■ 髪結い伊三次捕物余話 第5弾「黒く塗れ」を読み終えた。
伊三次とお文の間に男の子が生まれた。名前は伊与太。宇江佐さんは**親子が川の字になって眠るのは庶民のささやかな倖せである。**(「慈雨」289頁)と書く。
**伊三次は濡れたむつきを脇に寄せると、畳んで積み上げてある新しいむつきを取り上げて伊与太の尻にあてがった。
「どうでェ、さっぱりしただろう」
そう言うと、不意に伊与太が笑った。**(336頁)
幸せな家庭の光景が目に浮かぶ。
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本書に収録されている「夢おぼろ」で宇江佐さんは次のように書いている。
**桜の季節は、いつもより心寂しい気持ちになると伊三次は思う。(中略)市中を歩く道々、薄紅色の花が咲いているのを見ることができた。(中略)心寂しい気分を醸し出すのは、その色のせいだろうか。
いや、同じ薄紅なら梅の花にも同じ気持ちを抱いていいはずだ。梅の花は一つ一つの花びらがくっきいり際立って眼に残る。だが、桜は花びらと花びらが溶け合い、真綿のようにほんわりと塊になって見える。そのほんわりした風情が淡い寂しさとなって伊三次を包むのだろうか。分からない。**(121頁) なかなか興味深い思索だ。そういえば旧制松高(信州大学)の寮歌にも春の寂しさを詠う「春寂寥」がある。
本書の6編の中では「慈雨」が印象に残った。想いを寄せる女性がいるものの、自分の過去を気にして身をひいていた男がある善行をきっかけに伊三次の仲介でその女性と結ばれるという物語。
**雨が降る。まっすぐな雨が降る。だが、この雨は暖かい雨だ。すべてを洗い流し、代わりに何かを潤す恵みの雨だ。そう、伊三次は思う。**(335頁)
この物語を読み終えた時は涙、涙だった・・・。この手の物語には弱い。
さて、次はシリーズ第6弾「君を乗せる舟」。