鳥瞰ニュース

空にいるような軽い気分で・・・

ハーバード白熱教室のこと

2011年01月04日 12時49分01秒 | 随筆或いはエッセイ
テレビはこれを観ようと決めて、その時間に自分を合わせることを近頃はあまりしない。昨年は日曜夜8時からか、10時からのどちらかで『龍馬伝』だけを必ず見た。サンデル教授の政治哲学授業のことは、NHKが宣伝するので頭の隅にあったのだが番組表も見ずに偶然最初から見始めた。1時間見てフンフンと思い、つづいて2時間目も見て成る程と思い、これで終わりかと思ったらまだ続いていて、4時間連続で見た。

番組表では2夜連続6時間ずつ延べ12時間の番組とあったので、元日の22時から見始めて初日はあと2時間あるのだったが集中力が保てずに寝てしまった。2日目はもうはじめから見なかった。全体の3分の1しか見てないのに感想などを書こうとしている。検索すれば無限にヒットするだろうけれど、何も見ず読まず調べずに書こうと思う。そうでないと書けないだろうから。

自然科学の講義や専門学校などの授業とは違い、社会科学講座は知識伝達を主な目的としていないということがよくわかった。考えるヒントきっかけを与えることが最大目的なのかも知れない。ハーバード大学となれば、将来国を背負う政治家や各分野の指導的立場になる人も多いわけで、そこの政治哲学講座はおのずから『良心』なり『思慮』なりを引き出す義務を負っているのだろう。

巧みな話術で聴衆(学生)を引き込むサンデル教授はまさにエンターテイナーだった。イエス・ノーを理由とともに答えさせる設問を出すタイミングがうまい。どんな答えを出そうと教授の掌の上で転がされていることには変わりはない。転がされているというたとえは不謹慎かも知れない。聴衆は催眠術にかけられ酔わされることを望んでいる。

ひとつ面白い答えがあった。それぞれ違った臓器を患う人が5人(4人だったか?)いて、臓器移植をしないと助からない。1人健康な人がいて、その人の臓器を取り出せば5人が助かるがどうする・・・というような設問だった。どんな理由があっても健康な1人を殺すべきではないとか、条件付き賛成などの話があった後で、ある学生が『患者の内の1人が死ぬのを待って、その死体から移植すれば残りの人間が助かる』と答えたのだ。想定外の答えに会場が沸いた後で、教授は『君の答えは私の設問を台無しにした』と笑顔で言ったのだった。

総じて、どう選択しようと苦い結果としかならない究極状態の選択肢。シミュレーションのロール・プレイング・ゲームなのだ。自分ならどう答えるかというスリルを味わいながら見続けたが、私はその度に《その手に乗りたいけれど、その手は食わないぞ!》という気になった。それと同時に、素直な答えではないけれど、答えを考えた。その点で、先の学生のアイデアは見ている方にしても《してやったり》の応えだった。

多少考えさせられることはあっても、もう自分の中に答えが確立しているのを感じた。これは自慢ではないつもり。いくら若いつもりでいても、もう歳なのだなという事も感じた。たとえば底意地悪く責められるように畳み掛けられたとしても、もうあまり揺らぐこともない。流暢に応えることはできないし、古今東西の思想や故事をひいて対峙することは更にできないし、弁論技術も演技力もないけれど、うつむく事もないと思った。居直りと取られてもいいし、やせ我慢の蛮勇ととられてもいいけれど。

とは思えど、サンデル教授は核兵器のことを語っただろうか。広島長崎のことを語っただろうか。宗教対立のことを語っただろうか。と気になってならない。また、再放送がないものか。見たいし確認したいと思う。ビデオに録ってみることをしないで行きあたりばったりなのだが、見逃した3分の2を見るにはどうしたらよいか。どこかで貸し出しをしているのかも知れない。新年早々自分に課す宿題になりそうだ。さぁこのあと検索してみよう。

コメント (4)
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