(再) 松本市内田の火の見櫓 4脚64型 撮影日171207
火の見櫓の背景の雪化粧した山は屋根の左側に常念岳(2857m)、常念岳の手前の右下がりの稜線は鍋冠山、右側後方は横通岳(2767m)。
(再) 松本市内田の火の見櫓 4脚64型 撮影日171207
火の見櫓の背景の雪化粧した山は屋根の左側に常念岳(2857m)、常念岳の手前の右下がりの稜線は鍋冠山、右側後方は横通岳(2767m)。
■ 本書の5章までに語られている脳神経科学の現在に至るまでの研究の内容紹介とその成果などについては、専門的で私には理解の及ぶ内容ではなかった。
終章(第6章)には書名と同じ「脳の意識 機械の意識」という章題がついている。この章では、意識の機械への移植、機械の意識の展望、侵襲ブレイン・マシン・インターフェイスの展望、脳半球・機械半球の意識の接続に向けての動物実験などの小見出しで、人間の意識を機械に移植するという構想のプロセスが語られているが、その概要については理解できた(ような気がする)。
著者はマウスの左右の脳を分離し、再配線する、つまり人工的に繋ぐ実験(左右の脳半球間を行き交う信号のすべてを観測するため)や、分離した脳の片半球に機械半球を接続する実験、つまりマウスの脳の半分を人工的な機械脳にするという実験を進めているという。
仮にこのようなことが可能になったとしても実行していいのかな、というのが率直な感想。神、造物主の領域で人が入り込んではいけないのではと思われるような遺伝子の解読などは既に人の領域になってしまっている。著者が書いているように遠い将来には人の意識を機械に移植することができるようになれば、その先には人の意識交換、などということも可能になってしまうだろう。このようなことはSF映画に留めておいた方がよいのでは・・・。