今日4/13は母の誕生日、大正2年の生まれだったから、元気なら今年満94才になる。夜中に降った雨で、今朝は庭がしっとりと落ち着いている。これから暖かいサクラの季節を迎える朝、母が思い出された。もう一度話がしたいと思った。
2003年は嫌な年だった。この年の春、義母のお見舞いや看護の妻を送ったりで会津-松本間を月に3~4往復した。その甲斐なく義母は逝ってしまった。その直後に私が体調を崩し突然の入院、入院療養生活は4ヶ月に及んだ。秋に退院後、今度は長かった私の退院を見届けるようにして母が突然他界してしまった。
この年、私の人生観が大きく変わった。
母はいつもは人の気持ちばかりを考える、神様のように優しい人だった。生前は、毎年1、2度、兄の家を離れての郷里会津の私のもとで生活を楽しんでいた。今、その時々の思い出が浮かんでくる。
穏やかな春の朝に、母を思い、人生を思い、家族をそして身体を壊し穏やかに過ごしている自分を思った。なぜか込み上げるものがあった。
いつも心の中にいる父や母を思いながら、我が子に、孫に触れ合っている。
庭で真っ赤なツバキが次々に鮮やかに咲いている。 (2007.4.13)
2003年は嫌な年だった。この年の春、義母のお見舞いや看護の妻を送ったりで会津-松本間を月に3~4往復した。その甲斐なく義母は逝ってしまった。その直後に私が体調を崩し突然の入院、入院療養生活は4ヶ月に及んだ。秋に退院後、今度は長かった私の退院を見届けるようにして母が突然他界してしまった。
この年、私の人生観が大きく変わった。
母はいつもは人の気持ちばかりを考える、神様のように優しい人だった。生前は、毎年1、2度、兄の家を離れての郷里会津の私のもとで生活を楽しんでいた。今、その時々の思い出が浮かんでくる。
穏やかな春の朝に、母を思い、人生を思い、家族をそして身体を壊し穏やかに過ごしている自分を思った。なぜか込み上げるものがあった。
いつも心の中にいる父や母を思いながら、我が子に、孫に触れ合っている。
庭で真っ赤なツバキが次々に鮮やかに咲いている。 (2007.4.13)