透明タペストリー

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「みずうみ」川端康成

2010-11-07 | A 読書日記



■ 今日は立冬。『みずうみ』川端康成/新潮文庫を読んで過ごす。七十近い老人の有田。有田は水木宮子という若い女のところに通ってくる。有田の家には家政婦という名目の美人がいる。名前は梅子。

作品の表層の奥にあるものは何か。川端康成がこの小説で描こうとしたものは何か。

川端康成はあっさりと種明かしをする。**老人が宮子にも梅子にも渇望しているのは母性だということは、第一に明らかだった。有田の生みの母は二つの時に離縁されて、まま母が来た。**

**七十近い老人はこの若い二人に手枕されて、首を抱いてもらって、乳を含むと、お母さんという気持ちになるこの世の恐怖を忘れさせてくれるものは、老人にとっても母のほかにはない。**

川端康成は数え年二歳のときに父を失い、三歳のとき母と死別した。数え年八歳のときに祖母が死に、以後十年、祖父との二人暮らしであった(*1)。

川端康成の作品では「母」を若くて美しい女性に求める男が描かれる。『千羽鶴』の菊治も女性に求めたのもやはり「母」のやすらぎ、救いではなかったか。『山の音』の信吾も息子の嫁に「母」を求めていたのかもしれない。『雪国』も『伊豆の踊子』もこのモチーフ。

川端康成が生涯求め続けたのは「母」と「美」だった・・・。

メモ)
*1 『日も月も』川端康成/角川文庫の解説による。
    今夜(7日)の「龍馬伝」で描かれたのは龍馬の姉の乙女からお龍への「母」の委譲だった。

 


「千羽鶴」川端康成

2010-11-07 | A 読書日記



 川端康成の小説は中高生の頃に読んだという人が多いと思うが、そのときこの作家のエロティックな世界を理解できていたのだろうか・・・。『雪国』←過去ログ

先日約40年ぶりに再読した『山の音』。主人公の信吾はある朝、突然ネクタイが結べなくなってしまう。40年間毎日結んできたのに。息子の嫁の菊子が見かねて胸に近づいて、結ぼうとするが結べない・・・。

そのとき、**信吾はまかせたつもりになっていると、幼い子がさびしい時にあまえるような気持ちがほのめいた。菊子の髪の匂いがただよった。** 例えばこの何気ない描写にもエロティックな雰囲気が漂っている。

ここで信吾が菊子の肩に手をかければ・・・。菊子も義理の父親に恋慕の情を抱いているのに、理性的に振舞うふたりの間には何も「起こらない」。

『千羽鶴』も40年ぶりの再読。**女がこんなにしなやかな受身であって、ついて来ながら誘ってゆく受身であって、温かい匂いにむせぶような受身であるとは、菊治はこれまで知らなかった。**

菊治が関係をもった女、太田夫人は亡くなった父親の愛人だった。年は45歳前後、菊治より20歳近く上。

**菊治はつっと立つと、呪縛で動けない人を助け起こすように、文子の肩をつかんだ。文子の抵抗はなかった。** 菊治は太田夫人の娘の文子とも関係する。

このように『千羽鶴』の男と女の間には「起こる」。意図的にこんな場面だけを引用すると、男と女のどろどろした世界を描いた通俗的な小説のような印象になるが。

菊治の父親にはもうひとり栗本ちか子という愛人がいた。菊治はちか子の企画した茶会で稲村ゆき子というやがて結婚することになる女性と出会う。ただし、菊治とゆき子の新婚生活が描かれるのは続篇の「波千鳥」で、40年前に読んだ文庫本には収録されていない。

**「僕はね、不具じゃないよ。不具じゃない。しかしね、僕の汚辱と背徳の記憶、そいつが、まだ、僕をゆるさない」** 熱海に新婚旅行にでかけた菊治とゆき子だったが、菊治はできなかった・・・。

太田夫人と栗本ちか子、ひとりの男に対するふたりの女の情念と執念が息子にまで及ぶ・・・。太田夫人は茶室で菊治と関係した夜、自殺してしまう。が、彼女の情念が娘に引き継がれたかのように、文子も菊治と深くかかわっていく。

栗本ちか子はある事情で結婚せず、子どもがいない。で、ゆき子を菊治に差し向けて太田夫人に対抗したなどと解釈してみる。菊治はゆき子と結婚したのだから、女のバトルはちか子の勝ち、と思いきや、菊治はゆき子には性的に不能・・・。

文子は菊治に宛てた長い手紙を旅先で何通も書いて♪私は 私は あたなから 旅立ちます と宣言するのだが・・・。

川端作品の再読、次は『みずうみ』。この作品も40年ぶり。