■「雲隠」の帖(巻)には本文がない。このことについて、存在した本文が散逸してしまった、帖名(巻名)が後世に付け加えられた、作者の紫式部が敢えて本文を書かなかったという説があり、研究者の間でも見解が分かれているようだ。
ここにわたしなりの見解を記しておきたい。
紫式部は意図的に本文を書かなったのだと思う。平安の才女は実に巧妙な手法をここで採ったのだ。「雲隠」に本文があるとすれば、光君の出家と死が描かれていることは明らか。紫式部はその様を敢えて描かずに読者の想像にゆだねたのだろう。だとすれば読者であるわたしも光君の最後を思い描かなくてはならないが、まだそれをここに記すに至らない。この長大な物語を読み終えた時、思うことがあれば書きたい。紫式部は何年も描き続けてきた主人公の最期を書くにしのびなかったのではないか、とも思う。この帖に本文が無いのは紫式部の借別の情の故か。否、冷静で強い才女のなせる技であろう・・・。
ようやく中巻読了!