団塊オヤジの短編小説goo

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都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖

都月満夫の短編小説集2

「羆霧(くまぎり)」
「容姿端麗」
「加奈子」
「知らない女」

都月満夫の短編小説集

「キヨシの帰省」
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」

「十勝沿岸シシャモ漁始まる」について考える

2011-10-13 08:00:32 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

十勝沿岸に秋の訪れを告げるシシャモ漁が広尾、大樹で始まり、11日、待望の初水揚げがあった。各港の岸壁では漁業者が家族総出で選別作業を行い、浜はにわかに活気づいた。

大樹、広尾の両漁協では62隻が着漁し、10日に解禁。ただ、初日は海上がしけ模様で漁を見合わせていた。

全国有数のシシャモ水揚げ量を誇る広尾の十勝港では、11日午前4時半ごろに出漁した漁船が同11時前から続々と帰港。水揚げされた銀色に輝くシシャモを、岸壁で待ちわびていた家族らとともに手際よく選別していった。

漁期は40日間で、11月下旬まで続く。

十勝毎日新聞 - 2011/10/11

 Photo 鮭のように海と川を行き来する、回遊魚のシシャモ。

皆さんは「シシャモ」というと胆振の鵡川町の特産だと思っていませんか?

実は、十勝沿岸は「シシャモ」の漁場なのです。しかも、ここで獲れる「シシャモ」はとても美味しいのです。

広尾で獲れるシシャモは、襟裳沖合の群れであるといわれています。襟裳沖合は、暖流の黒潮(日本海流)と寒流である親潮(千島海流)とがぶつかり合い、シシャモのエサが豊富な海です。

そのため十勝沖の広尾のシシャモは、その場所で栄養を蓄えた脂の乗ったシシャモなのです。シシャモが川へ出発するまえに漁獲するため、まだ皮が柔らかくて肥えた身のシシャモが獲れるわけです。

シシャモを買うなら「十勝広尾産」がお勧めです。ぜひ、味わってください。

Photo_2 

「シシャモ」の語源は、アイヌのことばで、「シュシュハム」、ススまたはシュシュ(柳の木)、ハムは(葉)が訛って「ししゃも」になったと言われています。

アイヌ伝説によると、「孝行息子が親に魚を食べさせたい一心で川面を見つめていると、神様が柳の葉をハラハラと川に落としシシャモにした。」と伝えられています。

また「柳の葉の形に似ているから」とする説もある。

ちなみに、「シシャモ」は漢字で「柳葉魚」と書きます。

※「シシャモ」について詳しく知りたい方は、下記を参照ください。

「シシャモ」について考える 

したっけ。

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「北海道の七五三は10月に行う」―豆知識―

2011-10-12 09:57:30 | 歳時記

七五三の起源は室町時代といわれ、江戸時代の武家社会を中心に関東から全国へ広まったとされています。しかしどうして3歳、5歳、7歳という年齢を祝うようになったのでしょう。

<shapetype id="_x0000_t75" stroked="f" filled="f" path="m@4@5l@4@11@9@11@9@5xe" o:preferrelative="t" o:spt="75" coordsize="21600,21600"><stroke joinstyle="miter"></stroke><formulas><f eqn="if lineDrawn pixelLineWidth 0"></f><f eqn="sum @0 1 0"></f><f eqn="sum 0 0 @1"></f><f eqn="prod @2 1 2"></f><f eqn="prod @3 21600 pixelWidth"></f><f eqn="prod @3 21600 pixelHeight"></f><f eqn="sum @0 0 1"></f><f eqn="prod @6 1 2"></f><f eqn="prod @7 21600 pixelWidth"></f><f eqn="sum @8 21600 0"></f><f eqn="prod @7 21600 pixelHeight"></f><f eqn="sum @10 21600 0"></f></formulas><path o:connecttype="rect" gradientshapeok="t" o:extrusionok="f"></path><lock aspectratio="t" v:ext="edit"></lock></shapetype><shape id="_x0000_s1026" type="#_x0000_t75" o:allowoverlap="f" alt="千歳飴" style="Z-INDEX: 1; POSITION: absolute; TEXT-ALIGN: left; MARGIN-TOP: -226.25pt; WIDTH: 75pt; HEIGHT: 1in; MARGIN-LEFT: -85.05pt; LEFT: 0px; mso-wrap-distance-left: 0; mso-wrap-distance-right: 0; mso-position-vertical-relative: line"><imagedata o:title="sitigo" src="file:///C:DOCUME~1OwnerLOCALS~1Tempmsohtml11clip_image001.gif"></imagedata><wrap type="square"></wrap></shape>当時は乳幼児の死亡率が高く、生まれてから34年たってから現在の戸籍にあたる人別帳や氏子台帳に登録したそうです。

そのため、七五三のお祝いは今まで無事に成長したことへの感謝と幼児から少年・少女期への節目にこれからの将来と長寿を願う意味を持っていたのです。

ちなみに、女の子が3歳、男の子が5歳なのは身体的な成長が女の子の方が一般的に早いからだといわれています。

七五三のしきたりには、男女とも3歳で髪を伸ばし始める「髪置(かみおき)」、男の子は5歳で男の衣服である袴を着る「袴着(はかまぎ)の祝い」、女の子は7歳で帯を締める「帯祝い」などがあります。

現在でも残っているのは「延寿千歳飴」。飴のように寿命も延びてほしい、という意味が込められているのです。

北海道の11月は寒くなっていて子供が風邪を引く恐れがあります。これでは、健康に育って欲しいという親の願いに相反します。そこで、寒くなる前の1015日に行うのです。

※詳しい起源由来は下記を参照ください。

七五三のお祝いの起源について考える

    おまけ★

Photo 七五三縄(しめなわ)

普通は「注連縄」と書きます。今のしめ縄は、まん中の太くなった横紐に、3本の縄をぶら下げるのが一般的です。しかし、かつては、同じ太さの横紐に、3本、5本、7本の縄をぶら下げたそうです。そのため、「しめ縄」のことを「七五三縄」とも書くのです。

したっけ。





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「エゾリス」MY GARDEN 2011.10.11

2011-10-11 10:06:03 | 写真

20111009003  20111009001

20111009014

20111009019_2

エゾリス(蝦夷栗鼠) ゲッ歯目リス亜目 リス科

学名:Sciurus vulgaris orientis

分布:北海道・ヨーロッパ・ユーラシア中部の針葉樹林

体長:オス2025cmメス2027cm

体重オス300350gメス300350g

寿命510

雑食性/主食:木の実・種子

副食:果実・樹皮・キノコ・昆虫など

日本では北海道に生息し、主に木の上で生活をしている。シマリスとは違い、年間を通して冬眠をしない。夏と冬で毛が抜け変わり、耳に長い飾り毛が生える。冬は氷点下でも活動できるよう、密生した冬毛が生える。エゾリス自体はキタリスの亜種で北海道に生息し、キタリスよりもやや小型といわれている。繁殖は年12回で1度の出産で17匹の子供を産む。

昔は北海道では木鼠と呼ばれていました。調べてみると1940年代まではそう呼ばれていたようです。

20111009002 昨日はオンコの実を食べて、胡桃を拾って立ち去りました。ミンクは来る。エゾリスは来る。どんな山奥に住んでいるのかとお思いの方もいるかもしれませんが、市内には林や森が点在しエゾリスは結構頻繁に目撃されます。市内には「エゾリス注意」の交通標識があります。

したっけ。

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「ユキムシ」について考える

2011-10-10 10:43:01 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

昨日「ユキムシ」が飛んでいました。

「雪虫(ユキムシ)」は北海道民にとってはなじみの深い「虫」です。北海道民はこのユキムシの発生で、雪の降る季節を知ります。そして冬の季節の到来を改めて実感するのです。

昔は「雪虫」を見かけると「1週間以内に初雪が降る」といわれました。しかし、近年では期間が「2週間から1ヶ月程度に延びている」ようです。「雪虫」が発生する寒気と、初雪を降らせる寒気にずれが生じているのだそうです。

北海道民の生活にとって、この「雪虫」はそのロマンチックさが「冬の風物詩」として親しまれています。

「今日、雪虫見たべさ。」

「なんだか、さぶい(寒い)と思ったら、もう冬だべさ~」

こんな会話とともに、北海道は冬に突入します。

 さて、この「雪虫」、おなかのところに白い綿のような「ふわふわ」をつけ、ひとかたまりになって飛んでいる「虫」です。実はこれ、アブラムシの仲間です。タマワタムシ科に属するアブラムシはすべて「ユキムシ」と呼ばれます。

 中でも大きい一般的な種類は「トドノネオオワタムシ」と呼ばれます。大きな白い「ふわふわ」をつけて優雅に飛行しているようにも見えます。

そんな「虫」ですが、北海道民はワタムシともアブラムシともいいません。「雪虫」といいます。むしろ、ワタムシとかアブラムシだということを知りません。

20111009012

20111009014

【ユキムシ】(トドノネオオワタムシ)

【学名】 Prociphilus oriens

【分類】カメムシ目(hemiptera),アブラムシ科(Aphididae)

【分布】北海道~本州、シベリア

【大きさ】最大長さ4mm

 「雪虫」と呼ぶのは飛んでいるときだけです。トドマツの木からヤチダモの木に移動飛行する時、限定なのです。トドマツにいるのは6月から10月まで。根っこの液で生活します。そして幾世代も生まれるようですが、最後の世代のものが、「雪虫」となって、ヤチダモの木に移動します。卵からかえるとトドマツに移動~。そういうサイクルを繰り返しています。

 しかし、この「雪虫」、実はかわいそうな一面もあるのです。ヤチダモの木に移動している最中に、どこか別の場所に付着してしまうと、そこでその「雪虫」の生涯は終わりです。たとえば、車の窓ガラスに付着してしまってもそこでおしまいです。

 邪魔者扱いされてしまっているのも事実です。ユキムシ大量発生中に自転車で走行する場合は特に注意してください。服に付着します。普通に手で払うとつぶれます。また、鼻で大きく息をしないで下さい。口をあけながら運転しないで下さい。口の中に入ります。

 それほど大量に、渦を巻くように飛んでいます。飛んでいるというよりは、舞っているといったほうがいいかもしれません。それは、冬を告げる妖精のようです。

2011100901私の撮影した写真では、白くぼんやりと写っています。小さすぎてピントが合わないのです。肉眼では見えるのですが・・・。

 

※参照(ユキムシの写真)

北海道札幌の自然lより

したっけ。

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「お遍路さんの語源」について考える

2011-10-09 10:02:17 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

空海774-835)」、後の弘法大師は「お大師さま」の名称でも親しまれています。高野山を開創者で、広く密教の教えを多くの人々に導きました。密教の宗派の一つである「真言宗」の開祖で、遍路で行われる参拝作法は密教真言宗のものを基本としているそうです。

みっ‐きょう【密教】

大日如来を本尊とする深遠秘密の教え。加持(かじ)・祈祷(きとう)を重んじる。78世紀ごろインドで起こり、唐代に中国に伝わり、日本には平安初期に空海・最澄によって伝えられ、貴族などに広く信仰された。空海の真言宗系を東密、最澄の天台宗系を台密とよぶ。

大辞泉

様々な巡礼があるなかで、四国での巡礼だけが「遍路」と呼ばれるのは何故なのでしょう。そこには四国の海岸で行われていた、修行の歴史が関係しているようなのです。

最初に四国を修行する人々の様子が書かれているのは「今昔物語集(推定1140年前後)」で平安時代に入ってのこと。しかし、この中では、修行者が厳しい海岸の路を歩き修行する姿が記されているだけだそうです。

彼らが何を求めて修行していたかは明記されていませんが、中で修行者たちが伊豫、讃岐、阿波、土佐と四国の海岸を選んで修行していることから、当時、海の彼方にあると信じられていた神道上の世界根の国」へ渡ることを願った修行の一環ではないかと考えられています。

そして、この中で注目すべきことが、修行が行われていた「海岸沿いの道や土地」のことを「辺地(へち)」と称しているという点だそうです。

Photo_2 やがて、この修行に変化が訪れます。当時、広まりつつあった仏教の流入によって、仏教の中で海の彼方にあるとされていた「補陀落浄土(ふだらくじょうど)」、つまり「観音菩薩が住まわれる浄土」とが「根の国」と重なり。仏教の拡大と共に、「根の国」信仰と「補陀落浄土」信仰は混同していったのではないかと考えられています。神道と仏教が融合されてしまったのです。

 「梁塵秘抄(りょうじんひしょう:1169年)」の中でも海岸沿いを修行する人々が書かれていますが、室戸岬を「金剛浄土(こんごうじょうど)」の入り口と称していることから、このころまでには仏道による修行が根づいていたのではないかと考えられるそうです。また、この記載の中では、「海岸沿いの道や土地」のことを「辺路(へじ)」と称しているそうです。

その後、補陀落浄土に至るための修行は、大師信仰が四国に広まるにつれ、お大師さまを思い四国を巡る現在のような遍路に変わってゆくこととなります。その際、当初、海辺の道や土地を表す言葉「辺地」・「辺路」は、「偏禮」・「邊路」と変わりその後「遍路」と変化していきました。また、その読みも中世以降、「へち」・「へじ」から「へんろ」と変化していきます。

この変化についてはその理由を明確に示すものはないそうです。ただ、この「辺」という言葉が「端」や「外」と示すことから、験(げん)が良くないため「邊」や「遍」などが当てられ、転訛していったのではないかという説もあります。

 現代では「遍路」の一語で「四国での巡礼すること」を指す言葉として使われていますが、この原形は昔から四国にあった、海辺を修行する「土地やその道」を指す「辺地」・「辺路」が語源ではないかと考えられています。

 「辺地(へち)」・「辺路(へじ)」→「偏禮(へんれい)」・「邊路(へんろ)」→「遍路(へんろ)」

 大師は讃岐の国(香川県)の出身で、青年期には、四国の山中海岸、太龍岳、室戸岬、石鎚山などで山道修行を行うことで虚空蔵求聞持法の智恵を得たとされ、このことが四国遍路の基礎の一つとなっています。大師24歳の時に著された「三教指帰」の中に「飛焔(焼山寺)を山水(さんすい)に望み、阿波国の太龍の岳にのぼり攀(よ)じ、土佐洲の室戸岬に勤念す。谷響きを惜しまず、明星来影す」と残した大師の若い日の足跡を、古来より大勢の修行者が巡っています。

「同行二人」という言葉があります。四国には今でもお大師さまがお遍路さんと一緒に巡っているとされています。

Photo

したっけ。

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「ぶどう狩り」MY GARDEN 2011.10.08

2011-10-08 16:50:59 | 写真

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今年もたくさんブドウがなりました。品種はわかりませんが、美味しいです。完熟していますから甘味が違います。

したっけ。

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「天津甘栗」について考える

2011-10-08 10:28:59 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

秋の味覚といえば、栗を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。さらに、栗といえば「天津甘栗」です。

Photo_2 しかし、「天津甘栗」というネーミングはあまり適切ではないのです。それをは「天津甘栗」は天津産ではないということです。

「天津」は中国の河北省東部の下流域の河港都市の名称です。中国読みでは「天津(テンシン)」ではなく、「天津(ティエンチン)」だそうです。

製鉄や紡績、工業が発展しており、水系の合流点でもあることから貿易の要所として栄えた地域だそうです。

天津甘栗はその名からいかにも天津で収穫された栗だと思われがちですが、実の産地は万里の長城の近くや河北省にある燕山山脈付近で収穫されたものが、特に美味とされています。

つまり、「天津甘栗」の名は栗が出荷される「天津港」からきていたのです。

この栗は中国大陸原産の「支那栗(シナグリ)」と呼ばれる品種だそうです。日本では主に甘栗(天津甘栗)の名前で知られています。中国では「板栗(バンリー)」と称される種に当たるそうです。「日本栗(ニホングリ)」のように渋皮がタンニンによって食用部分に密着しないので、煎ったものを手や器具で剥いて食べるのが容易なのです。

Photo_3 中国産の栗の渋皮がむきやすいというよりは、日本産の栗が世界的に見てもむきにくい特異品種といった方が正しいそうです。

ちなみに「支那(シナ)」の名称は、「」に由来します。中国読みは「チン」だそうです。英語の「China(チャイナ)」も同じです。

戦国時代の武将にとって、栗は単なる食糧ではありませんでした。鬼皮と渋皮をむいた「搗栗(かちぐり)」が「勝ち」に通じるとされ、勝利祈願に食べられていたのです。

ここに端を発して今に姿を残すのが、おせち料理の「栗きんとん」なのです。

なお、古典的な「搗栗(かちぐり)」に関しては、『和漢三才図会』に以下のように作り方の記述があるそうです。

「老(ひ)ねた栗を殻つきのまま晒乾し、やや皺(しぼ)んだとき、臼で搗いて殻やしぶ皮を取り去ると、肉は黄白色、堅くて味は甜(あま)くて美(よ)い。また、熱湯に浸したり、火灰に埋めて柔らかくなってから食べるのも佳(よ)い。あるいは食べるとき、1,2顆を掌の内に握り、やや温めると柔らかく、乾果の珍物となる。これを嘉祝の果とするが、それは勝軍利(かちぐり)という言葉が縁起がよいからで、武家では特に尊重する。」

Photo

したっけ。

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「四億円!!!」について考える

2011-10-07 09:38:31 | ニュース

資金管理団体「陸山会」の土地取引をめぐり、収支報告書に虚偽記載をしたとして、政治資金規正法違反罪に問われた民主党元代表小沢一郎被告(69)の初公判が6日、東京地裁(大善文男裁判長)で開かれた。小沢被告は罪状認否で「(検察官役の)指定弁護士が述べたような事実はありません」とし、虚偽記載を全面否認した。国民から選ばれた検察審査会が強制起訴を決めた事件で初めて開かれる裁判は、全面対決の構図となった。(時事通信)2011.10.06

 Photo 収支報告書に虚偽記載されたといわれる金額は「四億円」です。「四億円」といえば、庶民にとっては、気が遠くなるような金額です。

 その「四億円」の出所が、ころころ変わり、元秘書三人は有罪判決が下されました。その「四億円」を「虚偽記載」であれば「修正」すれば済むことで、起訴は個人攻撃だとは、なんと言う金銭感覚!

 「四億円」を秘書が勝手に使えるものなのか?間違いだったで済むものなのか?

一般常識ではとても考えられない。

 通常の会社で社長に報告または承認印なしで「四億円」を社員が勝手に使えるものかどうか考えたら、どれだけとんでもないかは一目瞭然!

 こういう金銭感覚のお歴々が日本の政治を司っていては、庶民の生活が改善されないのも当然と納得するほかない。

 やましい金ではないと、口を「への字」に曲げて仰るなら、堂々と国民の前で出所を言えばいいではないかとは、貧乏人の言うことなのか?

 「四億円」に出所を聞いた記者に、「君は三権分立って事をしっとるのか!今裁判中なのにしゃべれますか?もっと勉強しなさい!」

 とは、何たる言い草。三権分立だからこそ、国会で証言しても司法に影響することはないのですよ。勘違いもはなはだしい。聞いた記者も引っ込むようでは情けない。

 あなた方は国民の代表として上にいるのではなく、国民の代理人として同列にいることを忘れているのではないのか?

 「四億円」があまりにも軽々しいのに腹立ちを覚えたのは、私だけだろうか・・・。

したっけ。

Photo_2

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「鰰の語源」について考える

2011-10-06 08:44:26 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

十勝沖でハタハタ漁が始まりました。「鰰(ハタハタ)」は煮ても焼いても美味しい。私は味噌煮が特に好きです。

Photo_2 「ハタハタ」の語源は雷の鳴る音を表した擬音語で、現在の「ゴロゴロ」のようなものだそうです。

「ハタハタ」の名前の由来・語源には、諸説ありますが、魚へんに神と書いて「鰰」(はたはた・ハタハタ)と読みます。これは雷神(らいじん)の古名とされる「霹靂神(はたたかみ又ははたかみ)」に由来していると言われています。

また、魚辺に雷と書いて「鱩(ハタハタ」を表すこともあるそうです。

その昔、冬の厳しい日本海沿岸の貧しい漁村の人々にとって、冬の季節の訪れに轟く雷(神鳴り)と共に突然海岸にうちよせる獲りきれないほどの「ハタハタ」の大群は、雷神様がつかわした魚と信じられ「霹靂神がつかわしたありがたい魚」として鰰(はたはた)と呼ばれるようになったと言われています。

Photo_3 また、時化(しけ)の 時によく獲れるので「波多波多」であるとも言われています。

冬の雷は日本海特有のもので、日本海の熱と冷たい季節風による大気の乱れで発生し、雪も降り始める。夏の雷との大きな違いは、雷雲が低いことだといわれます。

風雪をともなった雷が鳴り響き、海が荒れて海水温が下がると、ハタハタは接岸してくる。ハタハタは「霹靂神(はたはたがみ)」の使者なのです。

どんな魚でも同じだが、早い時期に水揚げすれば値段も高いため、海がまだかなり荒れているなか出漁して、亡くなった人も多い。

ハタハタ卵を秋田地方では「ブリコ」と呼ぶそうです。

秋田音頭にも登場する「ハタハタ」は、秋田県の食文化を語る上で重要な食材で、江戸時代以前から県人の食卓になじみの深い魚でした。

戦国時代に秋田を治めていた秋田氏は、はたはたを年貢の対象としていたと言う記録も存在します。海が荒れる時期(11月下旬から12月中旬)にもかかわらず、ハタハタ漁は江戸時代以前よりすでに行なわれ、慶長年間(1596年~1615年)には文献にもその名が登場し、献上品としても200年間に渡って秋田の特産品を代表してきた食材です。

十勝沖の「鰰(ハタハタ)」も美味しいですよ。

Photo

したっけ。

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「馬の目と他の動物の目の位置に関する話」―豆知識―

2011-10-05 10:50:25 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

草食動物は、全般的に肉食動物の攻撃から身を守るために、草原で視野の広い目を持っています。前ではなく、左右に目がついているのはそのためなのです。

Photo_7 その草食動物の中でも特に目が大きいのが馬だといわれています。馬の目は陸上の哺乳類の中で最大だそうです。真正面から見ると、馬はかなり愛嬌のある顔をしています。ただしなんとなく間が抜けている感は否めなません。「馬面(うまづら)」などという言葉もうまれました。

 Photo_8 正面から見た顔の間が抜けて見える理由の一つに、目の位置が挙げられます。両目の間隔は相当ひらいており、ほとんど頭部の真横に目がついているといってもよいほどです。ただし両目がこのような位置にあることは、彼らが野生で生き抜くためには重要な要素だったのです。

これはなぜでしょう。馬は草食動物の中でも体が大きな部類に入るものの、気が弱いため、肉食動物の餌食になっていたからです。

進化の過程において、その肉食動物から身を守るために、目が大きくなり、そして逃げるための俊足を手にいれたのです。

Photo_9 他の馬よりも早く逃げることは最大の防御法だったのです。この性質をうまく利用しているのが競馬です。彼らに競争している意識はありません。ただ、他の馬より速く走るのは本能なのです。

馬の瞳孔(どうこう)は横長に開いているそうです。その瞳孔の形状と眼球の位置により、馬はパノラマ的に世界を見ることができるのです。彼らの視野は350にもおよぶのです。真後ろ意外は見えていることになります。この結果、馬は背後から忍び足で近づいてくる敵をいち早く察知し、逃げ延びることが出来たのです。

 ただし欠点もあります。馬は視野の5分の4以上を片方の目だけで見ています。その部分では視覚による距離の判別ができないのです。

 

これに対してネコ科などの肉食獣の両目は正面を向いています。彼らの視野は 180度、ほぼ全域を両目視できるのです。動く獲物を捕らえて生きている彼らにとって、視覚による距離の把握は死活問題なのです。

 両目の位置がこのように生態によって異なっているのは、なにもほ乳動物ばかりではありません。

Photo_10 たとえば鳥類。小動物を捕食して生きているフクロウなどの猛禽(もうきん)類の両眼は正面を向いている場合が多いのです。

 またハトやニワトリなど、捕食される危険の大きい鳥類の目は頭部の側面に位置しています。

 目の位置で、自然界の強弱がある程度把握できることになります。地球上最強の動物、「人間」の両目も正面を向いています。

 これは余談になりますが、馬の鼻息が荒いのは、馬は口で呼吸が出来ないのです。ですから、運動の後は鼻の穴をいっぱいに広げて呼吸をしているのです。

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したっけ。

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倉内佐知子

「涅槃歌 朗読する島 今、野生の心臓に 他16篇(22世紀アート) 倉内 佐知子 22世紀アート」

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