透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

読書雑記

2021-02-12 | A 読書日記



 信濃毎日新聞の芸能面に連載中の「いきものがかり水野良樹の「そして歌を書きながら」」というエッセイ、今日(12日)の「カフェをはしごするぜいたく」は我が意を得たりと思わせる内容だった。

水野さんはデビュー後に名前が売れ、大きなお金が入ったとき**品行方正を気取るつもりはなく、バカで恥ずかしいぜいたくもいくつかしたと思う**と告白。続けて**だが、結局、自分の心持ちを支えるのは派手なことより「毎日気兼ねせずに好きなカフェに行ける」というような、日常が豊かになるぜいたくであったりもする。**と綴る。そして次のように結ぶ。**幸せや豊かさを感じさせてくれるのは、このコーヒーが何げなくここにあってくれるようなことなのかもしれない。** 

そう、幸せは日々の小さな喜びの積み重ねによって得られるものだと思う。


朝カフェ読書で『コミュニティと都市の未来――新しい共生の作法』吉原直樹(ちくま新書2019年第1刷)を読み始めた。しかし・・・。

**産業主義的生産様式や文化が進展していくにつれて、「生きられる共同性」が内包するような時間と空間は社会の後ろに退き、モダンの時間と空間が前面に出てくる。**(61頁)

**生産主義的生産様式に埋め込まれたモダンの時間と空間、つまり「絶対的時間」と「幾何学の連続的空間」は産業主義的生産様式の進展とともに極限にまで達した。**(67頁)

書かれている文章の意味が理解できない。僕にはこのような文章を読み解く能力が全くない、ということを改めて知った。こんな時の対処法について立花 隆氏が『ぼくはこんな本を読んできた』(文藝春秋1996年第3刷)に次のように書いている。**自分の水準に合わないものは、無理して読むな。水準が低すぎるものも、水準が高すぎるものも、読むだけ時間のムダである。時は金なりと考えて、高価な本であっても、読みさしでやめるべし。**(74頁)**読みさしでやめることを決意した本でも、一応終わりまで一ページ、一ページ繰って見よ。意外な発見をすることがある。**(74頁)

このアドバイスに従い、文章をざっと目で追うことにする。


 


辰野町小野の火の見櫓再訪

2021-02-12 | A 火の見櫓っておもしろい


火の見櫓のある風景 好みの道路山水的構図
(再)上伊那郡辰野町小野下雨沢 4無44型 撮影日2021.02.11

この火の見櫓は2014年9月に一度観察している。一度観たらそれでおしまい、ということにはしない。好きな小説を何回も読むことと同じで、何回か観ているうちに初めて気がつくこともあるし、季節や天候、時間帯によっても火の見櫓は雰囲気が変わる。



屋根:存在感のある蕨手と避雷針の飾り
見張り台:4隅の面取り部分の飾りは「開いたハート」を上向きと下向きセットにしているが、このパターンを手すり4面に繰り返している。見張り台直下にも櫓部分と同じ、リング式ターンバックル付き交叉ブレースを設置している。これには構造的な意味合いはなく、装飾的なものだろう。



屋根と櫓上端との接合部:ずいぶん入念に接合している。屋根の補強材の入れ方も分かる。

この写真だと半鐘をどのように吊り下げているのか分からない。もっと的確なアングルがあったと思う。撮り急いではいけない(反省)。消火ホースを干すために掛けるフックはこのくらいの位置にあると作業しやすいだろう。このフックの取り付け高さから、この火の見櫓の屋根てっぺんまでの総高を約12メートルと見た。



外付け梯子と踊り場の取り合い:整ったフォルム。左側は消防団詰所(屯所)の外付け階段から櫓の踊り場に掛けられた梯子。



「辰野町第十七分団」という切文字が取り付けられている。2014年にこの火の見櫓を見た時は切り文字には注目していなかったようだ。



柱あれど脚は無し。基礎から突き出した短材と柱材の下端を接合している、という理解でよいのだろうか・・・。このような方法にすると建て方がやり易くなったのだろうか。