■ **次の日はF氏も加わって朝から法隆寺へ出かけた。いい天気なので気持ちも晴れ晴れとしていた。法隆寺の停車場から村の方へ行く半里ばかりの野道などは、はるかに見えているあの五重塔がだんだん近くなるにつれて、何となく胸の踊り出すような、刻々と幸福あの高まって行くような、愉快な心持ちであった。**(225頁)
和辻哲郎が友人とともに奈良の古寺を巡り歩いたのは大正7年(1918年)のことだった。今でも遠くから法隆寺の五重塔をみることができるだろう。私にこのような追体験ができるだろうか・・・。
法隆寺の印象について和辻が知人に宛てた手紙に次のように書いている箇所がある。
**そうしてあの古い建物の、半ばははげてしまった古い朱の色が、そういう響きのようなものに感じられるのかとも考えてみました。しかしあとで熟考してみると、そのサアァッという透明な響きのようなものの記憶表象には、必ずあの建物の古びた朱の色と無数の櫺子(れんじ)との記憶表象が、非常に鮮明な姿で固く結びついているのです。金堂のまわりにも塔のまわりにもまた歩廊全体にも、古び黒ずんだ菱角(りょうかく)の櫺子は、整然とした平行直線の姿で、無数に並列しています。**(226頁)
そう、ここは櫺子の繰り返しに関する描写。
続けて和辻は**歩廊の櫺子窓からは、外の光や樹木の緑が、透かして見えています。この櫺子の並列した線と、全体の古びた朱の色とが、特に、そのサアァッという響きのようなものに関係しているのです。二度目に行った時には、この神々しい直線の並列をながめまわして、自分にショックを与えた美の真相を、十分味わおうとすることができました。**(226頁)と書く。
これって「繰り返しの美学」ではないのか・・・。いや、早計か?
和辻は続ける。**しかしその美しさは、櫺子だけが独立して持っているわけではありません。実をいうと櫺子はただ付属物に過ぎぬのです。**(226頁)
**あの金堂の屋根の美しい勾配、上層と下層との巧妙な釣り合い、軒まわりの大胆な力の調和。五重塔の各層を勾配と釣り合いとでただ一本の線にまとめ上げた微妙な諧調。そこに主としてわれわれに迫る力があるに相違ないでしょう。ところがその粛然とした全体の感じが奇妙にあの櫺子窓によって強調せられることになるのです。(226、8頁)**
櫺子窓に因って金堂と五重塔の姿の魅力が強調されるという指摘。
11月16日、じっくり時間をかけて法隆寺の姿を鑑賞しよう。