■ 安曇野市は三郷温にある住吉神社を訪ねた。狛犬に魅せられることがなければ訪れる機会があったかどうか・・・。この神社には明治、大正、昭和と各時代の狛犬がいるという情報を前から得ていた。
鳥居の前から参道を見る。拝殿までの距離が長いのかそうでもないのか分からない・・・。まあ、このくらいは長くもないのかな。
鳥居のすぐ先にこの狛犬がいた。向かって右側の阿形の獅子、「ほら飴玉なめてるよ」とでも言いたげに口を開けている。頭の上は宝珠と見るべきか。体はつるりんちょ。獅子だといわれてもピントこない姿。
後姿はこんな感じ。太くて短いしっぽがあってその下には幾何学的な渦模様が彫り込まれている。台座側面の図にも意味があるのだろうが、分からない・・・。
股間情報によってオスと判断した。これを裏付けるように『日本全国獅子狛犬ものがたり』には**陰陽思想では阿吽の「阿」は「陽」で、「吽」は「陰」であることから、阿形の方が陽で「オス」、吽形の方が陰で「メス」とされることが多いようです。**(30頁)とあり、続けて**獅子・狛犬は神社やお寺を守護する霊獣なのですから、強くたくましいオスでなくてはならないはずです。**とある。
向かって左側は吽形の狛犬。頭の上の突起は退化した角とみるべきか。玉を前脚で押さえている。こちらの股間情報からオスとは読みとれなかった。
台座に刻まれた建立年は明治25年8月吉日。
神楽殿越しに拝殿を見る。拝殿の前に2対の狛犬がいる。
まずは手前の狛犬。参道脇の狛犬とはかなり違っていて厳しい表情をしている。
ふさふさのたてがみをカールしている。オシャレではないか。でもなんとなく個性を感じない。あちこちにいそうな気がする。
向かって左側は子連れ狛犬。
台座のプレートに、それまであった随神銅像を戦争に供出してしまったので、昭和40年4月に、この狛犬を奉献したことが記されている(のぶさんの記事で確認)。この手の基本的な情報はきちんと押さえなくては・・・。
レポート不可、再提出!
次はこの迫力のある狛犬
拝殿近くにいた大正狛犬。手前の昭和の狛犬に比べて体躯は小さいが、上のツーショット写真で分かる通り、恐い表情は昭和に勝る。
低く構えた威嚇的態度には迫力がある。向かって右側、阿形の獅子の頭に角があり、左側の吽形の狛犬の頭に宝珠がある。拝殿に向かって左側の狛犬に角があるのが一般的ではないかと思うが、それと違う理由が分からない・・・。
この狛犬の石工は北原柳太郎。ネットで北原柳太郎について調べると多くの石工を輩出した高遠の出身で、現在の諏訪市中洲神宮寺に移り、明治13年(1880年)に石材店を開業している。石工の柳太郎は石柳と呼ばれていたそうで、社名の石柳北原の由来だという(同社HPによる)。
まだ狛犬を観察する私なりの視点が見つからない。狛犬の棲みかまで取り上げるかどうかも含め、「考え中」としておきたい。
* 狛犬取材はじっくり時間をかけて、情報をきっちり読みとり、メモすること。のぶさんの指摘からの教訓。
これが取材の「基本のき」