■ 信濃毎日新聞の芸能面に連載中の「いきものがかり水野良樹の「そして歌を書きながら」」というエッセイ、今日(12日)の「カフェをはしごするぜいたく」は我が意を得たりと思わせる内容だった。
水野さんはデビュー後に名前が売れ、大きなお金が入ったとき**品行方正を気取るつもりはなく、バカで恥ずかしいぜいたくもいくつかしたと思う**と告白。続けて**だが、結局、自分の心持ちを支えるのは派手なことより「毎日気兼ねせずに好きなカフェに行ける」というような、日常が豊かになるぜいたくであったりもする。**と綴る。そして次のように結ぶ。**幸せや豊かさを感じさせてくれるのは、このコーヒーが何げなくここにあってくれるようなことなのかもしれない。**
そう、幸せは日々の小さな喜びの積み重ねによって得られるものだと思う。
朝カフェ読書で『コミュニティと都市の未来――新しい共生の作法』吉原直樹(ちくま新書2019年第1刷)を読み始めた。しかし・・・。
**産業主義的生産様式や文化が進展していくにつれて、「生きられる共同性」が内包するような時間と空間は社会の後ろに退き、モダンの時間と空間が前面に出てくる。**(61頁)
**生産主義的生産様式に埋め込まれたモダンの時間と空間、つまり「絶対的時間」と「幾何学の連続的空間」は産業主義的生産様式の進展とともに極限にまで達した。**(67頁)
書かれている文章の意味が理解できない。僕にはこのような文章を読み解く能力が全くない、ということを改めて知った。こんな時の対処法について立花 隆氏が『ぼくはこんな本を読んできた』(文藝春秋1996年第3刷)に次のように書いている。**自分の水準に合わないものは、無理して読むな。水準が低すぎるものも、水準が高すぎるものも、読むだけ時間のムダである。時は金なりと考えて、高価な本であっても、読みさしでやめるべし。**(74頁)**読みさしでやめることを決意した本でも、一応終わりまで一ページ、一ページ繰って見よ。意外な発見をすることがある。**(74頁)
このアドバイスに従い、文章をざっと目で追うことにする。