透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

米澤神社の狛犬

2015-04-25 | C 狛犬



 松本市寿北にある米澤神社を訪ねた。木造、石造の鳥居の先に山の斜面を直登する長い参道が見える。



社殿の一般的な配置から判断すると、この急勾配の切妻屋根の建物が拝殿で、その後方の建物が本殿ということになる。



本殿は板塀に囲まれていてよく見えなかった。


社務所

この山中の神社を守護している狛犬は大変だな。鳥居の脇の案内板によると米澤神社の御祭神は猿田彦命と大己貴命(おほなむち)。

猿田彦命は古事記に出てくる神様。古事記を現代語訳で読んだから、この神様の名前は知っていた。天孫、邇邇芸命が降臨した際のガイド役を務めた神様。大己貴命(おほなむち)はいくつもある大国主の別名のひとつだそうだ。



この山中の神社及び御祭神の猿田彦命と大己貴命を守護することがここの狛犬たちに課せられた仕事(ミッション)。 

 

台座に狛犬の誕生年が刻まれていた。弘化3年(1846年)というから江戸末期ということになる。右側の獅子も左側の狛犬も歯が見えているから阿形、吽形とはなっていないようだ。あるいは通常とは逆で、右の獅子が吽形で、左の狛犬は阿形なのかもしれない・・・。







玉を持っている左前脚が浮いている! 何とも不安定な姿。よく石工はこのような姿を彫る決心をしたものだ。



ともにつるりんちょな体で、鬣(たてがみ)としっぽ、それから前脚の部分に毛があるだけ。このことが特徴かな。蹲踞の姿勢をしていることが分かる。

江戸時代に生まれた狛犬はユニークで、観ていて飽きない。


 


会田神明宮の狛犬

2015-04-25 | C 狛犬

 県内のあちこちに出かける機会が少なくない。その際、今までは火の見櫓や道祖神、庚申塔などを意識していた、もちろん茅葺きの民家や建築にも。加えて狛犬の棲息地・神社にも目がいくようになった。

昨日(24日)、松本市会田(あいだ、旧四賀村会田)に出かけた。会田という地名は善光寺街道の会田宿として知られている。会田地区内を移動中にこの神社の前を通りがかった。

神楽殿から拝殿を見る。一対の狛犬が見張っている。



拝殿後方の本殿の屋根。棟木の上に鰹木が6本載っている。両端の千木、上端は水平。棟持柱の脚部は礎石に載っていた。

御祭神は天照皇大神。



拝殿の左後方に摂社が並んでいた。狛犬の棲息環境はこんな様子。



  

右側の獅子()は玉に前脚を載せている。物事がうまく転がるようにという意味があるそうだ。左側の狛犬には子どもがいる。共に太いしっぽがある。鬣(たてがみ)のボリュームは程よい。蹲踞の姿勢が見て取れる。

 狛犬はもともと獅子と狛犬、別々の霊獣として扱われていたそうだが、時代が下ると両者まとめて狛犬と呼称するようになったとのこと。







線刻が目立つような気がするがどうだろう・・・。







痩せているわけでも太っているわけでもなく、程よい体躯ではないか。

この狛犬の誕生年、皇紀2600年が台座に刻まれている。皇紀2600年は神武天皇の即位から2600年という節目の年で昭和15年(1940年)。この年に生まれた狛犬。


 


― もじもじさんの火の見櫓巡り

2015-04-25 | A 火の見櫓っておもしろい



■ もじもじさんが仕事の合間に千曲市西部地区の火の見櫓巡りをして写真をCD-Rにまとめてくれた。火の見櫓の所在地をプロットした地図とレポートまで付いていた。感謝感激!誠実で真面目な彼の人柄がこのまとめ方に表れている。

もじもじさんが取材してくれた火の見櫓はなんと31基! 私もこの地域の火の見櫓を観察して廻りたいと思う(5月中には実行したい)。



これは今月21日に載せた火の見櫓 別の方向から撮ったこの写真で火の見櫓が立っている場所の様子がよく分かる。

ここは善光寺平の周縁で斜面に集落が形成されている。写真の右側、民家の屋根の上に長野自動車道のトンネルが写っているが、このトンネルの先(松本方面)に姨捨サービスエリアがある。近くには眺望がよいことで有名なJR篠ノ井線の姨捨駅もある。

この場所なら背の高い火の見櫓は不要だ。彼も梯子段のピッチ(間隔)とその数によって見張り台の高さを求めているが、それによるとこの火の見櫓は取材した中で最も低く、2,880(単位はmm)だという。

この高さなら火の見「柱」か「梯子」でも事足りるとも思うが、やはり火の見「櫓」という形式にこだわったのだろう・・・。




 


松本市白板の八幡神社の狛犬

2015-04-25 | C 狛犬



■ 先日善光寺の御開帳に出かけたが、その帰りに列車の窓からJR篠ノ井線沿いにあるこの神社の狛犬が見えた。早速出かけてみた。


拝殿


本殿


宝物庫

狛犬の棲息環境はこんな様子。石畳の参道が拝殿に向かって伸びている。拝殿の手前にかなり高い台座があってその上に狛犬が1対、顔をこちらに向けて構えている。狛犬が守護する御祭神は譽田別命(ほむだわけのみこと)。

神社は永正年間(1504~1520年)に白板神田の地に創設されたが、永禄2年(1559年)に近くを流れる奈良井川の氾濫で社殿などが流失してしまった。その後、慶安元年(1648年)に至る凡そ90年の間、幾度も社殿を造営しては水禍の惨を被ってきた。漸次荒廃し、神社の跡と名前を残すのみとなっていた。慶安4年(1651年)に現在地に社殿を造営して遷座の大典を執行した(境内の案内板の由緒書の大意)。

   



拝殿に向かって右側、阿形の獅子。豊かな鬣(たてがみ)が渦を巻いている。若々しくワイルドな印象。後脚は見えない。前脚の下に子どもがいる。





左側、吽形の狛犬 やはり子どもがいる。本来獅子(右側)と狛犬(左側)は別の動物だが、そのような意識は両者の造形からは感じられない。



 

誕生年は昭和3年(1928年)。石工は田近勝之。




境内の奥に立っていた。


 取材日 150418、25