タイトルからは若干横道にそれるけれど、それて元にもどる流れが創れたらと思う。《ブログによってもう一人の自分を創りあげることができるか?》というもくろみがスタートだった。話し下手でスムーズに言葉が出てこない自分とは全く別な、回転速くカツゼツ鮮やかな人格を創れるかも知れないと思った。しかしやはり思考の回転は変えられないのだから、なかなかに難しい。色んなことに刺激を受けて、これは書きたいあれも書きたいと思うが、それらを文章にすることのいかに難しい作業であることか。当初はあまり自分を明かさないようにしていたが、3年間やってきて、ようやく少しずつ周りに知らせる方針に変えた。知らせたとて読んでくれるとは限らないし、書くほうも毎日ではない不定期なのだから読んでくれるのはなおさらだ。
昨日、88歳で事故に遭った友人を見舞った。毎月ある会合で会う人で、私は還暦を越えていて彼は米寿を迎えたという年の差だけれど互いに友人とする仲だ。人事不省に陥って2週間経つが、心臓も自発なら呼吸も自力の生命力を発揮している。昼過ぎに病室を訪れると1人機器に囲まれて寝ていた。デジタルディスプレイの数値が刻々と変る。酸素マスクを装着させられているが、管だらけという感じはしない。胸が大きく波打って荒い呼吸をしている。『オゥ』と声を出して、目を数回しばたたいた後で少し呼吸は穏やかになった。悪い夢を見ていたという感じだったので呼びかけてみたが反応はなかった。穏やかになった後だったから、悪い夢から開放されて深い眠りに入ったのなら邪魔するべきではないと思い一回だけの呼びかけで思いとどまった。
当初は面会謝絶だったことと、ひどい腫れと骨折と脳にも血が溜まっているという話しもあって最悪の憶測すら外野で交わされていたのだ。デジタル数値の色がオレンジから赤に変わるとピーと音が鳴る。わずかの間に何度も鳴った。ナースステーションにも当然ながらその数値と音が同時に感知されているだろうから、ナースがとんでくるのかと思った。何のことわりもせずに黙って患者1人が寝ている個室に入ってしまったという負い目もあって、すぐに引き上げた。希望的観測かもしれないが絶望的状況ではないと後付けで考えた。
医師が驚異的な心臓だと言っているとの話しを聞いていたし実際に見舞った上で情緒的にとらえるならば、生への執着は並々ならぬものがあるのだろうと思われた。知識が豊富で、話し始めると脱線し勝ちに止まらなくなることもある人で、世相をたくみに風刺する批評家であり反骨の人なのである。そのあたりを皆に愛されていることを充分に自覚しているかどうかはともかくとして、死んでたまるかという気はあっただろうと思う。快復を祈るばかりだ。
この際にもうひとり、反骨の人のことを書きたい。村山孚さんといい 著述家・中国研究家としてネットで紹介されている人だが、90歳を超えて、ホームページに巧みな文章を載せている。彼は私のまた兄弟にあたる。コマギレ自分史と題したなかに出てくる本家が私の実家だ。私の実家からかなり昔に分家した家に、もう一度本家から嫁いだ人がいたという関係でまた従兄弟なのだ。自慢話しになるので隠して置きたいのだが、孚さんの文章を読むにつけ、自分もあと30年頑張らねばなどと思われて、最近はやりの『勇気をもらえる』という感じが湧くのだ。彼の文には、激動の昭和前半が活写されている。是非読んで頂きたいと思う。
午後の喫茶店(http://www2.wbs.ne.jp/~bokemon/) ボケモン日記 亭主のコマギレ自分史
村山孚(まこと) 大正9年(1920年)生まれ、新潟県出身。
著書『明るくボケよう』(草思社)は、スーパー老人、ウルトラスーパー老人ではない、ごくフツーの老人のごくフツーの日常の姿をユーモアたっぷりに、かつ正確にシリアスに描いて、多くの人々の共感を呼んだ。日本と中国の古典に詳しく、神子侃(かみこただし)の筆名でも知られる。(ウィキペデイアより抜粋)
昨日、88歳で事故に遭った友人を見舞った。毎月ある会合で会う人で、私は還暦を越えていて彼は米寿を迎えたという年の差だけれど互いに友人とする仲だ。人事不省に陥って2週間経つが、心臓も自発なら呼吸も自力の生命力を発揮している。昼過ぎに病室を訪れると1人機器に囲まれて寝ていた。デジタルディスプレイの数値が刻々と変る。酸素マスクを装着させられているが、管だらけという感じはしない。胸が大きく波打って荒い呼吸をしている。『オゥ』と声を出して、目を数回しばたたいた後で少し呼吸は穏やかになった。悪い夢を見ていたという感じだったので呼びかけてみたが反応はなかった。穏やかになった後だったから、悪い夢から開放されて深い眠りに入ったのなら邪魔するべきではないと思い一回だけの呼びかけで思いとどまった。
当初は面会謝絶だったことと、ひどい腫れと骨折と脳にも血が溜まっているという話しもあって最悪の憶測すら外野で交わされていたのだ。デジタル数値の色がオレンジから赤に変わるとピーと音が鳴る。わずかの間に何度も鳴った。ナースステーションにも当然ながらその数値と音が同時に感知されているだろうから、ナースがとんでくるのかと思った。何のことわりもせずに黙って患者1人が寝ている個室に入ってしまったという負い目もあって、すぐに引き上げた。希望的観測かもしれないが絶望的状況ではないと後付けで考えた。
医師が驚異的な心臓だと言っているとの話しを聞いていたし実際に見舞った上で情緒的にとらえるならば、生への執着は並々ならぬものがあるのだろうと思われた。知識が豊富で、話し始めると脱線し勝ちに止まらなくなることもある人で、世相をたくみに風刺する批評家であり反骨の人なのである。そのあたりを皆に愛されていることを充分に自覚しているかどうかはともかくとして、死んでたまるかという気はあっただろうと思う。快復を祈るばかりだ。
この際にもうひとり、反骨の人のことを書きたい。村山孚さんといい 著述家・中国研究家としてネットで紹介されている人だが、90歳を超えて、ホームページに巧みな文章を載せている。彼は私のまた兄弟にあたる。コマギレ自分史と題したなかに出てくる本家が私の実家だ。私の実家からかなり昔に分家した家に、もう一度本家から嫁いだ人がいたという関係でまた従兄弟なのだ。自慢話しになるので隠して置きたいのだが、孚さんの文章を読むにつけ、自分もあと30年頑張らねばなどと思われて、最近はやりの『勇気をもらえる』という感じが湧くのだ。彼の文には、激動の昭和前半が活写されている。是非読んで頂きたいと思う。
午後の喫茶店(http://www2.wbs.ne.jp/~bokemon/) ボケモン日記 亭主のコマギレ自分史
村山孚(まこと) 大正9年(1920年)生まれ、新潟県出身。
著書『明るくボケよう』(草思社)は、スーパー老人、ウルトラスーパー老人ではない、ごくフツーの老人のごくフツーの日常の姿をユーモアたっぷりに、かつ正確にシリアスに描いて、多くの人々の共感を呼んだ。日本と中国の古典に詳しく、神子侃(かみこただし)の筆名でも知られる。(ウィキペデイアより抜粋)