《初冬の鳥海》1998年 F20 (今井繁三郎作品集より)
「鶴岡への旅」をブログにアップ(10/9「文学作品ゆかりの地を訪ねる」(鶴岡への旅 その1))した折りに、久しぶりに今井繁三郎美術収蔵館のHPを見た。そこで、収蔵館が「次代につなぐやまがた景観賞」の最高賞に選ばれたこと、作品集が発刊されたことを知った。すぐにメールで受賞のお祝いを述べ、作品集の購入をお願いした。
早速送って頂いた作品集に添えられた、娘さんの「ごあいさつ」には、
「 ・・・ 死の直前まで常に将来を見つめ、未来のビジョンに向かって生きてきた人間でした。 ・・・ 今井が生涯を通して伝えたかった想いが少しでも伝わったとすれば・・・ 」とあった。
作品集で、あらためて先生の簡単ではない作品に触れ、その一枚一枚に添えられた先生の簡潔明瞭な一文に、信念の画家を垣間見た想いがした。生前、ちょっとしたご縁をいただいたが、もっといろいろ教えていたたきたかった。
今井先生の風景画は寡作であったと思う。私は風景画が好きで、いでは文化記念館で見た大きな月山?の絵や、確か美術館に1点だけ展示されていた羽黒山?の絵の記憶がある。
今回、先生の作品集で、青い麓に悠然と聳える鳥海山を描いた「初冬の鳥海」と、紫の麓に泰然と聳える月山を描いた「秀峰月山」を見ることができた。私もこれらの色合い、タッチを真似て「麗しの磐梯」を描いてみたいと思った。
今、8年前に出羽三山への旅に始まった、今井美術館に関わる数々のこころの旅路を振り返っている。
以下に昔のエッセイを掲げる。
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1.ユニークな今井美術館を初めて訪ねて
・・・・「一芸術家知り思わぬ「収穫」」
2.そこで見た詩を染め抜いた1枚の藍染めの布
・・・・「念願かなった總右を知る旅」
3.この詩の語るこころについて
・・・・「東北学を学びたい」
4.NHK 新日曜美術館で視聴 (拙ブログ2006.2/19を再掲載)
風土を背負って光る色▽色彩の画家・今井繁三郎▽
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1.「一芸術家知り思わぬ「収穫」」 (福島民友新聞 1998.9.30)
出羽国の羽黒山に参拝した帰り道、今井繁三郎美術館に立ち寄った。田や畑の間を縫いながらたどりついた柿畑の中に、鶴岡から移築されたという三百年も前の土蔵が見えた。背丈ほどの壺がいくつも並ぶ庭はヤマゴボウの黒紫の実が印象的な不思議な空間であった。
監視人などいない館内には大きな絵画が並び、壁には民族衣装やお面が架けられ、屋根瓦やドライフラワーが床に置かれていた。美術館の主は個展開催に上京していたが、これら世界各地の民芸品の数々は、彼の心動かされた宝なのであろう。
特に早春の月山の風景画に魅せられたが、小さなタンスに何気なくかけらた古ぼけた藍染の布の文字が心に残った。
「そこは新しい風の通り道 吹き抜ける風の中で ふるさとの雪はめざめる」
通りすがりに尊敬できる一芸術家を知り思わぬ収穫であった。そしてここに本当の美術館のあり様を見た思いがした。
2.「念願かなった總右を知る旅」 (山形新聞 2002.6.4)
数年前、山形県羽黒町の今井繁三郎美術館で一枚の古びた藍染めの布に出会った。
「そこは新しい風の通り道/吹き抜ける風の中で/ふるさとの雪はめざめる」
東北の冬からの爽やかな力強い宣言に感動を覚え、以来作者佐藤總右という人物とこの布について知りたいと思っていた。總右さんが山形市の詩人で、未亡人が駅前の小路で居酒屋を営んでおられると今井先生からお聞きした。雪の季節にと思いながらも、桜の季節に念願のお店を妻と訪ねた。旅の目的はこの詩に魅せられた自分がいることを知ってもらうことであったが、この詩を添えた磐梯山の布絵と、感激した思いを納めた拙著を土産にした。近くに宿を取り、夕刻お店を訪ねた。彼の書斎を改造した部屋で郷土料理をいただきながら、胸につかえていた總右さんのことを伺うことが出来た。翌朝、桜花爛漫の霞城公園にこの詩が刻まれた詩碑を訪ねた。読み上げると改めて素晴らしい感動が蘇った。
3.「東北学を学びたい」 (朝日新聞 2005.12.21)
最近、書店の郷土コーナーには地域を掘り起こす数多くの本が並んでいる。「会津学」や「会津の群像」など興味深い本を求めた。
「東北学」という科学を知ったのはいつのことだったろうか。地域や時間軸を変えて、東北地方の自然や人文、すべての科学を認識した地域学の目的は何なのだろうか。
数年前、山形県羽黒町の今井美術館を訪ねたことがあった。そこで出会った一枚の藍染めの布が、今も印象深く心に残っている。
そこにはローケツの白抜きの文字で
「そこは新しい風の通り道 吹き抜ける風の中で 故郷の雪は目ざめる」と書かれてあった。これは、東北地方の忘れてはならない心やこれからの時代の方向性を示しているように思えた。
私は、これから東北地方を隅々まで旅して、各地の風土を肌で感じ、我々を育て培った故郷の山河の恩恵に感謝しながら、歴史や文化、人間を見つめ、そこで学んだすべてを自分のものにしていきたいと考えている。
4.【2月19日(日) 9:00~10:00 NHK教育 新日曜美術館
風土を背負って光る色▽色彩の画家・今井繁三郎▽】
今朝、今井繁三郎の生涯を視聴した。私が初めて出逢った先生の絵は、いでは文化記念館の「霊峰月山」?ではなかったろうか。風景画が好きな私は、帰路立ち寄った今井美術館で風景画を探した。でも風景画は1つしか展示されていなかった記憶がある。8号くらいの羽黒山の絵だったと思う。
今回番組でいろいろな作品に触れた。ほとんど初めて見る作品だった。あらためて非凡な芸術家を知ることができた。
暖かくなったらもう一度美術館を訪ね、作品をじっくり鑑賞し亡き今井先生とお話がしてみたいと思っている。
-番組を視聴して-
○今井の心を静かに伝えていた。後半生ふるさと風土を切り取った画家の、雪国からのメッセージが伝わるすばらしい放送だった。
○「風見鶏」「稲田」「メリタの女」「北国」:色鮮やかな作品
「茜雲」「農村の子ども」:長崎という、異郷に身を置いて見えてくるふるさとを表現。
「慟哭」「飢餓」:人間が引き起こしたものに心を痛め、「この世に生を受けた者は幸せ に生きる権利がある」と言った。
「涅槃」「埋葬」:妻の死後の、生と死をテーマにした
○90歳から「聖少女」という作品を沢山書いた。最後の作品のタイトルは「夢を見るも のに終わりはない」だった。
「子どもの心に帰りたい」が彼の晩年の口癖だった。
○彼の心の底にあったものは ・ふるさと ・戦争 ・生と死など
○いろはかるたをつくる。て→「天地自然を描くのではなく、天地自然から学ぶのです」
○竹久夢二:「芸術はもういい。本当の人間にして、本当の人間の悲しみを知る芸術家が いてもいい」に共感。
○長崎に通い続け、長崎で40回の個展。
インタビュ-に答えて、「人々のプラスになる絵を描きたい」
○毎年、個展3回開いた(東京2回、長崎1回)。個展は自分が自由に表現が
できる。バラティーに富んだ作品を皆見て欲しかったのでは。
番組紹介欄から
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◇生涯、自分の世界を守り、純粋に美を追い求め続けた画家・今井繁三郎(1910~2002)を取り上げる。今井は20代の時、「人間の悲しみを知る画家が出てもいい」という竹久夢二の言葉に深く共感した。その後、交流の続いた画家・山口薫の影響、40年間、通い続けた長崎の色彩と文化、そして40代で初めて経験したヨーロッパの芸術から、今井は強烈な印象を受けた。こうしたさまざまな体験が今井の絵画世界をより豊かなものにしていった。老境に入った今井は心の赴くまま筆を執り続け、84歳の時に「埋葬」、88歳で「聖少女」、89歳の「殉教者」、90歳の「大衆ではない」など、次々に傑作を生み出す。画商との付き合いを拒み、個展を発表の場としていた今井は、広く知られぬまま一生を終えた。だが、最期までいい意味でのアマチュアリズムを持ち続け、夢を追う画家であった。東北の生んだ鬼才・今井の全容に迫る。後8時から再放送。 (NHK)
司会/はな 山根基世 その他/今井繁三郎
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「鶴岡への旅」をブログにアップ(10/9「文学作品ゆかりの地を訪ねる」(鶴岡への旅 その1))した折りに、久しぶりに今井繁三郎美術収蔵館のHPを見た。そこで、収蔵館が「次代につなぐやまがた景観賞」の最高賞に選ばれたこと、作品集が発刊されたことを知った。すぐにメールで受賞のお祝いを述べ、作品集の購入をお願いした。
早速送って頂いた作品集に添えられた、娘さんの「ごあいさつ」には、
「 ・・・ 死の直前まで常に将来を見つめ、未来のビジョンに向かって生きてきた人間でした。 ・・・ 今井が生涯を通して伝えたかった想いが少しでも伝わったとすれば・・・ 」とあった。
作品集で、あらためて先生の簡単ではない作品に触れ、その一枚一枚に添えられた先生の簡潔明瞭な一文に、信念の画家を垣間見た想いがした。生前、ちょっとしたご縁をいただいたが、もっといろいろ教えていたたきたかった。
今井先生の風景画は寡作であったと思う。私は風景画が好きで、いでは文化記念館で見た大きな月山?の絵や、確か美術館に1点だけ展示されていた羽黒山?の絵の記憶がある。
今回、先生の作品集で、青い麓に悠然と聳える鳥海山を描いた「初冬の鳥海」と、紫の麓に泰然と聳える月山を描いた「秀峰月山」を見ることができた。私もこれらの色合い、タッチを真似て「麗しの磐梯」を描いてみたいと思った。
今、8年前に出羽三山への旅に始まった、今井美術館に関わる数々のこころの旅路を振り返っている。
以下に昔のエッセイを掲げる。
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1.ユニークな今井美術館を初めて訪ねて
・・・・「一芸術家知り思わぬ「収穫」」
2.そこで見た詩を染め抜いた1枚の藍染めの布
・・・・「念願かなった總右を知る旅」
3.この詩の語るこころについて
・・・・「東北学を学びたい」
4.NHK 新日曜美術館で視聴 (拙ブログ2006.2/19を再掲載)
風土を背負って光る色▽色彩の画家・今井繁三郎▽
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1.「一芸術家知り思わぬ「収穫」」 (福島民友新聞 1998.9.30)
出羽国の羽黒山に参拝した帰り道、今井繁三郎美術館に立ち寄った。田や畑の間を縫いながらたどりついた柿畑の中に、鶴岡から移築されたという三百年も前の土蔵が見えた。背丈ほどの壺がいくつも並ぶ庭はヤマゴボウの黒紫の実が印象的な不思議な空間であった。
監視人などいない館内には大きな絵画が並び、壁には民族衣装やお面が架けられ、屋根瓦やドライフラワーが床に置かれていた。美術館の主は個展開催に上京していたが、これら世界各地の民芸品の数々は、彼の心動かされた宝なのであろう。
特に早春の月山の風景画に魅せられたが、小さなタンスに何気なくかけらた古ぼけた藍染の布の文字が心に残った。
「そこは新しい風の通り道 吹き抜ける風の中で ふるさとの雪はめざめる」
通りすがりに尊敬できる一芸術家を知り思わぬ収穫であった。そしてここに本当の美術館のあり様を見た思いがした。
2.「念願かなった總右を知る旅」 (山形新聞 2002.6.4)
数年前、山形県羽黒町の今井繁三郎美術館で一枚の古びた藍染めの布に出会った。
「そこは新しい風の通り道/吹き抜ける風の中で/ふるさとの雪はめざめる」
東北の冬からの爽やかな力強い宣言に感動を覚え、以来作者佐藤總右という人物とこの布について知りたいと思っていた。總右さんが山形市の詩人で、未亡人が駅前の小路で居酒屋を営んでおられると今井先生からお聞きした。雪の季節にと思いながらも、桜の季節に念願のお店を妻と訪ねた。旅の目的はこの詩に魅せられた自分がいることを知ってもらうことであったが、この詩を添えた磐梯山の布絵と、感激した思いを納めた拙著を土産にした。近くに宿を取り、夕刻お店を訪ねた。彼の書斎を改造した部屋で郷土料理をいただきながら、胸につかえていた總右さんのことを伺うことが出来た。翌朝、桜花爛漫の霞城公園にこの詩が刻まれた詩碑を訪ねた。読み上げると改めて素晴らしい感動が蘇った。
3.「東北学を学びたい」 (朝日新聞 2005.12.21)
最近、書店の郷土コーナーには地域を掘り起こす数多くの本が並んでいる。「会津学」や「会津の群像」など興味深い本を求めた。
「東北学」という科学を知ったのはいつのことだったろうか。地域や時間軸を変えて、東北地方の自然や人文、すべての科学を認識した地域学の目的は何なのだろうか。
数年前、山形県羽黒町の今井美術館を訪ねたことがあった。そこで出会った一枚の藍染めの布が、今も印象深く心に残っている。
そこにはローケツの白抜きの文字で
「そこは新しい風の通り道 吹き抜ける風の中で 故郷の雪は目ざめる」と書かれてあった。これは、東北地方の忘れてはならない心やこれからの時代の方向性を示しているように思えた。
私は、これから東北地方を隅々まで旅して、各地の風土を肌で感じ、我々を育て培った故郷の山河の恩恵に感謝しながら、歴史や文化、人間を見つめ、そこで学んだすべてを自分のものにしていきたいと考えている。
4.【2月19日(日) 9:00~10:00 NHK教育 新日曜美術館
風土を背負って光る色▽色彩の画家・今井繁三郎▽】
今朝、今井繁三郎の生涯を視聴した。私が初めて出逢った先生の絵は、いでは文化記念館の「霊峰月山」?ではなかったろうか。風景画が好きな私は、帰路立ち寄った今井美術館で風景画を探した。でも風景画は1つしか展示されていなかった記憶がある。8号くらいの羽黒山の絵だったと思う。
今回番組でいろいろな作品に触れた。ほとんど初めて見る作品だった。あらためて非凡な芸術家を知ることができた。
暖かくなったらもう一度美術館を訪ね、作品をじっくり鑑賞し亡き今井先生とお話がしてみたいと思っている。
-番組を視聴して-
○今井の心を静かに伝えていた。後半生ふるさと風土を切り取った画家の、雪国からのメッセージが伝わるすばらしい放送だった。
○「風見鶏」「稲田」「メリタの女」「北国」:色鮮やかな作品
「茜雲」「農村の子ども」:長崎という、異郷に身を置いて見えてくるふるさとを表現。
「慟哭」「飢餓」:人間が引き起こしたものに心を痛め、「この世に生を受けた者は幸せ に生きる権利がある」と言った。
「涅槃」「埋葬」:妻の死後の、生と死をテーマにした
○90歳から「聖少女」という作品を沢山書いた。最後の作品のタイトルは「夢を見るも のに終わりはない」だった。
「子どもの心に帰りたい」が彼の晩年の口癖だった。
○彼の心の底にあったものは ・ふるさと ・戦争 ・生と死など
○いろはかるたをつくる。て→「天地自然を描くのではなく、天地自然から学ぶのです」
○竹久夢二:「芸術はもういい。本当の人間にして、本当の人間の悲しみを知る芸術家が いてもいい」に共感。
○長崎に通い続け、長崎で40回の個展。
インタビュ-に答えて、「人々のプラスになる絵を描きたい」
○毎年、個展3回開いた(東京2回、長崎1回)。個展は自分が自由に表現が
できる。バラティーに富んだ作品を皆見て欲しかったのでは。
番組紹介欄から
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◇生涯、自分の世界を守り、純粋に美を追い求め続けた画家・今井繁三郎(1910~2002)を取り上げる。今井は20代の時、「人間の悲しみを知る画家が出てもいい」という竹久夢二の言葉に深く共感した。その後、交流の続いた画家・山口薫の影響、40年間、通い続けた長崎の色彩と文化、そして40代で初めて経験したヨーロッパの芸術から、今井は強烈な印象を受けた。こうしたさまざまな体験が今井の絵画世界をより豊かなものにしていった。老境に入った今井は心の赴くまま筆を執り続け、84歳の時に「埋葬」、88歳で「聖少女」、89歳の「殉教者」、90歳の「大衆ではない」など、次々に傑作を生み出す。画商との付き合いを拒み、個展を発表の場としていた今井は、広く知られぬまま一生を終えた。だが、最期までいい意味でのアマチュアリズムを持ち続け、夢を追う画家であった。東北の生んだ鬼才・今井の全容に迫る。後8時から再放送。 (NHK)
司会/はな 山根基世 その他/今井繁三郎
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