飼っていたヒメスズメバチが死んだ。
捕まえてから77日目だったから、それなりに情がわいていたのに、とても残念だ。
だんだん動きが鈍くなってきていたのは冬眠状態に移行する途中なのだろうと思っていたが、弱っていたのかもしれない。
9月と10月に田舎に連れて行ったので、2000Km移動した経験を持つヤツだったのだ。
11月下旬、10日余りの帰省に今回は連れていかなかった。
蜂蜜を垂らしても飲むそぶりを見せず、寝かせたペットボトルの天井に張り付いてじっとしていたから世話は必要ないと思った。
帰省から戻り、飼育装置のペットボトルを見たら下に転がっていたので、嗚呼・・と思ったものだけれど、かすかに肢が動くのを確認できた。
しかしもうダメだと諦め、全く動かなくなり死んだことを認めざるを得なかったのが12月2日。
新女王に間違いないと思っていたので、来春は大きい飼育装置を用意して巣材になる木の皮や和紙なんかを入れて、巣を作るか見てみたかったのだが・・。
田舎で飼っていた我が愛しのニホンミツバチは、10月の時点で2群ともオオスズメバチの襲撃に遭っていた。
かなり退治したのだけれど、帰省から戻る日の時点でもたまにやってきていた。
そうして1ヶ月後にまた帰省してどうなっていたかといえば、1群は蜜も持ち去っての完全逃去。
もう1群は飼育箱の底一面に死骸があり、蜜も底をついていて生存している気配はなかった。
餓死を含む全滅だったのではなく、女王と残りの働きバチは逃去したのだと思いたい。
少なくとも、オオスズメバチの活動が活発になる時季には、捕獲装置ばかりではなく、巣門周辺全体を覆うオオスズメバチ防御網などを設置すべきだった。
多くの喜びをもたらしたニホンミツバチの2群は去り、また来春に、一から捕獲飼育を目指すことになった。
呑み会やちょっとした話の中で、この頃、終活という言葉がでるようになった。
周りを小ぎれいに整理して、無駄なものを処分し、遺される者たちに迷惑にならぬようにと配慮することだと、たいていの人は思っているようだ。
私にすれば、なんという勘違いを皆がしているんだろうと思うばかり。
そのような配慮も部分的には必要だろうし、身辺を小ざっぱりと整えることは気持ちよいことだから普段から心掛けたらよい。
しかし一番大事な終活は、やり遂げなかったことや、どうしても自分がやりたかったことを、多少陳腐でも無益な挑戦でも児戯に等しいことでもやってみることではないのか。
例えば私の小さな一例を述べるならば、私は金魚すくいをやったことがない。
いつだって見ているだけだったから終活としてやって見たい。
今までしてみたい気は何度も起きたし機会もあったのだけれど、一歩を踏み出せなかったり邪魔が入ったりしたのだった。
画像は2週間前のものだが、上越から253号線の山間道を行くと儀明峠トンネル手前に、パーキングエリアが設けられていてトイレと電話ボックスがある。
多少の積雪はあっても利用できるようにと台上にあるが、もはや公衆電話自体使う人などいない。
トンネルを抜けると、儀明の棚田として少し名の通った景色の峠があり、そこからは十日町市への下り道となる。
今回の帰省では、ここに差し掛かる直前に居眠り運転から、片輪を藪に入れて雑草をなぎ倒したが、ザザザッという音で気付いて事なきを得た。
これは休まなければと、目的地は近かったがパーキングエリアで休み雨に煙る紅葉を撮った。