透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

郷学の恩師の貴き訓え

2013-10-16 | A あれこれ

■ 葉室麟の時代小説には必ず印象に残る言葉がいくつもある。この小説にも例えば次のような台詞がある。

**「わたしは、幼いころから母と別れ別れに暮らしてきました。それが、先日ようやく会うことができたのです。その時、思いました。一緒に暮らせなくても、わたしのことを大切に思ってくれるひとがいる。だから、自分を嫌ってはいけないのだ。それは自分を大切に思うひとの心を大事にしないことになるから、と」**(288頁) とても素直な気持ちでこのような台詞に頷くことができるのはこの作家の力量であろう。

郷学(学問所)の師・梶与五郎が隣の藩で何者かに殺害された・・・。恩師の死の真相を知るために、名誉回復のために命をかけるかつての教え子の藩士・筒井恭平。

『柚子の花咲く』 朝日時代小説文庫はよく練られたミステリー小説であり、泣かせる恋愛小説でもある。

**「父上、母上。わたしは、このたびのお役目を無事果たせましたら、嫁をもらいますのでご承知おきください」
(中略)
「嫁にいたす女の身分は百姓です。いったん嫁いで離縁しましたゆえ、世間で言う出戻りです。しかし、わたしは嫁にいたします」
恭平はきっぱりと言ったうえで、念を押すように、
「よろしゅうございますな」
と声を張り上げた。汗と土埃に汚れ、真っ黒になった息子がゆるぎなく言う言葉に四郎兵衛とかねは気圧された。
四郎兵衛は思わず、
「よかろう」
と言ってしまった。恭平はにこりと笑うと踵を返して、玄関から出ていった。その背に向かって、かねが声をかけた。
一度決めたことは、しっかり果たしなされ」**(332、333頁)

終盤のこの場面。母親のかねが息子にかけたこの言葉に涙が浮かんだ。なんだか一年前に亡くなった自分の母親の言葉のように感じて・・・。

緊迫のラスト、そして大団円。そして小説のタイトル「柚子の花咲く」がすくっと眼の前に立ちあがる・・・。