《秋の陽に咲き始めたシオン》
私には、ささやかな庭の自然が、常に心のやすらぎだ。秋も深まった庭をながめる。目にするすべてが新しい感動の出会いである。
燃えるようなサルビアにはいつもセスジツユムシが止まっている。ひだまりのシオンやシュウメイギクにイチモンジセセリが吸密する。今日は珍しくアカタテハが訪れている。ホトトギスが咲きはじめ、ムラサキシキブ、ナナカマドが色づき宝石のようだ。そして、めっきり動きの遅くなったジョロウグモが、深まりゆく秋にいとおしく感じられる。
何も言わない植物、昆虫だがそれぞれに精一杯の生命を送っている。こうした一つ一つの、見逃しそうな生き物との静かな対話と感動が、私の自然への畏敬の念を培ってくれたような気がする。
活発に舞う秋のキチョウに、山野を巡りチョウを求めた青春の遥かな日々がなつかしくよみがえってきた。
私には、ささやかな庭の自然が、常に心のやすらぎだ。秋も深まった庭をながめる。目にするすべてが新しい感動の出会いである。
燃えるようなサルビアにはいつもセスジツユムシが止まっている。ひだまりのシオンやシュウメイギクにイチモンジセセリが吸密する。今日は珍しくアカタテハが訪れている。ホトトギスが咲きはじめ、ムラサキシキブ、ナナカマドが色づき宝石のようだ。そして、めっきり動きの遅くなったジョロウグモが、深まりゆく秋にいとおしく感じられる。
何も言わない植物、昆虫だがそれぞれに精一杯の生命を送っている。こうした一つ一つの、見逃しそうな生き物との静かな対話と感動が、私の自然への畏敬の念を培ってくれたような気がする。
活発に舞う秋のキチョウに、山野を巡りチョウを求めた青春の遥かな日々がなつかしくよみがえってきた。