透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

洗馬の石神石仏

2013-10-12 | B 石神・石仏


塩尻市洗馬 撮影日131012

 石神石仏をまとめて祀ってある。その数10基。元々あった場所から何らかの理由で移したのかもしれない。

今回は左から2番目の庚申塔と右から3番目の不動尊明王を載せる(以前中央の双体道祖神を載せた)。

まず庚申碑から

大きさを測り、石質も調べるべきだろうが、省略した。毎回同じことを書いているが、勢いのある文字だ。古い庚申塔にはくずした文字(草書)が多いように思う。左側面に建立した年月が安政七年二月彫り込んであった(写真)。西暦で1860年は江戸時代最後の庚申の年。この年の3月には万延に年号を改めている。庚申の年には早々と年号を改めたと以前何かで読んだような気がする。

  


次は不動尊明王と彫り込まれた文字碑

  

不動明王は密教の尊像である大日如来の化身。右側面に寛政十二庚申年八月とある。西暦1800年で確かに庚申の年。文字はあまり達筆ではないと思うが、素朴な味がある。

不動明王は庚申の主尊の青面金剛と同じように憤怒の相で似ている。両者何か関係があるのかもしれないが、今のところ全く分からない・・・。


 


439 塩尻市洗馬の火の見櫓

2013-10-12 | A 火の見櫓っておもしろい

 
439 塩尻市洗馬 撮影日131012

 ただ単に火の見櫓を写すだけでなく、どんなところに立っているのか分かるように周辺の様子も写しこむ。火の見櫓観察のポイントに「周辺の様子・環境」がある。



櫓のてっぺんの横架材に木の腕木を取り付けて半鐘と木槌を吊るし、簡単な切妻屋根を掛けている。残念なことに屋根葺き材の鋼板が下の写真の通り、脚元に落ちていた。木製の屋根下地材は腐っていて、なんとも寂しい姿をさらしている。きちんと修理してあれば感激しただろうに・・・。



3本の各脚に小さな独立基礎があった。

この辺りを訪れたのは初めて。


 


「仏像の顔」

2013-10-12 | A 読書日記


『仏像の顔』 清水眞澄/岩波新書

 **阿弥陀如来像を見てみましょう。頭部が大きく、比較的面巾が広い角ばった顔で、両眼の間、眉と眼の間を広くとっているのと、頬の丸みによって一見して童顔に見えます。伏目がちの眼はよく見ると二重ですが、眼元をはっきりさせるほどの効果は発揮していません。鼻梁は細く、口角を上げた薄い唇は飛鳥時代の「仰月形」の唇に近いといえる一方で、薄手の納衣を通して見える柔らかな肉体やなだらかな衣文の表現は、すでに飛鳥時代を離れて新たな時代の感性が感じられます。**(65、66頁) これは法隆寺伝橘夫人念持仏阿弥陀如来像の顔の観察文。

本書ではこのように各時代(飛鳥、白鳳、天平、平安前期、平安後期、鎌倉)の代表的な仏像を詳細に観察し、それぞれの時代の顔の特徴を論じてる。

本書によって白鳳時代以降のほとんどの仏像に見られる「蒙古襞(もうこひだ)」と呼ばれる目頭の上瞼が下瞼にかぶさっている特徴のことや、「杏仁形(きょうにんけい)」と呼ばれる眼の形、「仰月形(ぎょうげつけい)」と呼ばれる上弦の月を意味する唇の形、上のイラストの額の丸い部分で仏像を象徴するとされる印、「白毫相(びゃくごうそう)」などのことを知った。

これらは仏像観察に欠かせない基礎的な知識なのかもしれない。11月の京都・奈良での仏像観察の際に有用であろう。サピア=ウォーフの仮設などに依らずとも、ものごとを理解するということは言語化することであるから、理解の程度が言葉(知識)の多少に左右されることが分かる。

**非常に個性的で強さが前面に出ている像が多いように思われます。国家の威厳を求めた天平の世から、一律の価値観がゆらぐ平安の世へと、時代が大きく転換したことを示していると感じさせます。**(117頁)

本書では平安時代初期の仏像の顔についてこのように論じている。仏像の顔の表情にはその時代の社会情勢や価値観が反映されているということだ。

内容が深すぎず、浅すぎず、一般社会人の教養書にふさわしい。好著。