透明タペストリー

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伽藍配置

2013-10-28 | A あれこれ


伽藍配置に見る日本人の美意識

今回は過去ログの再掲


飛鳥寺の伽藍配置(上)と法隆寺西院の伽藍配置(下) 「日本名建築写真選集4 法隆寺」新潮社より

 日本最古の本格寺院といわれる飛鳥寺。蘇我馬子の発願で建立が始まり、596年に落成したとされている。塔を中心に据え、三つの金堂が塔を囲む伽藍配置。

塔の中心を貫く心柱、その礎石に仏舎利を納めるというのが塔本来の姿。つまり心柱はブッダの遺骨を納める墓であって、塔はその心柱を保護する鞘堂だ、と文献は説く。この塔本来の意味からして飛鳥寺の配置は当然、と理解できる。



ところが法隆寺西院の伽藍配置では塔と金堂が横に並ぶ。西院伽藍は聖徳太子が建立した斑鳩寺の焼失(670年)後、敷地を少し西に移して造営された(という説が主流)。その後の寺院計画で塔は伽藍の隅へ、そして外に配置されたりするようにもなる。


東寺の伽藍配置 パンフレットの案内図の一部(白黒に処理した) 五重塔は伽藍の軸線から外れて隅へ(右下)。

『空海 塔のコスモロジー』春秋社で著者の武澤秀一氏はこの変化を塔の地位の低落の過程と捉えている。**塔は伽藍中枢から遠ざけられ、寺地の隅に追いやられる運命をたどった。伽藍において塔の地位は下落の一途をたどり、〝広告塔〟としての役割をになうようになった。**(63頁)

塔の地位の低下が塔が伽藍の中心から外れていった理由。明快な解釈だ。でも・・・。

理路・理屈が事の後から付けられることはよくある。建築のデザインがあたかも基本理念・コンセプトから導き出されたかのような文章を建築家は自作の説明によく書く。川の流れのような建築デザインのプロセス。でも実際は初めにイメージしたデザインに後から理屈をつける、河口から源流に向かって川をさかのぼるというプロセスではないのか。

寺院の伽藍配置における塔の位置の変化。塔が中心にあると伽藍全体の「バランス」が良くない、美しくない・・・。左右対称でかつ強い中心性を示す配置は日本人の美意識に合わなかった。浮かんできたのは非対称、塔を中心線から外した伽藍配置。そのイメージに合わせて塔の位置を変えた・・・。

平らな場所に造営された宮処、その中央に計画された寺院。この位置も日本人の心性に合わなかった。だから次第に宮処の端へ、さらに山の中へと移していった・・・。室生寺はこの一例。金堂と五重塔の位置関係、伽藍配置に幾何学的な秩序は全く見えない。


室生寺の伽藍配置 「日本名建築写真選集1 室生寺」新潮社より 

大陸から伝わった左右対称、強い中心性。この強く秩序づけられた伽藍配置は作為を隠して自然に見せるという日本人の美意識にも、中央よりも端を好むという日本人の心性にも合わなかった・・・。

寺院立地と塔の位置の変化、これを日本人の美意識、心性に次第に合わせていった過程と私は見る。


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