物置にあった大量の書籍や資料を整理した。家の中の本棚に置けない資料のたぐいだ。
学生時代のものの多くは専門書や勉強の跡だが、何度かの引っ越しの度にも捨てることができずに、もう40年が経ってしまった。文学書や教養、生き方を求めた数々の本を複雑な気持ちで眺めた。どれだけ自己の糧になっただろうかは知らないが、1冊1冊を手にとってそれなりの時間を共有した書籍を懐かしく思った。当時から書き連ねた大学ノート30数冊に及ぶ日記帳も、捨てる決心がないままに眠っていた。手に取りページを開くと、走馬燈のごとくに青春の、壮年期の日々が浮かんできた。
また、34年間の教職で、その都度懸命に取り組んだ足跡が残る何十冊ものファイルも今は昔、退職して丸2年、今後残しておいてもと、一つの決断をした。これらの1つ1つの、その時々の考察、文章やメモ、データ、どれだけ時間をかけて、心込めて作ったものだったかを思うと気持ちは複雑だった。辛いこころの整理でもあった。
定年を数年後に控えたある日、突然の発病、闘病生活を経て命を救われて今ある。それから4年、いま穏やかな日々を過ごしている。でも、片隅にはいつもこれでいいのかと焦る気持ちもある。昨今、団塊の世代の大量退職で、これからの生き方がテーマとして取り上げられている。たしかに、もっとやらなければならないことはあると思う。でも、先立つのはいつも自分の体調だ。できることをするしかないのだろう。
静かに一人昔の資料を整理するこんな時、「生き方」が頭にもたげる。
足るを知りつつ、慎ましい生活を送れる現在ではあるが、精神的にはやはり物足りない。身体を壊し、なんとか当たり前の生活ができるいま、それ以上焦る必要はないではないかと言い聞かせはする。でもいつも趣味だけでは生きられない自分を見ている。
少し時間をかけて蔵書や資料を点検して、残すべきものを厳選してみたい。
(2007.4.23)