透明タペストリー

本や建築、火の見櫓、マンホール蓋など様々なものを素材に織り上げるタペストリー

「『2001年宇宙の旅』講義」再読

2021-02-21 | A 読書日記

    

 アーサー・C・クラークのSF小説『2001年宇宙の旅』はスタンリー・キューブリックによって映画化された。SF映画は好きだが、とりわけ「宇宙もの」が好きでレンタルDVDでよく観る。だが、この映画を超える作品にはまだ出会っていない。SF映画の、いや洋画のベスト1だ。ちなみに邦画では松本清張原作の『砂の器』。

『2001年宇宙の旅』に出てくるモノリスや後半に描かれているボーマン船長の視覚体験については様々な解釈が与えられている。モノリスは人類の進化に関わる造物主(神)の存在を暗示するものだと僕は思っている。また、ボーマン船長が見たのは(同時に僕たちも見ているわけだが、)宇宙の空間旅行ではなく(と敢えて書く)、時間旅行の映像表現だと解釈している。遙か彼方の未来からまだ生命が誕生していない宇宙、というか地球への旅行。現在から未来、未来からいつの間にか過去へつながる時間旅行、そして生命誕生から猿人への進化・・・、そう生命の輪廻。

「『2001年宇宙の旅』講義」巽 孝之(平凡社新書2001年発行!)をまた読み始めた。

この本で著者の巽氏はモノリスについて次のように書いている。**人類は、じつは神ならぬ地球外知性体によってもたらされた石板(モノリス)状の教育装置の力で、四〇〇万年前(小説版では三〇〇万年前)に猿人だった時代より密かに誘導されてきた。**(14頁)

また、後半ボーマン船長の視覚体験については**これまで映画版『2001年』後半の万華鏡的シークエンス(*1)が、じつはよくいわれるような麻薬幻想でもなければ超絶体験でもなく、たんにモノリスという名のもうひとつのコンピュータ・マトリックスがボーマンという人間を素材にその生体情報をカットアップ/リミックス/サンプリングしているシーンにほかならないことが了解されよう。**(63頁)と書いている。

*1 引用者である僕の注:ソリッドで金属的なシーンは、超未来へと進む視覚的表現として、その後に出てくるシーンは非常に有機的で柔らかく、生命誕生前の水中のようなイメージとして僕は観る。

この本を読み終えたらクラークの原作を読もう。映画も観よう。


昨年の5月に文庫本の大半を処分した。僕が残したSF作品はこれだけ。アーサー・C・クラークの作品では『2001年宇宙の旅』1冊のみ。






繰り返しの美学

2021-02-21 | B 繰り返しの美学

 建築の構成要素そのもののデザインには特にこれといった特徴が無くても、それを直線的に、そして等間隔にいくつも配置すると、「あ、美しいな」とか、「整っていて気持ちがいいな」とか、そういった感情を抱く。このような経験は私だけの個人的なものではないだろう・・・。シンプルなルールによって、ものが秩序づけられた状態・様子を脳が歓迎しているのだ。建築構成要素を直線状に等間隔に並べるとそこに秩序が生まれ、それを美しいと感じる。このことを「繰り返しの美学」と称して時々ブログに取り上げてきた。

このように書いて国宝の旧開智学校の屋根棟を載せたのが2019年の6月のことだったから、1年半以上間が空いたことになる。



久しぶりに取り上げる繰り返しの美学は長野県生坂村の道の駅「いくさかの郷」のトイレ棟。トイレ棟の全形が分かる写真を撮るべきだったと反省。床面の誘導ブロックの状況からトイレの入口前の通路の様子であること、入口が3か所あることが分かる。

トイレ棟の屋根は切妻形状で通路まで伸ばしている。今回は通路部分の構造フレームに注目する。

木造の場合、伝統的な構法では柱、軒桁、梁の納め方に
京呂組と折置組というふたつの方法がある。在来工法(構法)は柱の上に桁を通し、桁に梁を掛けるのが一般的で、これは京呂組に近い組み方だ(桁と梁の天端の高さ関係に相違がある)。

このトイレ棟の軒回りの構造材の取り合いを見ると、柱と登り梁を一体に組んでできるフレームの間に桁、いやつなぎ梁(とした方が好ましい)を入れている。 きちんと観察してこなかったのはうかつだったが、梁には集成材を使っていたように思う。大断面集成材を構造部材として使う場合には在来木造とは異なり、鉄骨造のフレームと同じ扱いをすることが少なくない。このトイレ棟も同様に扱っているのかもしれない。

このように分析的な観察をすることが目的ではない。柱と梁が一体になったフレームが等間隔に並んでいるなあ、美しいなあ・・・。ただそれだけのこと。