全国の高校で、学習指導要領に定められた必修科目を教えていなかったことが問題になっている。 これは、入試に必要な科目を優先させ、関係ない科目は学ばせないという、受験校での大学受験対策だった。弊害の多い受験体制社会で、学校自らが率先して効率優先の入試のための学習を進めていたのだ。
一見、今の受験社会では、ルールを守っている「正直者が馬鹿を見る」行為である。しかし、実は、馬鹿を見たのは必修科目を学べなかった生徒ではないか。受験のための学習を指導した高校の罪は大きく計り知れないと思う。
言うまでもなく、人として豊かに生き行くための学びであり、広くを学び、必要な教養としての必修が義務づけられているのだろう。
学ぶことから、それぞれの人生観、自然観など観が形成される。「何を学ぶか」から、「何のために学び」、「どう生きていくのか」と言った、より本質的な問いに立ち向かう教育が求められる。