先に(その4)で書いた人事不省の友人が亡くなった。全くの絶望的状態だったが、意識は戻らなかったものの二週間以上持ちこたえたあとで力尽きた。意識が戻らない或いは意識不明ということを言うけれど、医学的な使い方と、そうでない場合とでかなり違いがあるのではないかと思われた。会話が成立せず意思表示とみなされる動作はなくても、意識は時々戻っていたのではないか。意志は不断に発揮されていたのではないか。そのように想われた。
高齢で体力が無いという理由で外科的手術を全くしなかったのは、始めからサジを投げていたのではないか。小さく呻いていたじゃないか、呼吸が荒くなったり静かになったりしてたじゃないか、まばたきをしてたじゃないか、つないだ機器がピーピーなってたじゃないか・・・。あんなに生への執念を燃やして頑張っていたのだから、もっと細やかに診て看てやってくれたらよかったのにと想ったりするんである。家族へは十分にインフォームド・コンセントを行っていたのだろうし、割りに合わないかも知れないけれど、医者は恨まれる存在なのだなということを今更ながら想った。
人が亡くなると、その人との関係性や想いがついと浮力を得ておもてに現れてくるようだ。もう何もして上げられないという残念さと、その人との未来はもう無いという固着意識のようなものが働いて浮かび上がってくるのかも知れない。遺族に課せられたセレモニーを手伝うことができないか、供養に何を奉げようか、故人を偲んでせめて想いを分かちあえないか、ただ冥福を祈るしかないのかなどをそれぞれが考える。
通夜としてのセレモニーが終って参列者がぞろぞろと帰る。故人の奥さんと息子さんとお孫さんが出口で見送る。その三人が儀礼的な雰囲気を微塵も感じさせず誠に誠を表していて哀しいのであった。そして参列者も立ち止まってはそれぞれの挨拶の仕方で想いをあらわすのだが、哀悼を示すというのはこういうことなのだなというシーンもあり、受付にいた私はこの歳になって初めてのような感動を覚えたのだった。
私はせいぜい通夜の受付をやる位しかできない。次の日の告別式は断れない仕事があって欠席を決めていたから情け無い人間だ。感情的情緒的表出に遺伝的欠陥があるのかも知れない。親の葬式で私のきょうだい五人は誰も泣かないので、義理の親戚が『誰も泣かないね・・・』と遠慮なく言ったものだ。感情の表出はうまくなくても弔意は何らかの形で出したいと想う。そんな歳になったのかも知れない。
漫画のヒーローのタイガーマスク伊達直人を名乗っての寄付がニュースになっている。独りの慈善行為が呼び水となって、善意を引き出すというのはすばらしい。性善説を強く感じる出来事だ。自分が気持ちよく生きていくためのモチベーションということなのだろうと想う。亡くなった人への供養という想いからの行為も、自分が気持ちよく生き延びるためのモチベーションということなのだろう。
高齢で体力が無いという理由で外科的手術を全くしなかったのは、始めからサジを投げていたのではないか。小さく呻いていたじゃないか、呼吸が荒くなったり静かになったりしてたじゃないか、まばたきをしてたじゃないか、つないだ機器がピーピーなってたじゃないか・・・。あんなに生への執念を燃やして頑張っていたのだから、もっと細やかに診て看てやってくれたらよかったのにと想ったりするんである。家族へは十分にインフォームド・コンセントを行っていたのだろうし、割りに合わないかも知れないけれど、医者は恨まれる存在なのだなということを今更ながら想った。
人が亡くなると、その人との関係性や想いがついと浮力を得ておもてに現れてくるようだ。もう何もして上げられないという残念さと、その人との未来はもう無いという固着意識のようなものが働いて浮かび上がってくるのかも知れない。遺族に課せられたセレモニーを手伝うことができないか、供養に何を奉げようか、故人を偲んでせめて想いを分かちあえないか、ただ冥福を祈るしかないのかなどをそれぞれが考える。
通夜としてのセレモニーが終って参列者がぞろぞろと帰る。故人の奥さんと息子さんとお孫さんが出口で見送る。その三人が儀礼的な雰囲気を微塵も感じさせず誠に誠を表していて哀しいのであった。そして参列者も立ち止まってはそれぞれの挨拶の仕方で想いをあらわすのだが、哀悼を示すというのはこういうことなのだなというシーンもあり、受付にいた私はこの歳になって初めてのような感動を覚えたのだった。
私はせいぜい通夜の受付をやる位しかできない。次の日の告別式は断れない仕事があって欠席を決めていたから情け無い人間だ。感情的情緒的表出に遺伝的欠陥があるのかも知れない。親の葬式で私のきょうだい五人は誰も泣かないので、義理の親戚が『誰も泣かないね・・・』と遠慮なく言ったものだ。感情の表出はうまくなくても弔意は何らかの形で出したいと想う。そんな歳になったのかも知れない。
漫画のヒーローのタイガーマスク伊達直人を名乗っての寄付がニュースになっている。独りの慈善行為が呼び水となって、善意を引き出すというのはすばらしい。性善説を強く感じる出来事だ。自分が気持ちよく生きていくためのモチベーションということなのだろうと想う。亡くなった人への供養という想いからの行為も、自分が気持ちよく生き延びるためのモチベーションということなのだろう。