベル平和賞を昨年受賞したオバマ大統領は劉氏の釈放を要求し、【すべての男女、子供の基本的人権が尊重されなければならない】と強調したそうだ。その中国に大量の国債を買ってもらっているアメリカの大統領はどういう視線で何を想いながらこんなメッセージを投げかけているのか・・・あ・うんの辛さを感じたりしてるのかも知れない。検察の逮捕されている三人も、はっきり具体的に打ち合わせなくても、すべてがあ・うんの呼吸でやってきたのだろう。前田検事があ・うんから降りて、上司二人の裁判にも証人として暴露というのか、爆弾発言の新事実まで洗いざらい言ったらいいなぁと切に想う。

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無謬性どころか古典的調書作成手法の破綻(その7)

2010年10月03日 19時12分13秒 | 個人的主張など
小出しに出てくる日替わり供述は誰が発表またはリークしているのか!?

【「改ざんは過失」上司考案か「すべてまかせろ」「ミステークだよな」最高検調べ前田検事に指示」】これは本日朝日新聞のトップ見出しだ。近頃新聞を読むのが待ち遠しい。ところがこれらの小出し供述は、捜査関係者の話で分かったというものや、朝日新聞の取材に対しというものなどいろいろだ。どうしても微妙なニュアンスなどが伝わってこない。又聞きの又聞きが一人歩きしているようでじれったい。毎度おなじみのマスコミ向けの記者会見で出されるものなどどれほど信用できるというのだろう。これも検察内部で、今日はどこまでどのように発表するか、一字一句検討した上で、落としどころなんぞを考慮しながらやっているわけだろう。捜査とは操作なのだろうと思うと、新聞を待ち遠しがっている自分がアホらしい。

最高検が今回の特捜の犯罪を取り調べているそうだけれど、所詮は検察の体質が生んだ事件だ。ちょっと行き過ぎて目立った事件というくらいの扱いになってしまうのではないだろうか。この件では弁護士会から数人を派遣してもらい共同で取調べをするとか、完全可視化をして後日の公開を約束するなどの体制でも作らないと、結局密室のうやむやに終わりそうだ。前田検事を庇おうとした上司二人と前田検事は同じ体質なのだろうから、この二人の関わった過去の捜査も洗い直さなければならないのでないか? 警察国家という言葉があるけれど、村木氏に本当に恐いと思ったと言わしめた検察は行政権力でありながら、ほとんど司法権もあるかのようにふるまう存在だとわかったのだから、日本は検察国家なのだろう。何しろ沖縄の地検でさえ独自に外交を配慮しての発言をするくらいだから。

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無謬性どころか古典的調書作成手法の破綻(その6)

2010年09月27日 08時44分13秒 | 個人的主張など
時限爆弾は検察へ向けられたものだった

9/22日朝日夕刊に、朝鮮総連詐欺事件の【被告の弁護側が、「東京地裁の一審公判で虚偽の証言をした」として、来月にも前田検事を偽証容疑で最高検に刑事告発する・・・】とあった。
9/24の朝日夕刊にも、以前検察の裏金問題を内部告発して、過剰なしっぺ返しを喰った【三井環・元高検部長ら市民約100人が「虚構のストーリーを作り上げた冤罪事件だった」として、伊藤鉄男・最高検次長検事ら9人を懲戒免職処分とするよう求める審査を検察官適格審査会に申し立てる。】という記事が載っていた。【・・・】内のみ引用転載。

ところが那覇地検の中国人船長釈放ニュースで、外部からの告発が霞んでしまった感じだ。さまざまな批判が成されているので、ここでどうこう書くこともないのだけれど、【「わが国国民への影響と今後の日中関係を考慮すると・・・】とあった。検察が外交問題を考慮して対処するなんて権限があるのか!?  ここにも検察の勘違いしている体質が現れている。

判決を述べる判事にも 同様の疑問と憤懣を感じることがある。判決に個人的情を盛り込んだり、判決文を読み終わった後で、被告に諭したりする場合だ。神のような高みから支配しているつもりなのだろうか。全く逸脱した行為で、いわば職権乱用でしかない。マスコミは何故か判事のそういう大岡裁きのまねに迎合するだけで批判をしない。

タイトルから離れそうなので、急いで結論にもっていきたい。これは全くマスコミ報道からのみの憶測なのだが、逮捕されている前田主任検事は、数々の検察有利のシナリオを書き、それに見合った供述を古典的手法で得る内に職場に対する不満がつのっていったのだ。そして村木元局長の無実を確信したときに、スイッチが入ってしまったのだろうと思われる。

時限爆弾は自分の職場、検察へ向けてのものだったのだろう。緻密な人だったというから、『書き換えてしまった・・・』だとか、おかしなミスをする筈がない。巧妙に仕掛けた自爆内部告発だったのではないか。第二の三井環氏ではないのか!!?  そう考えないとどうしてもつじつまが合わないと思うようになった。

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無謬性どころか古典的調書作成手法の破綻(その5)

2010年09月24日 09時17分19秒 | 個人的主張など
逮捕されている特捜検事の取調べは究極の可視化をすべきだ

今回の事件について片山総務相へのインタビュー場面をテレビで観た。『検察が身内のことだからと、身びいきや手をゆるめることがあってはいけない。恥の上塗りになる・・・』と言っていた。恥の上塗りという言葉に違和感を感じた。少しネットで調べても、それに対する賞賛はあっても批判はなかった。検察内で起きた今回の事件は『恥』でしかないのだろうか?  そんな意識でしかないのだろうか?  恥どころか、罪をあばくべき機関が罪を創作したという、とんでもない犯罪ではないか。

今日の新聞では主任検事が改ざんを認めたとあった。『誤って書き換えた』などと当初は報じられていたが、どこでどう変ったのか知りたいところだ。発表する人間が微妙にニュアンスを変えてしまうのもよくあることだ。そもそも検察が容疑者の人権を全く無視した恫喝による強引な調書作成手法が批判されてきた中で発覚した証拠隠滅事件であり、それも無罪の証拠を隠滅するという逆転の発想による事件だ。

究極の可視化が成されるべき取調べではないだろうか? 国会での証人尋問でもよいだろうが、LIVE中継で取調べと調書作成が成されるべきではないか? 今後は一切あってはならない類の事件、偶然性とか見方によって判断が分かれるという類の罪ではないのだから。

村木元局長への無罪判決があった時点で、大阪特捜はなくなるかも知れないという危機的感想をもらした検察当事者がいたという記事を前にみた。検察の調書を作文だと批判した判決はそれほどの威力があったのだ。そこで現実にはできない空想を思い浮かべる。

判事、検事、被告、弁護人の位置関係を反時計回りに15分回した図だ。判事が検察官席に座ったら良い。当然ながら検事は被告になった。不当にも被告となっていた村木氏は無罪を勝ち取った後で『検察を信じたい』と言ってたくらいだから、弁護はできにくいにしても弁護人をやったろ良い。そしてこの件で勝った弁護士が厳しい目で判事をやったら良いだろう。芝居でもなければできないことだろうけれど観てみたい。

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無謬性どころか古典的調書作成手法の破綻(その4)

2010年09月23日 18時09分05秒 | 個人的主張など
自分の仕掛けた罠にはまった特捜検事

【同僚検事の一人が~前田検事に電話をかけ「FDは重要な証拠なのに、なぜ返却したのか」と聞いた。これに対し、前田検事は「FDに時限爆弾を仕掛けた。プロパティ(最終更新日時)を変えた」と明かしたという。~】
【上村被告の弁護人は~驚き、単独犯を主張する上村被告にとって不利になる証拠ととらえて表に出すことをためらったという。~】
【・・・】内は今日(9月23日)の朝日新聞朝刊より。

これで謎は解けたことになる。改ざん前のデータを記した捜査報告書を事務官が作ってあったことと、さらにそれが特捜の手から離れて村木氏の裁判を担当する公判部に移っていたということを知らなかったので罠を仕掛けたのだ。ところが結果的にはその罠に自分ではまってしまう。

証拠を早めに返却するなどというのは希な事らしい。それでも返却されたFDを見た上村被告の弁護人は仕掛けられた罠にはまりそうになっている。改ざん前の報告書の存在が無ければ、特捜のシナリオは破綻することなく通ったかもしれないのだがエースにしては誠にずさんで迂闊だった訳だ。

何年か前に、ある考古学研究者が次々に貴重な発見をしたことがあり、疑われたことがあった。手シャベルを昔の地層へ斜めに食い込ませて起こしては、そこにモノを仕込むという単純な仕掛けだった。今回の手口もそれと同じ位にシンプルだ。

検察がこの件で何よりも第一に手がけなければならないのは、信頼回復とか、証拠隠滅冤罪捏造事件の組織的関与かどうかとか、責任の徹底追及とかよりも、容疑者となった前田主任検事が関わった今までの事件で同様のことが無かったかどうかの追求だ。今までに彼が数々の供述を引き出して有罪判決に導いた事件の掘り起こしだろう。でっちあげという犯罪がなかったかどうかだ。絶対にいくつもあった筈だと誰しもが思っている。

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無謬性どころか古典的調書作成手法の破綻(その3)

2010年09月23日 02時21分15秒 | 個人的主張など
罪作りは遊び

主任検事が逮捕された。フロッピーディスクの更新日時を改ざんするための専用ソフトを使って自分の描いたシナリオに見合う日時に書き換えた疑いだ。9月21日の朝日新聞によれば、【遊んでいるうちに書き換えてしまった】と検事は弁解したそうだが、その21日の夜に逮捕が発表され、22日の新聞には、【前田検事は20日、大阪地検に対して「誤って書き換えた」と説明していた。】とある。

時系列がとても重要な事件なのに、どうも今ひとつはっきりしない。今年の2月にはすでに、書き換えたことを元上司に伝え、上級検察も把握していたというではないか。『遊んでいるうちに・・・』とは誰がいつ聞いたのか!!?  『誤って・・・』というのは誰がいつ聞いたのか!!? 誰がそれらを発表したのか!? 逮捕状請求はいつの何時頃に行われ、逮捕は何時何分だったのか!?  

それらのことは後回しにするとして、私は『遊んでいて』に感じるものがあった。彼はどの時点で、村木元局長の無罪を感じ取っていたのだろう。緻密な仕事師だったはずなのに、失敗に気付いたとき、仕事は仕事の体裁を失ったのだろう。遊びになってしまったのだ。

罪作りが仕事として成立するはずがない。権力を持つ者が不当な行使をするのはイジメでしかなく、いじめる側からすれば遊びでしかない、という構図が見てとれる。かの主任検事が本当にその通り言ったとすれば、正直な表現だったのだろうと思う。

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無謬性どころか古典的調書作成手法の破綻(その2)

2010年09月12日 16時11分58秒 | 個人的主張など
検察庁にロボット導入を!

取調べ担当検事は、主任検事が指示した内容の供述を取るのが仕事だという。密室で恫喝したり泣き落としをしたりしながら被疑者を支配して自白を迫り、あらかじめできている調書への署名を促すだけの仕事らしい。   【朝日新聞:『特捜部崩れた威信 厚労省元局長無罪』《中》から】

難関の司法試験を通り、司法修習生のなかでも優秀な成績の者が判事にそして検事になるのだと聞いたことがある。そんな人材が遵法精神どころか、恫喝や泣き落としまでさせられているようだ。つぶれそうな会社の大変な営業マンのノルマのようなことをやらされているのだから、狂ってしまわぬように精神を保つのも並大抵ではなかろうと想ったりする。

元局長の印を使用した上村被告は、取調べ担当検事のことを『壁に向かって話しているようだった』と表現したそうだ。そうだろう、人間性は感じられない筈だ。そういう仕事はロボットにさせたらいいのだ。ロボット導入を考えるべきだろう。非人間的な仕事はロボットが得意だ。恫喝ソフトに泣き落としソフトを入れた人間くさいロボットが良い。今のロボット技術なら、検察官なんかよりよほど人間味を感じることができるだろう。検察庁にロボット導入を! などと言ってみたくなる。

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無謬(びゅう)性どころか古典的調書作成手法の破綻

2010年09月11日 23時28分59秒 | 個人的主張など
郵便不正事件の元局長無罪判決の新聞記事をくまなく読んだ。テレビの解説も観た。大阪地検特捜部の失態が明らかになったわけだが、判決を受けて地検は次席検事が『判決内容を精査し、上級庁とも協議の上、適切に対応したい』と談話を出したとか。 『・・・』内は朝日新聞より。

取調べ時のひどい状況やでっちあげ作文に署名を強要された様子がまたしても暴かれた。それでも捜査権を持つ側は、謝罪の表明どころか反省の弁さえ言おうとしないのはいつものことだ。韓流ドラマの時代ものを観ていると、政敵や商売敵を陥れる手法が今までの数々の冤罪事件の捜査手法とそっくりだ。日本の時代劇ドラマにも出てくるが、韓国のものはパターン化していてどぎつい。検察のやりかたは、拷問がないだけまだましだがほとんど同じ。もしかしたら韓流ファンの検事が真似したのかとさえ疑ってしまう。取調べの可視化がなんとしても必要だ。

こういう結果から今後どのように検察が動くか注目したい。マスコミに切に願うのは、それを逐一監視して、報告記事を書いて欲しいという事。取調べ検事や公判担当検事の名前が公表されないのも変な話だ。彼ら当該検事にしてみれば、大きい事件を手がけて、これがうまくいけば出世の切符を得ることにもなったのだろう。大失敗したのだから出世の望みがなくなったのだろうか? 組織を守るためにはなりふりかまわずに突き進むのが権力というものだ。どうしたら監視できるのだろうと、もどかしい限りだ。

日本の裁判は起訴されたら、99.9%有罪判決になるのだというのはよく言われる。無謬性を信じて(信じてるフリをして)判事が検事の創りあげたシナリオや調書を鵜呑みにするからだ。この事件では裏付けを取らないで突っ走った過ちが露見したので無罪判決となったわけだが、これは無謬性ではなく告発されるべき検察の不正だ。

省庁官僚の不正を暴こうとして検察官僚が不正をしたのだ。大阪地検特捜は、局長級の不正を暴き国会議員の逮捕失脚まで視野にいれた巨額詐欺事件というシナリオに、有頂天だった筈だ。それにしても、自作のシナリオに満足して、他の可能性を思い描く想像力を失ったとしか思われない。だとしたら何という貧困な頭脳の集団か。

もしかしたら、女性キャリアだから侮ったのか!? マスコミの取材も妙に美談仕立てを誘導するような質問をしたり、個人的感情を引き出そうとしたりする。そういう取材態度は、元局長に失礼ではないのか!?。官僚の無謬性や事件の核心やキャリアとしての誇りや巨額の不正が起きるほどの許認可権の事などを取材したらいいではないか!? 公人としての元局長を小さな一個人として貶めているような気がしてならない。

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鳥瞰ニュースとは名ばかりで・・・(その3)

2010年09月03日 19時00分58秒 | 個人的主張など
【軍人という種族・・・③】
原爆のことをもう少し書いておきたい。ホロコーストという言葉がある。ウィキでは【ホロコースト(holocaust)は、宗教用語として全燔祭(ユダヤ教の祭事で獣を丸焼きにして神前に供える犠牲)を意味し、また、全焼死や大虐殺の意味もある】としている。そこから原爆ホロコーストという言い方をする人もいる。宗教上の意味合いも含んだ比喩なのだから、アメリカが広島長崎にした行為を原爆ホロコーストと言うのはそぐわないと思う。

原爆は、当時のアメリカ為政者(軍人)が行った人体実験という面が大きいようだ。数々の理不尽で非人道的な行為が必然的に頻出するのが戦争というものだろう。戦争捕虜や弱者に対して人体実験が、公然と或いは隠微に行われる。エノラゲイを含む3機のB29は一度広島上空を通り過ぎ、警報が解除されるのを見越して引き返し投下したのだ・・と、ある番組で紹介していた。しかも大きな落下傘を浮かばせて広島市民の多くがそれを見上げるように仕向けさえしたという。都市の破壊よりは、人々の抹殺を謀ったのだろう。

戦後に日本側から積極的に提供された原爆被害資料で具体的な殺傷能力を知ったアメリカ軍首脳は、モスクワならどの規模で何発、どこそこは何発と計算できたのだそうだ。戦勝国は敗戦国から資料や技術を根こそぎ奪い取っていく。ナチスドイツで研究された毒ガス兵器資料やジェット戦闘機やロケットの航空技術など。日本からは、731部隊の行ったという人体実験のデータや原爆被害資料など。

731部隊は資料の提供によって戦争犯罪訴追を免れ、その主要メンバーの元軍医たちは戦後医学会の中枢となったとか。生物兵器を研究していた731部隊の石井陸軍軍医中将の右腕と言われた人物が米軍とのコネを利用して日本ブラッドバンクを作り、ミドリ十字となってから薬害エイズ問題を引き起こすことになったという内容がウィキに書いてある。医学医術を極めようとする科学者である前に自己保身術に長けた軍人であったのだろうと思えてくる。

731部隊については、ある人から眉唾モノかも知れないが興味深いことを聞いたことがある。オウム真理教によって松本サリン事件が起こされた後のことだ。戦時中に山下奉文の部隊所属だったS氏は『満州の731部隊に立ち寄った時にサリンの実験を見た』と言った。私は直接いろいろ聞いてみるような間柄ではなかったので、四人掛けのテーブルで興味深々聞いていただけだった。細菌を使っての人体実験をマルタと呼んだ捕虜にやったとされる731部隊が、毒ガスの人体実験(?)もやっていたということになる。残念ながら数年前にS氏は亡くなったので確めることもできない。
  (つづく)

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鳥瞰ニュースとは名ばかりで・・・(その2)

2010年09月02日 12時00分31秒 | 個人的主張など
【軍人という種族・・・②】
軍人は国という枠を越えて共通の利害の元に行動する共同体ということから書き始める予定だったのだが、原爆のことから書きたいと思う。広島に原爆を投下したエノラゲイ号の乗組員で一人だけ存命中の元兵士のインタビュー映像を観た。

口ごもることもなくすらすらと答える様子は、編集のせいでもあろうが暗い陰や哀しみを負った存在ではない・・と思われた。戦勝国アメリカ本位の歴史認識、公式見解のようなものを述べている。第二次大戦に参戦する名目名分が欲しかった当時のアメリカトップは真珠湾攻撃を事前に知っていて、それを最大限利用したこと、そして戦争の名目を得る手法はベトナムでもイラクでもアフガンでもほとんど同様に行われているのだが彼はそのような面には触れようとしない。インタビュアーもそちら側からのアプローチをしない。

『広島と長崎に原爆を投下したことによって、アメリカ軍兵士100万人の命が救われた』というのはよく聞く言い訳だが、彼は「日本人の命と我々の命が救われた・・」と言う。ベトナム戦でもイラク戦でも帰還兵のPTSDが深刻な問題になっているという。彼は精神的にタフな人格なのだろうか。想像力の乏しい人間なのだろうか。それとも空軍兵士は、ダイレクトに現場を見ることが少ないから他人事のように語れるのだろうか。

全くの情緒的憶測なのだが、彼は良いとされる一面だけを見るようにして必死に自分を保っているのだろう。都合の良い公式見解を身にまとい、人間性を押し隠してアメリカの正義とアメリカ軍の正当性を宣伝する報道官の役割を果たしているのだ。軍人となることによって生きながらえる道を選んだのだろう。平常に心を保つにはそれしか選択肢がなかったのかも知れない。彼は復員後、大学で化学工学を学んでからデュポン社に入り、そこを勤め上げたそうだ。デュポン社は原爆製造のマンハッタン計画に参加してウラニウムやプルトニウムの製造をした化学会社で軍産複合体の主要会社の一つだ。

ここで軍人とは何だろうと考える。現役将校をさすのではなく軍事に自分の拠り所を定めた者を軍人と呼びたい。ナチスから逃れてアメリカに亡命した物理学者のレオ・シラードが当時のルーズベルト大統領に原爆を作るようにと進言する手紙を書いたのが核兵器の始まりだが、彼もまた軍人と呼びたい。尚、同調して共同署名したとされるアインシュタインは手紙の効果を上げるために、権威と名声を利用されたようだ。マンハッタン計画にも参加せず、そのことを後悔しつづけたアインシュタインは、軍人にはならなかったのだ。  (つづく)
http://www.youtube.com/watch?v=7-lSdUi0ZmI

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鳥瞰ニュースとは名ばかりで・・・(その1)

2010年08月28日 17時59分40秒 | 個人的主張など
【軍人という種族】
今までパレスチナ問題、石油利権などのことを詳しく知ろうとしないままにやり過ごしてきた。このブログにしても『鳥瞰ニュース』としながら、虫瞰ニュースのようなものになってしまっている。一匹の働き蟻から観た微視的日記のようなものだ。そこで近頃いきなりパレスチナ問題などを調べて読み始めた。

読みすすめてみると、世界のすべての問題がすべからく有機的につながっていて、どんないざこざでも個別的事件など何一つ無いと思えてくる。そして何よりも世界史の大きな転換点となったのが原爆だったのだと、はっきり解ってくる。

結論から言えば、原爆を製造するためにできてしまった軍産複合体はどんどん巨大になり、それ自体を維持するためにどこかでいつも武器を消費する戦争や紛争を必要とするのだ。

毎年八月になるとこれまでと違った角度のドキュメンタリー作品や証言が現れてくる。戦後65年を経てようやくという事が多い。今夏色々観て思ったことは『軍人という種族』ということ。ある種の才能があれば、このタイトルで何かが書けるかも知れないのだが・・・。

(まったく軍人という種族は、どうしようもないな!)という感慨を持ったのは、広島に原爆が落とされた後で日本の軍部から派遣された調査団が、被爆者に人道的配慮をせずに全くその反対であったということの証言。敗戦後に進んで、その調査資料をGHQに差し出したこと。原爆被害者を救済するために使うのではなく、ある意図の元に速やかにうやうやしくも差し出したのだということ。

その当時を知る内部関係者で元軍人へのインタビューがなされた。高齢の元将校は「新しい兵器というのは使ってみたいものですよ・・」と原爆をさして言っていた。何故すすんで被爆被害調査結果を差し出したのかという質問に、「731部隊のことがあったと思う」と証言した。戦争犯罪免除を得るために、原爆被害調査資料を「カード」として使った事も暗に示した。

もう一つ何かの放送中に映ったことだが、パウエル元国務長官(陸軍大将で退役軍人)の「核は兵器として使えない」という言葉。キッシンジャーも同様のことを言っているが、パウエルの言うのは純粋に軍人としての発想から言っているのだと思われる。

今のような核拡散状態では核がひとたび使われたなら、互いの国が壊滅的報復合戦になるので軍人や軍隊が用を成さないと心配しているのだろう・・・たぶん。核や毒ガスのような大量破壊殺人兵器の使用は牽制しあいながら、戦争の危険や紛争を煽り、持続的にシミュレーションをやり続けたいのが軍人なのだと思われる。
     
軍人というのは国家に忠誠をつくすように見えて、実はどこの国の軍隊の軍人であろうと一つの種族のように思えてくる。共通の利害の元に行動する共同体のような気がする。そのことは次回に書いて見たい。尚、テレビのドキュメンタリーはNHK.スペシャル〈封印された原爆報告書〉。

などと思ったことをざっくりと書くだけでは、何の力も持ち得ない文章になるのかも知れない。自分の覚え書きというだけになってしまうかも知れないが、このタイトルでしばらく書いてみたい。

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国を売ってノーベル平和賞を受賞した男の羞恥心

2010年08月01日 19時10分36秒 | 個人的主張など
沖縄返還をめぐる密約はまちがいなくあったということが明らかになって久しい。あのとき第一に思ったことは故佐藤栄作氏がノーベル平和賞を受賞していることと結びつけて【どのツラ下げて・・・】という少々品のないフレーズだった。彼のエピソードもいくつか思い出した。退陣会見で新聞記者を追い出し、テレビカメラだけを残したときの仏頂面。故人となってから、なぜか未亡人がちょいちょいマスコミに出てくることがあって、佐藤氏は家では一人黙々とトランプをしていることが多かったなどと伝えられたことなど。

亡くなった当時に密約文書が発見発表されたらどうだったのだろう。家族は知っていたのだろうか。あまりの事の重大さに焼却することもできず、四半世紀以上も経ってから頃合をみて届けたということなのだろうか。佐藤氏は沖縄返還直後にそれを花道として退陣して翌翌年にノーベル平和賞受賞、その翌年に料亭で脳溢血になり死去しているのだが、その1975年当時に暴露されていたら、外務省機密漏洩事件の西山氏の仕事も矮小化されずに評価されて、司法と行政が一体となった欺瞞も表面化したかも知れないと考えると残念至極だ。

それにしても何が非核三原則を評価されての受賞だ。なんというブラックジョーク。佐藤氏を早死にさせたのはノーベル賞委員会ではないのか。少し違うかもしれないが、故竹下氏がこうむった褒め殺しという嫌がらせも思い出す。そこで思うのだ。当人はどんなにか恥ずかしかっただろう。羞恥心による自家中毒かも知れない。同情を禁じ得ないというようなレベルではない。こんな恥を耐え忍んで死んでいった人もいると思えば、自分の恥多い人生がなんだというのだろう。密約が発覚してから、そんな安心を感じた人は多いのではないか? 見方を変えれば、彼は多くの者に希望をもたらした負の巨星ではないか! 

断わるまでもないだろうが、この文章は一般的な情報のみを元にしている。市井の一個人が感じた情緒的側面からの感想でしかない。タイトルを先に思いつき文章を書こうと思ってWikipediaなどを少し読んだ。それらをコンパクトにまとめるだけで、自己主張風の文章になるかもしれないが、そうはしたくない。初心は変わらなかったのでまとまりもないままだしてみる。

コメント (2)
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トヨタの感性②

2010年03月09日 22時29分14秒 | 個人的主張など
◎ユーザーの甘えとメーカーの驕り
間が悪ければ思いがけない事故は起きる。いわゆるヒヤリ・ハットでも、自分のせいにする人もいれば、先ずは他人(外部要因)のせいにする人もいる。プリウスの空走感にしても、パニックになったり事故を起こす程のゆとりのない運転をしたユーザーが悪い。空走感にパニックとなり、ブレーキも踏み込まずにハンドルから手を離し身体を縮めて目をつぶった運転者でもいたのだろうか。 

メーカーにしてみれば『画期的な車なのだから、今までの車と違うことにユーザーは馴れなければならない・・・』というところだろう。ブレーキ問題の原因を説明したトヨタ常務のコメントはメカニズムに関してだけだったのだろうか。マスコミが取り上げたのがその部分だけだったのだろうか。 マスコミは彼が言った「お客様の感覚と車両の挙動のずれによる違和感」というセンテンスにメーカーの驕りをみて、そこだけを強調するのだろう。

先日あるテレビ番組で、アメリカでの貨物列車の暴走脱線事故を取り上げていた。その原因は貨物重量の過小評価だった。運転士は列車の総重量とスピードと勾配から回生ブレーキのタイミングを計るのだが、回生ブレーキが効かなくなり、機械的ブレーキも効かない条件がそろっての事故だったという。

海上輸送コンテナを引くトレーラーの横転事故が頻繁に起きて問題になっている。コンテナの中は重量配分がきちんとなされているとは限らず、運転手は中味の状態を知らされずに牽引しているのが原因の一つのようだ。それに何より、牽引車と披牽引車が一点でしか繋がれていないからよじれに弱い。というようなことをNHKのクローズアップ現代でやっていた。

JR福知山線脱線事故の直接原因は運転士のスピード出しすぎだった。列車も飛行機もバスもトレーラーも道路上のあらゆる車輌も、ほとんど人一人の運転技術にまかされているというのは、とても恐ろしいことだと今更ながら思う。無謀運転やメカの暴走を食い止めるセンサーが、技術革新の日々なされている現今でさえ、はりめぐらされていないということに驚いてしまう。  つづく

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トヨタの感性①

2010年03月06日 17時56分44秒 | 個人的主張など
◎デジタル感覚とアナログ感覚

30数年前、仕事でトヨタ車と日産車のワンボックスカーを交互に運転していたことがある。トヨタ車はクッションが柔かくて坐り心地がよく悪路の振動も吸収する。見た目に細部の気配りがなされていておしゃれな感じがした。日産車はその逆だった。路面をじかに感じるし野暮ったくてがさつな感じ。

しかし運転感覚になると、トヨタ車の場合はアクセルを踏んだ時に初動が遅くて二次曲線加速だった。そしてブレーキや急ハンドルはクッションが良い分、フワンフワンと大げさに揺れる。日産車のアクセルは直線的で、運転感覚は直結的だった。

言い換えればトヨタ車は間接感覚で日産車は直接感覚だった。デジタル感覚とアナログ感覚と言っていいかも知れない(デジタルとアナログは厳密には違うだろうけれど・・・)。若かった私の好みは、多少クッションが悪かろうがオシャレでなかろうが、メカも道路もダイレクトに感じて人車一体感にひたれる日産車だった。

一般的に運転者は五感をフル活用して車を操っているわけだから、自分のイメージが素直に車の動きとして反映される手足としての運転性能を車に求めている筈だ。と、このように書いたら最近のトヨタ車の性能を検証もせずに、昔の記憶からの思い込みを今回の騒動に繋げてトヨタをこき下ろそうとしているように思われるかも知れない。

そんな尻馬野次馬的なことは避けたい。少し違ったことでも書けないかと思案しつつ、ネットで検索しつつ、あまり間違ったことを書かないように確めつつ、書き進めたい。今回の騒動で油圧ブレーキとABS(アンチブレーキシステム)と回生ブレーキと空走感の関係を知った。

油圧ブレーキは足で踏む動作を油圧としてブレーキの力に換えるしくみだからポンプで力を増幅させるとしても感覚は直接的だ。自転車のブレーキと変わりない機械的なものだ。

ABSはタイヤがロックしてスリップや横転するのを防ぐしくみだ。ロックを防ぐとハンドル操作が可能になり安定を保ちやすい。事故防止に役立つわけだが、ABSが作動するほどの事態は道路の状況把握を見誤った危険運転で、実は何があっても運転者の責任とも言える。

回生ブレーキというのを今回の騒動で学んだ。電車に使われているシステムで制動エネルギーを電気エネルギーとして回収するということだが、今回の空走感というのはABS作動時にブレーキが回生ブレーキから油圧ブレーキに切り替わるタイミングの問題で、ソフトを書き換えるだけで不具合は解消するとしてトヨタはリコールにより修正している。

ここで何かおかしいと感じるものがある。ABSでさえ運転者を過保護に守るために苦肉の策として考えられたシステムで本来のブレーキに逆らうしくみだ。それなのに回生ブレーキという制動エネルギーを発電に利用するシステムを加えたら、ブレーキに不具合も出ようというものだ・・・という気がする。車は線路の上を走っているわけではない。

ブレーキはゴーカートのような単純さが必要で、油圧ブレーキのアナログ感覚を最重要視しなければいけないのに、ABSと回生ブレーキの電子制御がアナログ感覚を阻害してしまったということではないのか。プログラム修正だけでトヨタ製ハイブリッドカーのブレーキシステムは何の問題もなくなるのだろうか。     つづく


コメント (4)
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