■ 先日NHKラジオの朝の番組で神社の数はコンビニより多いと聞いた。確か8万8千社くらいだった。ネットで確認してもそのくらいの数になっている。ちなみに全国で最も神社が多いのは新潟県で約4,900社、なぜ新潟県に多いのだろう・・・。何か理由がありそうだ。
神社がこんなに多いのだから狛犬も相当数棲息していることになる。しかも狛犬は絶滅の恐れはないだろう・・・。
昨日(23日)の朝、安曇野市三郷明盛の熊野神社まで狛犬に会いに出かけた。その帰路、なんとなく松本方面を目指して生活道路を走っていて、鎮守の杜が目に入った。で、立ち寄ったところが、豊科高家の真々部諏訪神社だった。
撮影日 150523
鳥居越しに境内を見る。境内は明るく、開放的な印象だ。神楽殿の両脇に狛犬がいる。
拝殿に向かって右側に社殿
拝殿、社殿とも唐破風付きの立派な建物。鳥居の手前の説明板により御祭神は建御名方命(たけみなかたのみこと)と譽田別尊(よたわけのみこと)だと知った。どんな神様なのかは分からないが、この2柱を狛犬が守護しているのだ。
この狛犬、フォルムが整っていて実に美しい。
鬣(たてがみ)も尾も立体的な造形。共に美しい。体を支える前肢は筋肉が表現され、力強い。
拝殿に向かって左側、吽形の狛犬もやはり形が整っていて美しい。全体と細部の造形のバランスが良い。右側の狛犬(獅子)の耳はねているが、左側の狛犬の耳は立っている。この辺りにも造形の流儀というか決まりがあるのだろう。
台座に彫り込まれた文字は「原型 三木宗策 石匠 野村保泉」と読める。別のところに彫り込まれた文字から昭和9年10月の建立だと分かった。
三木宗策という名前をネット検索して、木彫作品を手掛けた彫刻家だと分かった。明治24年に福島に生まれ、昭和20年に没している。
野村保泉という名前もヒットした。三代酒井八右衛門という石匠の弟子で、保泉は号で本名は保太郎。二代酒井八右衛門は号を井亀泉(せいきせん)という。初代酒井八右衛門は江戸三大石匠と呼ばれていたという。保泉の泉は井亀泉から採ったようだ。
三木宗策がフォルムを決めて、野村保泉が彫ったということだろう。東京で彫って、遠路運んできた、ということだろうか。
にわか勉強で事情がまだリアルに呑み込めないが、この狛犬は血統書付きのブランド品といったところか・・・。
台座 約700×1000
像の高さ 約1300
神社境内、拝殿に向かって左側に境内社があって、そこにも小振りの狛犬がいた。この狛犬については後日別稿で。